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◎◎福沢諭吉的家庭論◎◎

1 :嫁子:2006/08/25(金) 23:17:27
あまり語られることのない福沢諭吉の家庭論・家族論。
しかし、一度読んで見れば目からうろこ。
家庭板住民の気持ちをまさに代弁しているのです。
ビバ諭吉!!


2 :名無しさん@HOME:2006/08/25(金) 23:21:17
関連スレ
■やってはいけない2世帯住宅・私は見た!
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/live/1150618026/l50


3 :名無しさん@HOME:2006/08/25(金) 23:26:15
嫁の身を以て見れば舅姑は夫の父母にして自分の父母に非ざるが故に、
即ち其ありのまゝに任せ、之を家の長老尊属として丁寧に
事(つか)うるは固より当然なれども、実父母同様に親愛の情ある
可らざるは是亦当然のことゝして、初めより相互に余計の事を求めず、
自然の成行に従て円滑を謀(はか)るこそ一家の幸福なれ。
世間には男女結婚の後、両親に分れて別居する者あり。頗る人情に
通じたる処置と言う可し。其両親に遠ざかるは即ち之に離れざるの
法にして、我輩の飽くまでも賛成する所なれども、或は家の貧富
その他の事情に由て別居すること能わざる場合もある可きなれば、
仮令い同居しても老少両夫婦の間は相互に干渉することなく、
其自由に任せ其天然に従て、双方共に苦労を去ること人間居家の
極意なる可し。【女大学評論】


4 :名無しさん@HOME:2006/08/25(金) 23:37:13
今読むと、すげええええええ、としか言いようがないんだが、
あの時代にこの文章が発表されたときの世間の評判はどんなん
だったんだろう。

5 :名無しさん@HOME:2006/08/25(金) 23:49:02
あげ


6 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 00:04:59
>>3
関連スレhttp://life7.2ch.net/test/read.cgi/live/1150618026/309
の原文だ。端折ったところバレるなあ スマソ

諭吉さんは実際の生活で役立たない学問は学問じゃねえ、
というご意見の方。

勝手な推論をすれば、
諭吉さんがタカ派の右巻きさんのため、
左巻きさんの多い女性解放論者には見向きもされなかったかもしれない。


7 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 00:19:49
今見ても、女性を開放してくれているように読めるのは私だけ?

8 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 00:21:38
すばらしい!
見直したよ諭吉!

9 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 00:22:22
諭吉さんって仏教系の従順さとかが大好きな人だと思ってたけど
違ったんだね。

まぁ、天は人の上に〜をかんがえたひとだもんなぁ。

10 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 00:26:44
諭吉といえば他のことであまりにも有名だから、
こういうのは埋もれてしまうのかな。
だてに万札の人じゃないんだねぇ

11 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 01:07:19
家庭論と関係無いけど「脱亜論」なるものも結構読んでてスカっとするね。

12 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 01:19:14
諭吉が今生きてたら、ねらーのカリスマだったかもしれん。


13 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 07:29:12
諭吉!
感動しました。

14 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 08:45:23
良スレ期待age
諭吉カコイイ

15 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 09:06:01
とにかく「結婚したら別世帯」ってことがわかってない親大杉

16 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 09:08:23
ちょっとプライドの高いインテリ系のトメならこの諭吉パワーを
利用してコントロールできるかも知れんな
諭吉の本が最近人気があるとトメにさりげなく匂わせてみるかな・・・


17 :8782 ◆KQ12En8782 :2006/08/26(土) 09:11:59
おれが諭吉に会っていたら、きっとこう言うだろう。

つまり、独身のおれが一番マトモなわけか。


18 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 09:15:16
>>17
独身もいいよね
もちろん、大変なこともそりゃあるんだろうけどさ


19 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 18:26:49
しかし、これだけ有名な人の言葉なのに平成の世になっても
うまく伝わっていないというのは…抵抗勢力がいかに大きいかということじゃ?

20 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 18:28:47
諭吉が全国の結婚式会場に行脚して
お祝いの言葉として年寄りの前で語ってくれたら良いのに。

21 :名無しさん@HOME:2006/08/26(土) 21:06:00
精神分裂病を患ったりあまり幸せな晩年とは言えなかったみたいだな。

22 :名無しさん@HOME:2006/08/27(日) 02:49:29
結婚式の引き出物で流行るかも<諭吉さまの著書
なんせ一万円札になるほどの偉人だもの、誰も文句は言えまい。

「わたしは福沢諭吉の本を読むのが日課です」と言われたら
年寄りだって「ほぅ!」と言うだろうし(しかしその内容はw)

札の諭吉ちゃんだけが好きだったけど、これからは師と仰ぐことにしよう。
著作内容を詳しく知るために、アマゾンで本も購入だ!

23 :名無しさん@HOME:2006/08/27(日) 08:29:13
文庫版の編者である林望氏もいいこと書いてるよん。

24 :名無しさん@HOME:2006/08/27(日) 17:37:24
子ども(小3)は慶応に入れようと決意した。

25 :ゼロ ◆Vip9QJS4S2 :2006/08/27(日) 18:21:57
そんなゆきちさんも
じぶんのこにはそれなりのところから
それなりのひとをもらってるぎゃね

26 :名無しさん@HOME:2006/08/27(日) 19:06:13
そりゃそうさ。自分の子だもの。
独立した家庭を持つにはそれなりの相手じゃないとね。
「平等」というキーワードだけで諭吉を解釈すると裏切られるのでは?

27 :名無しさん@HOME:2006/08/27(日) 20:41:07
諭吉さんは貧乏暮らしが身にしみてるからさ、
なんつったって伝記本の人だもんw
誰だって我が子に苦労はさせたくないさ。

28 :名無しさん@HOME:2006/08/28(月) 00:41:12
親心は平等とは別にあるのか。

29 :名無しさん@HOME:2006/08/28(月) 02:56:32
仏教的にな「平等」はキリスト教のそれとは違うらしいよ。
誰でもかれでも幸せになれるのではなく、
良い行いをした人は幸せに、悪い行いをした人はそれなりの報いをうける。
行いに応じて「平等」に報いがあるという考えらしい。

30 :名無しさん@HOME:2006/08/28(月) 09:38:06
慶応系の学校を出たウトメならどうなんだろう?

31 :名無しさん@HOME:2006/08/29(火) 00:19:37
出ただけじゃ諭吉さんの心は理解できんよ。

32 :名無しさん@HOME:2006/08/29(火) 00:28:32
極亜論でうへぁだったが見直したし感動した

33 :名無しさん@HOME:2006/08/29(火) 07:21:23
>>25
高級官僚になるような奴が珍走の奴と親友だったりする事はあまり無いだろうし、住む世界が違えば知り合う事も無いという事じゃないか?

34 :名無しさん@HOME:2006/08/29(火) 18:53:10
このスレはage推奨ですね

35 :名無しさん@HOME:2006/08/29(火) 23:48:45
関連スレで諭吉が「同居イクナイせめて台所だけでも別に」
と言っている、と言い出した者ですが、私がこれを知ったのは
育児書で有名な松田道雄氏の本を通してだと記憶しています。
諭吉も松田氏も自分の妻と母親がかち合わないように別居していたようですが、
合わせて読むと興味深いと思います。
「私は女性にしか期待しない」とか。

36 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 01:22:26
昔の女の人は家が職場のようなものだったからなぁ。

鬼姑が病床についた時に嫁に「これからはあなたに子の家のことは任せたわ(女主人として認めてやるよ)」
みたいなことを言われ涙した、というキモイ美談があるけど
今までの嫁いじめをそんな言葉で締めくくれると思うなよっつーの。

37 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 06:53:57
>鬼姑が病床についた時に嫁に「これからはあなたに子の家のことは任せたわ(女主人として認めてやるよ)」
>みたいなことを言われ涙した
これがしっかりと嫁も含む家族の人生の為に責任を持って尽した
姑の言葉ならありえるのに、ほとんどの姑は自分がしてもらうこと
しか考えてないから・・・

38 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 07:25:13
>これからはあなたに子の家のことは任せたわ

最初に任されるのが介護なんだろうなぁ。
せめて息子が結婚した直後、トメ自身が元気な時に
「息子が所帯持った以上、もうこの家は若夫婦が中心、私たちは老いては子に従えだから、
息子君と嫁子さんの好きにやって行けばいい。」
ぐらい言ってその通りにすればまだマシなトメだが、
病床について、お嫁さんに頼らざるをえなくなってから「任せる。」なんて
恩着せがましく言われてもねぇ。

そんな場面で涙するるなんて、昔のお嫁さんは洗脳されてたんだね。
私なら「何を今さら。」って思うが。

39 :38:2006/08/30(水) 07:28:11
×→涙するるなんて
○→涙するなんて

スマソ。

40 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 11:31:20
まあ、フェミニストたちに諭吉の評判が悪いのは、著作があまりに中・上流階級に向けて
書かれているため。

「女中の使いこなしかた」なんて、今の大部分の家庭にとっては、「はー?」でしょう。

諭吉関連の情報源としては、http://blechmusik.xrea.jp/labs/hirayama/がよろし。


41 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 11:50:10
そうそう、>>40のサイトに面白い引用があった。友人で主治医の松山という人物の証言。

ーーーーー
福沢先生とは三十七年来のお馴染であるが、種々普通の我々とは違がつた所があつた。
第一身体は見た所からあの通り御丈夫であったが、種々の場合に臨んで見れば見るほ
ど隙のない健康なお方であつた。近くは三十一年の大患が癒つた計か、心身機関の不
調子がアヽ迄迅速に解けて行くとは何うも不思議で堪らない。或時先生にお話すると「左
様か。生来の健康の外に別段人と異つた所もないが、唯一つの心当りと云ふのは、子供
の前でも話されぬ事だが、私は妻を貰ふ前にも後にも、未だ嘗て一度も婦人に接した事
がない。随分方々を流浪して居るし、緒方塾に居た時は放蕩者等を、引ずつて来るため
に不潔な所に行つた事もあるが、金玉の身体をむざむざ汚す様な機会をつくらぬのだ」と。
先生は嘘をつく方ではない。先生の御夫婦ほど純潔な結合が、今の世界に幾人あるだら
う。(「故福沢翁」『福沢先生哀悼録』193/194頁)
ーーーーー

福沢翁、女性関係はなんと生涯で唯一人、奥様だけ。しかも9人の子持ち。

思想家としてはどうだか知らんが、少なくともそっちのほうは偉い!



42 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 12:34:38
なにこの良スレ…

43 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 18:36:12
>>41
素晴らしい。流石先生。

44 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 19:18:03
>>40
フェミニストって下流なのかw

45 :名無しさん@HOME:2006/08/30(水) 19:19:20
連投ごめん
途中で送信してしまった

女中の使い方も情報としては役立つと思うんだけどな
仕事をしていれば自然に自分が上に立って部下を使わなければ
ならない日がくるからね
その参考にはなる

46 :名無しさん@HOME:2006/08/31(木) 06:08:50
日本のフェミってのはサヨクともリンクしてるからな。

47 :名無しさん@HOME:2006/08/31(木) 21:42:56
>>46
いわゆる丸フェミ?上野某みたいな。

48 :名無しさん@HOME:2006/09/01(金) 17:29:57
要するに、ウトメの間では「新女大学」ではなく
「女大学」の常識が今でもまかり通っているということか。
「子に対して多くを期待するな」と言っているあたりで
反感を買ったのかな、さすがの諭吉も・・・。

49 :名無しさん@HOME:2006/09/01(金) 21:05:54
諭吉先生も「ばかの壁」には、なすすべもないね・・・

50 :名無しさん@HOME:2006/09/01(金) 22:10:03
ウチの旦那は学部・大学院と十数年慶応に在籍してたにもかかわらず,『学問
のすすめ』をはじめとする福沢の著作を一冊も読んでいないらしい。

しかし,考え方は『新女大学』そのものw ウトメも子どもの家庭に干渉しないの
で楽だが,それはそれで,物足りない。
ちなみに実父母は三人の子ども達の家庭に干渉しまくって呆れられています。

家風なのか階層差なのか・・・
ひょっとして学歴?

51 :名無しさん@HOME:2006/09/01(金) 23:41:18
>>50
何がいいたいのか今ひとつ分からないんだけど
ごめん
もう少し分かりやすくお願いします

52 :名無しさん@HOME:2006/09/02(土) 22:47:38
電車の中で積極的に「女大学評論」を読むことにした。
薄い文庫だから毎日持ち歩いても邪魔にならない。
自分のためのバイブルであるのはもちろん、
電車の中で少しでも目につくようにするため。
この教えを広めなくては。
同居マンセーだったウトメに要所をコピーし、現代語訳もつけてあげた。
少しずつだけど、揺れてきているようだ!

53 :名無しさん@HOME:2006/09/03(日) 00:21:37
花嫁修行のカリキュラムに「義実家の撃退法」みたいなのも入れなきゃねぇ。

54 :名無しさん@HOME:2006/09/03(日) 00:51:56
父の家系を2、3代ほど遡ると福沢諭吉と婚籍関係。
そういえばうちの親やそのまた親、そのまた親・・・、
知っている限りじゃ同居はしていないなあ。
それでも円満と言うわけには行かないのだから、やはり同居なんてオソロシス・・・。

55 :名無しさん@HOME:2006/09/03(日) 18:46:35
へえええ〜! 貴重な情報ありがとん!
やっぱり福沢一族は同居せずだったのね

56 :名無しさん@HOME:2006/09/04(月) 01:17:57
福沢諭吉の血が流れているわけではないので、福沢一族ではないんだけどね。
ただ、うちの家系図上、福沢諭吉に一番近い人は相当前衛的な女性だったらしい、と文献にある。
あの時代の一般的な女性がどういうものかは知らないけど、
少なくとも、夫に、ひいては夫の実家、夫の一族に従って・・・というタイプではないみたい。



57 :名無しさん@HOME:2006/09/04(月) 21:49:18
慶應って諭吉だけが先生で、あとは教官でも敬称は「君」なんでしょ?
でも諭吉の教えそのものについては熱心じゃないのかな。

58 :名無しさん@HOME:2006/09/05(火) 07:22:25
>>57

のようですね。東大出身の小熊英二助教授も「福沢諭吉は帝国主義者だ」と言っています。

そうではない、という新たな研究もあり、慶應出身の私としても意を強くしているのですが、
肝心の塾内、とくに大学教員に、金子某など他大学出身のサヨが紛れ込んでいて、福沢先
生のよいところを塾生に教えるのを阻んでいるようなのです。


59 :名無しさん@HOME:2006/09/05(火) 10:09:58
へえ。でもそれってなんだかもったいないよね。
やっぱり抵抗勢力がかなり強いってことか。
右とか左とかはどーでもいいけど、せっかくの諭吉さんの良いところが
もっと広まればいいのにな。
家庭論関係の著書を読むと、諭吉さんは親にかなり厳しいけれど、子供にも
厳しいよね。お互いに自立汁、独立独歩、ってひたすら言ってる気がする。
私も子供に迷惑かけないように人生送らなきゃ・・・。

60 :58:2006/09/05(火) 10:53:27
>>59

その通りです。どうも慶應の他大学出身者は慶應の学風を快く思っていない
らしいのです。まあ、何かにつけて群れたがるのは、ハタから見て「何だかな」
というのもよく分かります。

よその一貫教育私立学校は存じませんが、慶應の場合、大学は塾を構成する
一要素にすぎません(それは慶応義塾のホームページをご覧いただければ一
目瞭然です)。

私は大学からなのですが、学生たちの本流意識は、下からの入学者になれば
なるほど強まります。同時に、出身社会階層は下からに行けば行くほど高くなり
ます。

彼ら彼女らは当然のように福沢諭吉の著作を読んでいるので、改めて学ぶ必
要を感じないのでしょう。

やや、話がそれました。独立についてはおっしゃるとおりです。諭吉は一太郎・
捨次郎の二人の息子をアメリカに留学させました。そこが独立の本場だからで
す。

二人とも東京大学予備門(現在の教養学部)に入学していたのですが、留学の
ため東大は中退となりました。

61 :名無しさん@HOME:2006/09/05(火) 20:14:20
ウトメに読ませるとしても現代語訳じゃないと理解できなさそうだ

62 :名無しさん@HOME:2006/09/06(水) 23:41:17
そういや、皇室も別居だねぇ。それもうまくいっているとはいえない…かも。
同居だったらもっと大変そうだ。

63 :名無しさん@HOME:2006/09/06(水) 23:52:46
あはは…皇室が同居したら

64 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 09:34:52
江戸時代以前までは、天皇家の子供は生母の実家で育児されました
だからこそ摂関政治が成り立ったわけ →幼帝は育った家の家長に従順

65 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 10:52:06
ためになるスレあげ

66 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 11:57:14
>>62
同居だとしても公務であちこち行ってて暇じゃないし、お宅も広いしで
あまり顔を合わせないんではないかと。

67 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 11:58:31
雅子様も大学や乗馬でお忙しくていらっしゃる様ですし。


68 :67:2006/09/07(木) 12:00:05
あ、すんごいトメトメしいこと書いちゃった。


69 :58:2006/09/07(木) 14:16:26
昨日の皇太孫親王殿下のご誕生によって、皇太子妃雅子様の
お立場は微妙になりますね。ただ、「男の子を産まねば」という
プレッシャーからは解放されて、病状は好転するかもしれません。

今度のお子様は、秋篠宮家にお生まれになったため、皇太子と
なられることなく、直接即位される可能性が出てきました。現皇
太子殿下より先に秋篠宮様がお亡くなりになった場合、今度の
お子様は皇太子ではない皇位継承順位第1位のお方となるか
らです。

秋篠宮様が即位された場合は、正式に立太子の宣言がなされ
ることになります。

難しいですね。福沢先生の家庭論は、モデルがアメリカの核家
族なので、「兄は兄、弟は弟でしょ」という感じで、まったく独立
した家族として扱うのを旨としているようです。

70 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 20:29:43
キリスト教文化圏なら聖書に
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」
(創世記2-24, マタイ19-5)
などとあるから、これを「ほれほれーーー!!」と見せればいいもんね。

71 :名無しさん@HOME:2006/09/07(木) 21:43:43
何やら壮大なスレになってきましたね。
文化圏の違い、それぞれの時代における家族の変遷について調べたくなりました。

72 :名無しさん@HOME:2006/09/08(金) 13:17:26
>>70
しかしカトリック総本山のお膝元であるイタリアは大家族が当然だったりする不思議
まぁ現在のキリスト教主流派閥(東方教会、カトリック、プロテスタント)の中で
原始キリスト教の教義から一番遠いのはカトリックだから、そういうもんかも

73 :58:2006/09/08(金) 14:45:21
>>72

中絶が許されないので両親と多くの子供たちになるのであって、
祖父母と両親・子供たちが同居というのではないのでは?

74 :名無しさん@HOME:2006/09/08(金) 15:39:14
>>73
いい加減なこと言っちゃダメよ
イタリアの出生率は少子化と騒がれている日本と同レベルの1.3前後だよ
欧州の中でもイタリアとドイツは特に低出生率なのです

75 :名無しさん@HOME:2006/09/08(金) 16:31:10
イタリアって結構貧しい国だよね。特に南のほうは。
別居するにはある程度の経済力がないとだめだから、同居せざるを得ないのでは?

76 :58:2006/09/08(金) 16:35:50
>>74>>75
そうなると大家族自体があまりないということになりますね。

77 :名無しさん@HOME:2006/09/08(金) 17:16:48
因果が逆かも
大家族制だから貧しいし少子化にもなる

78 :70:2006/09/09(土) 02:23:21
欧米だと同居/別居、大家族/核家族に関わらず、
親子の結び付きより夫婦(男女のペア)の結び付きが基本って感じがするね。
パーティとかもモテない君/さんは苦労して(一時的な)相手を探して出席してたり。
例の聖書の文言と大家族の強固な結び付きは共存可能かなと思います。

と、そうはいっても嫁姑問題は欧米でも普通にあるみたいだから、
聖書の文言の分、若干マシって程度なのかな。

79 :70:2006/09/09(土) 02:41:01
ちなみに1991-1995年の合計特殊出生率の値、
OECD加盟国(まあ、先進国30ヶ国程の集まりかな)の中で
イタリア、スペイン、ドイツが最低ランク。意外。同時期の日本より低い。

でもってイタリア独身男、両親との同居率高し。なんかやっぱウザそう。
頑張れ、聖書頑張れ。


80 :名無しさん@HOME:2006/09/09(土) 07:29:21
イタリアの男ってマンマ大好きマザコンが多いらしいからねー。
で、たとえ別居でもスープの冷めない距離に住みたいっていうトメが多いって。

「スープの腐る距離がいい。」って言った上沼恵美子は偉いな。

81 :名無しさん@HOME:2006/09/10(日) 02:45:59
欧米でもそれなりに同居問題の苦悩ってあるのか。
つい、アジア独特の問題であるようなイメージ持ってしまうけど。


82 :名無しさん@HOME:2006/09/10(日) 10:10:05
>>81
以前テレビ番組でイタリアの家庭を訪問してた。
その家の熟年主婦が手打ちパスタを作ってたが、
「最近の若い女性はこういう物作らないのよ。何でこんな美味しい物作らないのかしら。」っ
ブツブツ言いながらパスタ作ってた。
すぐ近くに若い女性が二人立ってて、その熟年主婦を見てた。
娘かと思ったら、息子のお嫁さん達だと。
司会者が「イタリアでも嫁姑って微妙なんですね。」なんて苦笑してたよ。

ま、日本に置き換えたら、ブツブツ嫌味言いながら糠味噌かき混ぜるトメってとこか。

83 :名無しさん@HOME:2006/09/11(月) 13:22:28
イタリアのマンマは、
大阪のおかんに匹敵するくらい手強いからねw
とにかく家族の中では「おかん最強」いう位置づけですな。

84 :名無しさん@HOME:2006/09/12(火) 13:40:10
1.成長して他人の家に行くものは必ずしも女子に限らず、男子も女子と同様、
総領以下の次男・三男は養子として他家に行く例もある。人間は世界に
男女が半数ずついるのだから、それが成長して他の家に行く者の数も
まさしく同数とみることができる。男子は分家して一戸の主人となることが
あるから女子の場合とは違うという意見もあろうが、女子ばかり多く
生まれた家ではそのうちの一人を家に置いてこれに婿養子をとらせて
本家を相続させ、その他の姉妹にも同様に婿養子を取らせて家を
分かつことも世間にはとても多い。だから子に対して親の教えをゆるがせに
するべからずというのはもっともあたりまえのことだけれども、女子に
限って男子よりもそれを守れというのは道理が合わない。

85 :名無しさん@HOME:2006/09/12(火) 17:01:43
>>84
なかなかイイですね
その調子

86 :諭吉:2006/09/12(火) 22:49:20
男の子だからといって甘やかして育ててよいというわけではない。
男ならば養家に行って我が儘な態度をとって身を持ち崩し妻に疎まれ、
舅を恨みそしって家内に波風を立て、ついには離縁されても恥ではない
…などということはありえない。
女子の身に恥となることは男子においても恥なのだ。
だから父母の教育が大切であり、逃れられない義務であるのだが、
女子に限ってのみその教育を重んずるというのは全く根拠のないことである。

87 :諭吉:2006/09/12(火) 23:09:43
世間にはこんなことを言う人がいる。「父母の教訓は子供にとっては
良薬のようなもので美しいから、女子のほうを重んじて男子は次でいい、
そのあたりは問うべきことではない」と。これは大きな誤りだ。
元来、人の子に教えを授けて育てあげるのは病人に薬を与えて、
その薬には適切な分量というものがあるということだ。
もしその分量を間違えれば良薬も害になる。
だから父母が子を育てるときにはたとえその教えが良く美しいものであっても
女子だからといって厳しくするのは間違いだ。男女で同じ症状の患者に対しての
薬の分量を加減しなくてはならないのと同じ問題である。
女子の適量は男子には不足であるし、男子の適量は女子には多すぎ、
与えればめまいを起こさせてしまう。


88 :名無しさん@HOME:2006/09/12(火) 23:19:03
>79
イタリア、スペインは聖母幻想の強い国。
ドイツも「子育ては母親の仕事」的マッチョ観念が強い。

こういう国は軒並み出生率が低下の一途をたどって、回復しない。
日本も含めてね。

89 :名無しさん@HOME:2006/09/12(火) 23:25:20
諭吉、すばらしいがその薬の分量の喩えはちと強引かもw
諭吉ガンガレ諭吉。

90 :諭吉:2006/09/13(水) 11:20:25
女子は男子よりも親の教えをよく守らなくてはならない、勝手気ままで
あってはならない、というのは、父母たる者は特に注意をして女子の
言行を取り締り、温良恭謙に導くとの意味だろう。温良恭謙は確かに
人間の美徳であるけれども、女子に限ってその教えをよく守らなければ
ならないというのは、女子に限って薬を大量に飲ませなければならない
という意味になってしまう。女子がこの大量の教えに耐えてめまいを
おこさないという保証がどこにあるだろう。その温良恭謙柔和忍辱の
教えにめまいを覚えれば、女子は万事控えめになってしまって人生の
活動の機会を失い、言うべきことも言えず、なすべきこともなさず、
聴くべきことも聴かず、知るべきことも知らないということになり、
ついには男子のために侮辱されてもてあそばれることになってしまう。
だから、古くから言われているように男子よりも云々といって男女を
区別してしまうのは、女性のためにはよくないことなのだ。

91 :女大学:2006/09/13(水) 11:41:14
女子は成長して他人の家へ行き舅、姑に仕えることになるのだから、
男子よりも親の教えをよく守らなくてはならない。父母が甘やかして
育てれば夫の家に行ってから気ままであるとして夫に疎まれ、または
舅の教えが正しいというのにそれを耐えがたく思って舅を恨みそしり、
仲が悪くなってついには追い出され恥をさらす。女子の父母が自分たちの
教育がきちんとしていなかったと反省せず舅、夫が悪いと思うのは
間違いである。これは全て女子の親の教育がきちんとできていなかった
せいである。

92 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 11:44:37
>>91に対しての諭吉のツッコミが>>84,>>86-87,>>90
順不同ですまん。


93 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 18:01:24
諭吉の偉大さに目から汗が止まりません。
家父長制の時代にこんな発言をする男性がいたとは。
諭吉すごいよ諭吉。こういう人になら三歩下がって慎ましくついて行くよ。

94 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 22:37:54
あげ

95 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 22:39:22
諭吉の年収は、現在の貨幣価値にすると、
200万円

ソースは今日のNHKで言ってたよー

96 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 22:49:44
えええええええええ

97 :95:2006/09/13(水) 22:56:08
あ、ごめん、年収200万円は幕末のころ。

身分制度はこわれてしまえ!
の根本はここにある。みたいなこと紹介してた。

98 :女大学:2006/09/13(水) 23:03:18
2.女は容貌よりも心が美しいのがよい。心の美しくない女は心騒がしく
眼恐ろしく、人を怒り言葉が下品で口ばかり人に先立って人を恨み妬み、
自分ばかりを誇って人をそしり笑い、人に勝ったような顔をしているのは
全て女の道として間違ったことである。女はただやわらかに従って貞信を
心がけ、情け深く静かであるのがよいのだ。

99 :諭吉:2006/09/13(水) 23:14:03
冒頭第一に「女は容貌よりも心が美しいのがよい」とある。女子の生まれ
つきの容貌を重んずるのではなく、心の美しいものがよいと書いて文章に
力をつけているのはなかなかの技だが、これは単に文章家の技として
見るべきものにすぎない。その後の婦人の悪徳を並べ立てる箇条は字の
如くまさに悪徳だが、心騒がしく眼恐ろしく云々、いかにも上流の人間には
あってはならないことであり、必ずしも女の道として間違っているだけでは
とどまらない。もちろん男の道としても間違っていることである。心気粗暴、
眼光恐ろしく、ややもすれば人に向かって怒り、言語粗野にして悪口を言い、
人の上に立とうとして人を恨み妬み、自分ばかりを誇って他人をそしり、
人に笑われながら自分の姿をかえりみず得意になっているのは実に下品な
ふるまいであり、男女にかかわらずそんな不徳は許されるものではない。
人間たるものは和順、貞信、人情深く心静かなのがよい。まことに申し分
のない教訓でありそうありたいことだが、この文章においては特にこの
教えを婦人のほうへばかり持ち込み、これこれは女の道として間違っている、
女の道はかくあるべし、と女ばかりを戒め、女ばかりにすすめるとは
全く理解できない。

100 :名無しさん@HOME:2006/09/13(水) 23:19:46
改行してほしいです。

101 :諭吉:2006/09/13(水) 23:28:44
例えば女は妊娠するのが天性の約束であるために、妊娠中はこれこれ
こういうことに気をつけるべしと、特に女子に限って教訓を言うのは
とてももっともなことだけれども、男女ともにおかしてはならない
不徳を書き並べて、男女ともに守らなければならない徳義を示して、
女ばかりを責めるとはおかしいのではないか。犬が人に噛み付いて
却って夜の番ができないのは悪い犬であり、能力のない犬である。
この悪い犬の特性を雌犬のほうにばかり話を持ち込んで、雌犬が
人に噛み付いて夜の番ができないのはよくない、とばかり言うのは
おかしい。雄犬なら悪くても能力がなくてもかまわないというのか。
議論片落ちであるといえるだろう。女大学の作者は有名な大先生
であるけれども(貝原益軒だと言われているが根拠はない)、全て
支那流で論じているために、どうしても男尊女卑の癖が抜けないようだ。
実際には夜にきちんと番をしないでともすれば人を叱り倒して人を
虐待するような振る舞いをするのは男子のほうに多いのだが、そこを
大目に見過ごして一人だけ女性の不徳をとがめるのは、いわゆる儒教主義の
ひねくれた見方であるといえよう。

102 :名無しさん@HOME:2006/09/14(木) 12:03:02
諭吉先生はもう実にごもっともなことを書いておられるのだが
正直なところ、比喩表現はあまり上手でいらっしゃらないなw
薬の例えも犬の例えも逆にわかりづらい。

103 :名無しさん@HOME:2006/09/14(木) 16:55:55
>>102
当時は性にまつわる表現に今より厳しいタブーがあって、喩えるのもなかなか難しかったのですよ

104 :女大学:2006/09/14(木) 23:06:19
3.女子は幼いときから男女の区別を正しくして、かりそめにも
戯れたることを見聞きしてはならない。昔の儀礼にて、男女は
席を同じくせず、衣装をも同じところに置かず、同じところで
湯浴みせず、物を受け取り渡すことも手から手へ直接にはせず、
夜は必ず灯りを取って行かなければならない。他人は言うに及ばず、
夫婦兄弟でも男女の区別は正しくしなければならない。
今時の民家ではこのような儀礼を知らずして、行動がみだらで
名を汚し、親兄弟に辱めを与え、一生、身をむなしいものに
する者がいるが、実にもったいないことである。女は父母の命令と
仲介がなければ、男とは交わらず親しまずと「小学」(儒学のテキスト)
にも書いてある。たとえ命を失っても、心を金石のごとく堅くして
義を守るべきである。


105 :諭吉:2006/09/14(木) 23:18:14
3.幼いときから男女の別を正しくして、かりそめにも戯れたることを
見聞きしてはならぬという。つまり、卑猥で不潔なことは目にも見ず
耳にも聞かぬようにするべしという意味であろう。もっともな教訓で
ある。これらは全て家風によるもので、幼い子供の父である家の主人の
行いがみだらで、愛人を囲ったり外で花柳に戯れるなどの乱暴があっては、
いかに子供を正しく教育しようとしても、卑猥で不潔な手本を一番
近い家庭の中で見聞きさせてしまっては、千言万語の教えも水の泡と
なってしまうだけである。
また、男女席を同じゅうせず云々と古くからの教えを示すのも
とてもよいことだが、人事繁多の今の文明世界においては果たして
この古い教えを実行すべきものであるかどうか、少々考えなければ
ならないところがある。
これも所謂言葉の采配、または売り物の掛け値と同様で、厳しく
戒めればしばらくの間少しは注意する者もあろうが、浅はかな
教訓であるから、実際に古い教えを守らせようとすれば表向きに
守るのみで、裏面では却って大きな不都合を生じる可能性すらある。

106 :諭吉:2006/09/14(木) 23:26:41
だいたい、男女交際の清濁はその人の気品によるものであり、
例えば支那主義の目で見れば西洋諸国の貴女紳士がともに談笑し、
同じ場所で湯浴みこそしないにしても同じ席で同じものを食べ、
物を受け取るには手から手へすることばかりか、その手を握る
ことを礼儀とし、男女の別なくしている様子は無礼な野民で
あるといえるだろう。しかしその内実をうかがえば別に野民
ではなく、品行清潔で金石のように堅固な者が多いのである。
つまり、気品が高尚なのは性欲に勝るからであると言わざるを得ない。


107 :諭吉:2006/09/14(木) 23:39:33
かつて東京に一人の男性がいた。西洋の文明を非常に好み、一切万事
改進進歩を気取っていながら、その中身は支那台の西洋メッキで、
特に道徳についてはいつも周公孔子を云々して、子供の教育には
「小学」または「女大学」などの主義を唱え、家法を厳重にして
親子が顔を合わせるにも賓客のごとく、行儀を乱すことなく、一見
甚だ美であるように見えた。しかし気の毒なことにこの男の身持ちが
不行儀で淫行をほしいままにし、妾を囲って外で女を買うばかりか
その男は地方出身の者で故郷に正妻を残し、東京に来てからはさらに
第二の妻と結婚していた。一妻一妾どころか二妻数妾のめちゃくちゃで、
子供たちはその厳しい父の厳重な命令を恐れて、何事においても
唯々諾々するだけで、心から尊敬していたわけではなかった。
何年もの間にその子供たちは「小学」を勉強して不孝の子となり、
「女大学」を暗誦してみだらな女となったのだ。儒教の家庭から
禽獣を輩出するとはおかしなことだ。

108 :諭吉:2006/09/14(木) 23:41:53
そういうわけで、男女交際は外面の儀式よりも中身の気品こそが
大切なのである。女子の気品を高尚にして名をけがすことのない
ようにしようとするならば、何はさておきまず父母の行儀を正しく
して朝夕子供に手本を示すことが一番肝要なことであろう。


109 :諭吉:2006/09/14(木) 23:51:33
また、結婚は父母の命令と媒酌がなければできないという。これも
非常にもっともなことである。民法親族編第771条に
「子が婚姻を為すには其家に在る父母の同意を得ることを要す。
但し男は満30年、女は満25年に達したる後は此限に在らず。」
とある。婚姻は人間の大事なことだから、父母の同意、つまり許可が
なければかなわない。しかし父母の意見を以って子に強制するのは
なおかなわないことである。父母に何か目的があって、無理に娘を
ある男の嫁に行かせようとして、大いなる間違いを起こすのは
よく聞くことだ。だから男30歳、女25歳以下でも、父母の命令を
以って結婚を強制することもまたできないのである。
また、子のほうからいえばたとえ30歳、25歳に達しても、父母が
健在であるときは打ち明け相談して同意を求めたほうが穏やかであろう。
法律はただ極端の場合の備えである。親子の情はそのような水臭い
ものではない。くれぐれも心得ておくべきだ。

110 :諭吉:2006/09/14(木) 23:57:57
また、結婚の上はたとえ命を失うとも心を金石の如く堅くして不義
するなとは最も良い教訓で、男女ともに守らなければならないもの
だが、わが国古来の習俗を見れば一夫多妻の弊害は多く、一妻多夫の
例は稀であるゆえ、金石のごとき心は男性のほうに望まれるものだ。
このようにして男を棚に上げて女子ひとりを戒めるのは、念入りな
教訓でありがたいけれども、方角違いであるといえよう。

111 :名無しさん@HOME:2006/09/15(金) 00:20:33
へええ〜。
旧民法って、30、25にならないと親の同意なしで結婚できなかったのか。
当時としてはかなりの晩婚じゃないか。

112 :名無しさん@HOME:2006/09/15(金) 07:18:41
>>111
事実上は「親が生きている限り」です

113 :女大学:2006/09/15(金) 23:20:44
4.婦人は夫の家を自分の家とするわけだから、中国では嫁入りする
ことを「帰る」と言う。たとえ夫の家が貧しくても夫を恨むことなく、
天から自分に与えられた運命であると認識し、一度嫁入りしたらその
家を出ないことが女の道であるというのが昔の聖人の教えである。
もしその女の道に背き、婚家を去るならば一生の恥である。
婦人には七去といって、悪いことが7つある。
1、舅姑に従わざる女は去るべし。
2、子なき女は去るべし。妻をめとるのは子孫相続のためだからだ。
しかし婦人の心が正しく、行儀よくして妬む心がなければ、去ら
なくとも同姓の子を養うべし。
3、淫乱ならば去る。
4、嫉妬深ければ去る。
5、癩病などの悪い病気があれば去る。
6、おしゃべりで慎みなく、物言いすぎるは親類とも仲悪くなり、
家が乱れるから去るべし。
7、物を盗む心あるは去る。
この「七去」はみな聖人の教えである。女は一度嫁に入ってから
その家を出された場合、たとえ富貴なる夫と再婚したとしても
女の道にはずれることとなり、大いなる恥である。

114 :諭吉:2006/09/15(金) 23:26:43
男子が養子に行くのも女子が嫁入りするのも、その事実は少しも
違うことがない。養子は養家を自分の家とし、嫁は夫の家を自分の
家とする。当然のことであるが、その家の貧富貴賎、その人の才能の
あるなし徳のあるなし、その体の強さ弱さ、その容貌の醜美に
いたるまで、よく吟味するのは全て婚約の前にすることだ。
裏に表に手を尽くして吟味に吟味を重ね、双方ともに「この人ならば」
と決断していよいよ結婚した場合、家の貧乏などを離縁の口実に
してならないことは女の道であるに限らず、また男の道として
守らなければならないことである。


115 :諭吉:2006/09/15(金) 23:33:35
最近の男子の中には往々にしてこの道を知らない。幼いときから他人の
家に養われて衣食はもちろん、学校教育のことにいたるまでも、
一切養家の世話に預かり、年頃になってからその家の娘と結婚する
者がいるが、養父母はまずこれにて安心と思いのほか、この養子が
立派に成長して一人前になって社会に頭角をあらわすと同時に、
養家の窮屈なのを嫌って離縁復籍を申し出て、ひどい者になると
結婚した妻を捨てて実家に帰るか、または独立して第二の妻をめとり、
意気揚々顔色しゃあしゃあとして恥じることのない者がいる。
不義理不人情、恩を知らない人にあらずの者であるけれども、
世間にこれをとがめる人がいないのはおかしなことである。

116 :諭吉:2006/09/15(金) 23:36:20
広い世の中にはずいぶん悪い婦人もいるものだが、その挙動を
見聞きして嫌う人はいるけれども、男性と女性を比べてみれば
そういった悪人は男子のほうに多いのである。このあたりを
見ると私は「女大学」よりも「男大学」の必要性を感じるくらいだ。

117 :諭吉:2006/09/15(金) 23:58:38
婦人に七去という離縁の理由を記しているが、
1、舅姑に従わざる女は去るべし とある。婦人の性格が粗野で根性が
悪く、夫の父母に対して礼儀がなく不人情ならば離縁もしかるべきだ。
2、子なき女は去るべし。 とある。実にいわれもなき口実である。
夫婦の間に子がない原因が男子にあるか女子にあるか、それは生理上
解剖上精神上病理上の問題であり、今日進歩している医学もなおいまだ
その真実を断言できるわけではない。夫婦が同居して子供のできなかった
婦人が偶然に再婚して子供を産むことがある。みだらな男子が妾など
何人もいながらついに一人もできなかったという例がある。
これらの事実もわきまえず、この女には子ができないと断定するのは
つまり無学の憶測であるといえる。子なきを理由に離縁すると
いえば、家に婿養子をとった場合の配偶者の娘が子供を産まないとき、
子供のできない男は去るべしとして養子を追い出さなければならない
わけだ。だからこの一説は女大学の作者もよほど勘弁したのか最後に
文章を足し、婦人の心が正しければ子がいなくても去らなくてもよいと
記したのは、さすがにこの離縁の法に無理があることを自覚した
ためであろう。 また、妾に子があれば妻に子がなくても去らなくて
よいとはもともと余計な文章であり、何のために記したのか理解できない。
推測するに、本文の始めに子なき女は去るべしとまず宣言して、
文章の末に至ったとき、妾に子があれば去らなくてよいと書いたのは
男子に妾をとる余地を与えて、暗々に妻をもって自分の地位を固く
しようとするため、妾をとることの悪さに言及することなく、かえって
これを夫にすすめているのではないかと深読せざるを得ない。
また実際、古くから大名などが妾をとるとき、奥方からすすめられる
ことがある。男子が醜悪をさらしながらその罪を妻に分かつとは
陰険であること甚だしい。女大学の毒筆には力があるのである。

118 :諭吉:2006/09/15(金) 23:59:46
長くてすまん。
今夜はここまで。

119 :名無しさん@HOME:2006/09/16(土) 00:05:24
諭吉乙。

>夫婦の間に子がない原因が男子にあるか女子にあるか、それは生理上
>解剖上精神上病理上の問題であり、今日進歩している医学もなおいまだ
>その真実を断言できるわけではない

この時代にこの見識。見事です!

120 :名無しさん@HOME:2006/09/16(土) 09:37:42
諭吉マジですごいage!
お札になるくらいの人はやっぱり違うわ!
今も万札だっけ?見てこよ…λ

121 :名無しさん@HOME:2006/09/16(土) 14:45:56
凄いぞ諭吉!!
>>119さんが言うように、不妊に関しての記述なんてホントこの時代の文章とは思えないぐらい時代の先行ってる。
現代でも、不妊の原因が男性にあることも少なくないってことを理解しない(頭でわかってても、
嫁のせいにしたい場合もあるよね。)ウトメも多いよね。
子がないなら妾の子引き取ってお家存続なんて時代に、諭吉、すばらし過ぎる。

「男大学」いいねぇ。何だかユーモラスで尚且つ説得力あるな。諭吉GJ!
慶応大学行くほど頭も金もなかったが、万札をしみじみ眺めるとしよう。

スレ違いになるけど、諭吉って、確か「日本人は忠臣蔵マンセーだが、私は疑問だ。」って書いてたような。
私も忠臣蔵マンセーじゃないから、共感持った記憶がある。
あの時代に女大学を手厳しく非難したり日本人が大好きな忠臣蔵に異を唱えたり、諭吉って結構すごい。

長文スマソ。

122 :諭吉:2006/09/16(土) 22:53:45
3、淫乱ならば去れという。わが国日本において、古来から今に至る
まで男子と女子のどちらが淫乱であろうか。その淫乱の深浅厚薄は
さておくとしても、淫乱を実際にたくましく実行するのは男子に
多いか女子に多いかは詮索に及ばず明白である。もし男女が同様に
淫乱であれば離縁される、とあれば、男子で離縁を言い渡される
者は女子に比べたら大多数となるであろう。これもまた方角違い
の教えである。

123 :諭吉:2006/09/16(土) 22:56:33
4、嫉妬深ければ去れという。これもまた理解しがたい教えである。
夫婦が同居しての夫の不品行は、取りも直さず妻を虐待することで
ある。共白髪を誓ったはずの妻がこれを争うのは正当防御、あるいは
誤ってのことである。これを称して嫉妬深いというのか。これは
離縁の理由とするに足らないことである。

124 :諭吉:2006/09/16(土) 23:11:44
5、らい病のような悪しき病があれば去れという。根拠のないこと
甚だしい。らい病は伝染性にて、しかたなく犯されることがある。
もともと本人の罪によるものではない。それを婦人が不幸にして
悪しき病にかかったのを以って離縁とは何事か。かりそめにも
夫としての人情があれば、離縁はさておき手厚く看病して、たとえ
全快に至らなくてもその軽快を祈ることが人間の道であろう。
もし、妻の不幸に反して夫がらい秒にかかったらどうすると
いうのであろう。妻はこれを見捨ててさっさと家を出なければ
ならないというか。私は甚だ不同意である。いや、作者先生も
おそらく不同意ではないのか。「孝婦伝」などを見れば何々
女は貞操無比、夫の悪しき病を看護して何十年一日のごとし
云々と称賛しているものが多い。先生もおそらく称賛者の一人
であることは疑いのないことである。それならば悪疾の妻には
会釈もなく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看病しろと
いうのか。ますますわからないと小一時間(ry

125 :諭吉:2006/09/16(土) 23:18:14
6、おしゃべりで慎みない云々は去れという。これは漠然として
取り留めのないことである。要するに婦人がおしゃべりだと自然に
親類との付き合いも丸くいかなくなり、家に波風を起こすから
離縁しろとの趣意であろうが、多言寡言には一定の標準を定める
ことなど難しい。ある人にはおしゃべりであると聞こえてもまた
ある人にはおとなしいと聞こえることもあるし、その反対もある。
たとえおしゃべりでも、わずかにこの一点を根拠にして容易に
離縁とは納得できない。

126 :諭吉:2006/09/16(土) 23:19:54
7、物を盗む心あれば去れという。物を盗むにも軽重がある。ただ
これだけのことで離縁の当否を判断できるとは思えない。民法の
親族編などを参考にして決めたほうがよい。

127 :諭吉:2006/09/16(土) 23:28:24
以上、1〜7にについてはいろいろと文句はあるけれども、つまり
婦人の権力を取り縮めて自由をなくし、男子には思い通りに妻を
去らせる権利を持たせようとしているというほかはない。
「女大学」は古来から女子社会のバイブルであると崇められ、
一般の教育に用いて女子を戒めるのみならず、女子がこの教えに
従って萎縮すればするほど男子のために便利であるがゆえ、男子の
ほうがかえって女大学の趣意を唱えて自分の我が儘をほしいままに
しようとすることが多い。
ある地方の好色の男子が常に不品行を働き、妻の苦情に我慢できず、
一策を案じて妻をキリスト教会に入会させたという。その目的は
ただ女性の嫉妬心を和らげて自分の獣行をたくましくしようとの
計略であったから、妻の苦情がついにおさまることがなくて失望
したとのおかしな話がある。この世の中の男子に女大学の主義を
云々するのは、多くはこういった好色の男子のすることで、
我田引水といわざるをえない。女子は油断禁物である。

128 :名無しさん@HOME:2006/09/17(日) 00:14:50
諭吉先生、「小一時間」ってww

129 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 00:11:36
期待age

130 :ここまでのまとめ:2006/09/18(月) 00:58:19
>>40-41http://blechmusik.xrea.jp/labs/hirayama/h30-02.html
  >福沢諭吉は生涯、奥さんとしか関係を持たなかった。
>>54-56:福沢諭吉のまわりの人も、「福沢諭吉的家庭論」に影響されていた?

###############
>>91:【女大学 その1】
  >女子は成長して他人の家へ行き舅、姑に仕えることになるのだから、
  >男子よりも親の教えをよく守らなくてはならない。

 >>84-90:諭吉の反論

###############
>>98:【女大学 その2】
  >女は容貌よりも心が美しいのがよい。心の美しくない女は心騒がしく眼恐ろしく、(略
  >女はただやわらかに従って貞信を心がけ、情け深く静かであるのがよいのだ。

 >>99-101:諭吉の反論

###############
>>104:【女大学 その3】
  >女子は幼いときから男女の区別を正しくして、
  >かりそめにも戯れたることを見聞きしてはならない(略

 >>105-110:諭吉の反論

###############
>>113:【女大学 その4】
  >たとえ夫の家が貧しくても夫を恨むことなく、天から自分に与えられた運命であると認識し、(略
  >女は一度嫁に入ってからその家を出された場合、
  >たとえ富貴なる夫と再婚したとしても女の道にはずれることとなり、大いなる恥である。

 >>114-117:諭吉の反論

131 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 06:00:30
>>40
女中の何が悪いのか?と最近思うようになったよ。
隣のフランス人の家はうまいことどこからかおばあさん見つけてきて、
週5日かよいで家事やってもらってる。うちと同じ共稼ぎだけど、
家の中も庭もキチッとなっててうらやましいよ。
両親が貧しいだけでなく、教育も教養がなくても、きちんとした家に奉公に出れば
子供にはそれなりに家事や行儀作法も身に付き、合理的なシステムだったんだと、
いましみじみ思うよ。

132 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 09:01:54
江戸時代には小半時(こはんとき)という表現があった。
半分は1/2 小半分は1/4のことで 一時(いっとき)は2時間だから
小半時は一時の1/4の30分を意味した。

文明開化の世となって24時間制の時計を使うようになると
世間の人は無意識に1時間=半時(はんとき)と換算して生活するようになった。
そこから小半時 を 小・半時 と分解して 小一時間 と変換する用法が生まれたらしい。

133 :諭吉:2006/09/18(月) 14:02:54
さて、女大学の離縁法は以上に記したる七去であるが、民法親族編
第812(3)条に、夫婦の一方は以下の場合に限り離婚の訴を提起することが
できると書かれている。
1、配偶者が重婚を為したるとき
2、妻が姦通を為したるとき
3、夫が姦淫罪に因りて刑に処せられたとき
4、配偶者が偽造、賄賂、猥褻、窃盗、強盗、詐欺取財、
受寄(財)物費消、贓物に関する罪若しくは刑法第175・260条に
掲げたる罪に因りて軽罪以上の刑に処せられまたはその他の罪に
因りて重禁錮3年以上の刑に処せられたるとき
5、配偶者より同居に堪えざる虐待または重大なる侮辱を受けたるとき
6、配偶者より悪意を以って遺棄せられたるとき
7、配偶者の直系尊属より虐待または重大なる侮辱を受けたるとき
8、配偶者が自己の直系尊属に対して虐待を為しまたは(これに)
重大なる侮辱を加えたるとき
9、配偶者の生死が3年以上明ならざるとき
10、婿養子縁組の場合において離縁ありたるときまたは養子が家女と
婚姻を為したる場合において離縁若しくは縁組の取り消しありたるとき

これは今日わが国民一般が守るべき法律で離縁が許されるのは以上の
10箇条に限るということであり、その他はいかなる場合においても
双方の相談合意がなくては離縁することができないということだ。

134 :諭吉:2006/09/18(月) 14:13:17
三行半の離縁状などは昔の物語であり、今日は全く別世界であると
思わなくてはならない。だから女大学七去の箇条中、1、舅姑に
順ならざるの文字を尊属虐待侮辱などの意味に解釈すれば離縁の
理由になるかもしれないが、その他はどれ一つとして民法に
あてはまるものがないようだ。法律に当てはまらない離縁法を
世に公にするのは人に誤解を与える恐れがある。
例えば国民の私裁復讐は法律では許されないことである。だから
今新たに書物を書いて「盗賊または乱暴者あればこれをとりおさえ
た上で打つなり斬るなり思う存分に懲らしめてよい。親の敵は
政府の手を煩わすに及ばない。孝子の義務としてこれを討ち取る
がよい。曾我の五郎十郎こそ千載の誉れである。末代までの
手本となれ。」などと書き立てて出版したとしたら、発売を禁止
されるかもしれない。なぜかといえばこれは現行の法律の旨に
背くことだからである。

135 :諭吉:2006/09/18(月) 14:18:27
これも小説物語の戯作ならばまあ発売禁止にならなくてすむかも
しれないが、家庭の教育書、学校の教科書としては異論が出ること
必須である。女大学は小説でもなく、戯作でもなく、女子教育の
バイブルとして、地方では今なお崇拝されるものでありながら、
そのバイブルの中に書いてある内容は明らかに現行の法律に背いて
いるものが多い。それが人々に与える影響は大きく、人々を誤解させて
法の上での罪人にさせてしまうことにもなりかねない。教育家は
もちろん政府においても注意しなければならないことである。

136 :女大学:2006/09/18(月) 19:46:16
5、女子は自分の家においては、自分の父母にもっぱら孝を行う道理
である。しかし、夫の家に行ったならばもっぱら舅姑を自分の親よりも
重んじて、厚く慈しみ敬い孝行を尽くすべきである。自分の親の方を
重んじ、姑の方を軽んずることがあってはならない。舅姑の方への
朝夕の見舞いを欠くべきではない。舅姑の方への勤むべき業を怠っては
ならない。
もし舅姑に言われたならば、その通り慎み行って背いてはいけない。
すべてのことを舅姑に問い、その教えにまかせるべきだ。舅姑がもし
自分を憎み誹っても、怒り恨んではいけない。孝を尽くして誠意を
もって仕えれば、後は必ず仲良くなるものだ。

137 :諭吉:2006/09/18(月) 19:55:05
5、女子は自分の家で養育されている間は父母に孝行を尽くすのは
もちろんであるが、他家に縁付いた後は自分の父母よりも夫の父母で
ある舅姑の方を信愛し尊敬してもっぱら孝行しなくてはならない、
かりそめにも実の父母を重んじて舅姑を軽んじてはならない、一切
万事舅姑の言うがままに従えという。
・・・このように無造作に書き並べて教えるのはわけもないようだが、
これが人間の本能でできることかできないことか、人間の普通の常識
常情で行えることか行えないことか、よく考えなくてはならないところ
である。実際にできないことを勧め、行えないことを強制するのは
もともと無理な注文でああるから、その無理はついには人に偽りを
行わせるに至ってしまうであろう。女子が結婚した後は実の父母よりも
舅姑のほうを親愛するべきだといっても、舅姑は夫の父母であり
自分の父母ではないのだ。父母ではない者を父母のごとくするのみか
父母に対するよりもさらに情を深くしてこれを親愛せよとは、本能に
かなわないことではないだろうか。

138 :諭吉:2006/09/18(月) 20:00:58
たとえば年若い婦人が出産のとき、その枕辺の万事を指図し世話をし
看護するのに、実の母と姑ではどちらが産婦のために安心であろうか。
姑も決して薄情ではあるまいし、その安産を祈る心は実母と同様で
あろうが、ここが骨肉微妙なところであって、なにぶんにも実母
でなければ産婦の心を安心させるには不十分であろう。
また、老人が長患いをしているとき、その看病に実の娘と養子である
嫁とどちらがいいかといえば骨肉の実子に勝る者はないであろう。
これは親子の実際のところを現すところで、その間に心置きがなく
遠慮がないからである。その遠慮のないところは親愛の情がこまやか
である証拠である。その愛情は不言の間にあって、世の中の親子は
皆そうなのである。

139 :諭吉:2006/09/18(月) 20:08:10
ただ出産や介護の問題だけではない。人間の子として父母を親しみ
父母を慕い、父母として子を愛し子を親しむのは人間の本能だり、
女子が他家に嫁いだからといって実の父母を第二にしてもっぱら
舅姑のほうを親愛し尊敬して孝行せよとは、つまりできないことを
強制しているといってよい。もし尊び敬えと教えるならば舅姑は
もともと尊属目上の人であるから嫁としてはこの教えに従うのが
当然であるけれども、親しみ慈しむの一段に至っては舅姑を先に
して父母を後にするというのは子たる者の心情においてはできない
ことではないだろうか。論より証拠、古今東西に例がない。
もし万が一例外があるとしたら、何か理由があるはずだ。
人に教えを授けるのに人間の情以外の難しいことをもってするとは
教育家としてあるまじきことである。

140 :諭吉:2006/09/18(月) 20:14:35
もともと、「尊敬」は外に向かってするべきもので、「親愛」は
内に向かってするべきものである。内に親愛の情がなくても外面だけ
尊敬の礼を表することはたやすいから、舅姑に対して朝夕の見舞いを
欠かすべからずと教えれば、教えの通りに見舞うことも簡単だろう。
勤めるべき業を怠るべからずといえばその通り勤めることも簡単だ。
嫁の役割と思えば勉強すべきことだけれど、その教訓がどんどん厳重に
なってしまえば自分を守ることが困難となり、内実の親愛の情は
どんどん冷却してしまい、まさに内寒外温、ついには水臭い間柄と
なるのは自然のことである。つまりこの場合の舅姑と嫁とでは
親子でもない者を親子のようにしようとして失敗するものという
他はない。世間にはそういった例が甚だ多いのだ。


141 :諭吉:2006/09/18(月) 20:19:26
このあたりを見ると女大学は人に無理を求めて却って人に偽りを
行わせるものであり、虚飾虚礼を以って家族団らんの実を破る
ものであるといえる。私の所見でいえば、家庭での交わりには
一切人為の虚を構えないで自然の真実に従ったほうがよいと思う
のである。嫁の身であれば舅姑は夫の父母であって自分の父母で
はないのだから、そのありのままにまかせ、これを家の長老尊属と
して丁寧に扱うのはあたりまえだけれども、実父母同様に親愛の
情がないのはまたこれもあたりまえのことで、はじめからお互いに
余計なことを求めずに、自然のなりゆきにまかせて円滑をはかるのが
一家の幸福であるだろう。

142 :諭吉:2006/09/18(月) 20:23:13
世の中には男女が結婚した後、両親と別れて別居する者たちがいる。
これは非常に人情に通じた処置といえるだろう。その両親から
遠ざかるのは逆説的に離れないという法であり、私のあくまでも
賛成するところである。中には家の貧富やその他の事情によって
別居することが難しい場合もあろうが、たとえ同居したとしても
老夫婦と若い夫婦との間は相互に干渉することなく、その自由に
まかせて双方の苦労を共になくすことが理想なのである。

143 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 20:56:41
支援

144 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 22:41:27
朝夕にウトメを見舞うだと…ゲロゲロ〜!

このスレ、諭吉が素晴らしいのはもちろんなのだが
女大学の呆れた文章にただ驚くよ。

145 :名無しさん@HOME:2006/09/18(月) 23:30:24
女大学の内容って、「脳内願望の垂れ流し」みたいだよね
バカらしくって、いっそ笑える

146 :女大学:2006/09/19(火) 09:38:58
6、婦人には特別な主君がない。夫を主人と思い敬い慎みて仕える
べきだ。軽んじて侮ってはならない。総じて婦人の道は人に従うに
あり、夫に対するには顔色言葉使い慇懃にへりくだって、素直に
従うことである。おごって無礼であってはならない。これが女子
第一の務めである。夫からの教訓があればその仰せに背いては
ならない。疑わしきことは夫に問うてその指揮に従わなくては
ならない。夫から問われたならば正しく答えなくてはならない。
その返答がおろそかになるのは無礼である。夫がもし腹を立て
怒るときは恐れて従わなければならぬ。怒り争いてその心に
逆らってはならない。女は夫をもって天とするのだから、返す
がえすも夫に逆らって天の罰を受けるべきでない。

147 :諭吉:2006/09/19(火) 09:40:23
6、婦人には主君がないという。この主君とはそもそも何者で
あろうか。女大学の作者は封建時代の人であるから、何事に
おいても全てその時代の有様を見て立論しているから、君臣
主従とは藩主と士族との関係のことをさしているのであろうか。
士族たる男子には藩の公務があるけれども妻はただ家の中に
いるがためにに婦人には主君がないと言い放っているので
あろうか。もしそうであれば、百姓や町人は男子でも藩務に
関係がないのだから男女ともに主君がないと言わなければ
ならない。これは不都合な言い方である。

148 :諭吉:2006/09/19(火) 09:40:55
もしかすると、百姓は年貢を納め、町人は税金を払うわけで、
これもお国のためにすることだから、やはり主君がいると
言う人がいるかもしれない。それならば、その年貢なり税金は
男子だけが働いた結果ではない。男女が共に力を合わせて
公用を勤めた結果であるのだから、そのうちの女だけが主君に
つかえていないというのは不都合な言い方である。
結局、風権流儀の考え方で婦人に主君なしなどと言うのは
それ自体矛盾に満ちた荒唐無稽の言い草であると言わねば
なるまい。

149 :諭吉:2006/09/19(火) 09:41:33
まあ、それは枝葉末節の議論であろうから、さておくとして
本質的な問題はその先にある。
婦人が夫を軽んじたり侮ったりしてはならない、というのは
まことにもっともな教えで、確かに守らなければならない
ことだろう。しかし、よく考えてみれば、現在の男女の
間柄においてこの慎み敬うということに関しては、その
弊害の大きいものを矯正しようとするなら、私としては
むしろ夫のほうをより強く戒めたいと思うのだ。

150 :諭吉:2006/09/19(火) 10:20:25
だいたい、男というものは、とにかく粗野で慎みのない
性質を持っているものだから、この教訓は確かに男たちに
向かって諭したほうがよろしい。もともと婦人は物事に
対して繊細な神経を持っていて、男子に比べるとものに
感じやすいのだ。そこで、世間の夫たちの行状を観察
すれば、とにかく無礼無作法粗野暴言を吐き散らし、
威張り散らして、家人を驚かせて家庭の調和を破る
ことが多い。ならば、慎み、敬い、ということを心して
暮らすべきなのは、男子第一の務めであると言わねば
ならないだろう。

151 :諭吉:2006/09/19(火) 10:21:44
つぎに「夫からの教訓があればその仰せに背いてはならない。
疑わしきことは夫に問うてその指揮に従わなくてはならない。
夫から問われたならば正しく答えなくてはならない。その返答が
おろそかになるのは無礼である。夫がもし腹を立て怒るときは
恐れて従わなければならぬ。怒り争いてその心に逆らっては
ならない。」などと言っている。
これはもしその夫が知徳円満な君子人であれば確かにその教訓に
従って、または何でも疑わしいことがあったら質問して教えを
乞うべきであることにも一理はあるが、これらはその夫の人物
いかんによることである。単に夫だからといってわけもわからない
無法なことを命令されてそれに盲従するなどというのは、妻たる
者の道ではない。

152 :諭吉:2006/09/19(火) 10:22:50
ましてやその夫が立腹し癇癪を起こして乱暴をするなどというのは
言語道断である。少しもそんな者に従うべき道理がない。
そういうときは、まともに相手にして妻も一緒に争ってはならない。
まずは、これは病気なのだ、発作なのだと見放してとにかくその場を
なんとかすかしたりおだてたりしておさめておき、あとで正気に
なったときを見計らってよく妻のほうから夫を教訓するというのが
やむを得ぬ処置である。しかし、その無法な夫が立腹している事柄の
理非曲直を問うことなくして、ただもう夫だから従えなどというのは、
あきれた暴言である。そんなことが通るとすれば、まさに婦人は
男子の奴隷にすぎないということになる。

153 :諭吉:2006/09/19(火) 10:26:37
最後の一段に「女は夫を以って天とする」云々とあるが、もう
何を言ったらいいのか。まじめに批評する気にもなれない。
もし妻が夫をを天とあがめよというのなら、夫は妻を
神として崇敬するべきだ。妻が夫に逆らって天罰を受けるな
というのなら、反対に妻を虐待して神罰を被ることなかれと
私はぜひ言っておきたいのである。

154 :名無しさん@HOME:2006/09/19(火) 12:16:33
>>145
丸ごと同意。細○数子みたいな理屈だよね

155 :名無しさん@HOME:2006/09/19(火) 13:36:08
最初は諭吉SUGEEEEEと思ってたけど、よくよく考えてみると
諭吉の言っていることって現代では本当に当たり前の事なんだよね。
むしろこの「女大学」とかいう男尊女卑基地外の垂れ流した妄想駄文が
女のバイブルとして長い間信じられ、有り難がられて来たことに
とてつもない嫌悪と恐怖を感じる。

男女平等の時代に産まれて来られて本当に良かった。

156 :名無しさん@HOME:2006/09/19(火) 19:47:05
低学力・低学歴的文章をありがとう

157 :女大学:2006/09/19(火) 23:47:43
7、夫の兄、姉は兄弟であるから敬うべきだ。夫の親類に誹られ
憎まれるのは、舅姑の心に背くことで自分のためにもよくない。
むつまじくすれば舅姑の心にもかなう。また、兄嫁と親しみ
むつまじくすべきだ。ことさら夫の兄嫁は厚く敬うことだ。
自分の兄姉と同じように重んじなくてはならぬ。

158 :諭吉:2006/09/19(火) 23:48:18
7、小舅、小姑に敬礼を尽くして舅姑の心を傷つけず、実の
兄嫁と親しんで特に夫の兄嫁を厚く敬うのは、家族や親類と
交流するときの義務であって、もっともなことであるけれども、
夫の兄と兄嫁とはもともと骨肉の縁がないのであるから、これを
実の兄弟姉妹と同様にしろとは理解できない。一通り仲良くして
むつまじくきれいに付き合うのはよいだろう。私もつとめて
勧告することだが、本当の親愛の情に関してあれとこれが
同じようにできるであろうか。私は人間の天性に訴えて
できないことだと断言するのである。

159 :名無しさん@HOME:2006/09/20(水) 00:47:41
女大学って今となってはほとんどギャグだが、
農家スレなんか見てるとそのギャグがまだまかり通っていたりするからオソロシス


160 :名無しさん@HOME:2006/09/20(水) 18:44:01
つい何度も読み返してしまう・・・。


161 :女大学:2006/09/21(木) 00:08:34
8、嫉妬の心は、ゆめゆめ起こすべきでない。男が淫乱ならば、
いさめるべきだ。怒り恨んではならない。妬みが甚だしければ、
その気色言葉も恐ろしくすさまじくなって、かえって夫に疎まれ
見限られるものである。もし夫に不義、過ちがあれば、自分の
顔色を和らげて、声を柔らかにして諫めるべきだ。諫めを聞かず
に怒るならば、まずしばらくやめて後に、夫の心が和らいでいる
きに、また、諫めるべきだ。決して気色を荒くし、声を荒らげて
夫に逆らい背くことがないように。

162 :諭吉:2006/09/21(木) 00:09:05
8、この章はもっぱら嫉妬心をいましめるとの趣意であるから、
私はまずその「嫉妬」なる文字の定義を明らかにしようと思う。
おおよそ、他人のすることで自分の利害には関係のないことを
羨み、恨み憎らしく思い、甚だしいことには根もないことに
腹を立てて他人の不幸を祈り他人を害しようとすること、
これを「嫉妬」という。

163 :諭吉:2006/09/21(木) 00:14:29
例えば「隣の家は非常に繁昌していて財産も豊かであるのに、
自分の家は貧乏の上に不幸せばかりが続いている。羨ましい
ことだ、憎らしいことだ。隣の翁が何々の方角に土蔵を
建てて鬼瓦を上げるのは我が家を睨み倒そうとしていると
いう意味だ。彼の土蔵が火事で焼けたら面白いだろう。
いや、人の見ていない間に火をつけてくれよう。」
などと世にもあらぬことを思って一人煩悶するようなことは
嫉妬の最たるものであって、ゆめゆめ発してはいけない
ことである。私もそのような嫉妬心については堅くいましめ
たいと思うのだが、本文でいう嫉妬の心云々とは果たして
この種の嫉妬といえるであろうか。よく吟味したほうが
よいと思うのである。

164 :諭吉:2006/09/21(木) 00:16:02
書中では、男が淫乱ならば慎むべきだとある。なぜかと
いうと、夫の淫乱不品行は実証が明白であり、このことは
果たして妻である者の身に関係のないことであろうか。
隣の富豪の翁が財産を蓄え土蔵を建築したなどの類に
比較すべきものであろうか。隣の家の貧富は我が家の利害に
関係ないといっても、夫の淫乱不品行は直接に妻の権利を
害するものであるから、もとより同日の論ではない。


165 :諭吉:2006/09/21(木) 00:16:59
そもそも一夫一婦が家にいての偕老同穴は結婚の契約で
あり、その夫婦の一方が契約を無視してあえて淫乱不品行を
ほしいままにし、他の一方を疎外するようなことは
つまりこれを虐待しこれを侮辱することで、破約加害の
大なるものである。だから被害者である婦人が正々堂々の
議論を以ってその罪を責めるのは、契約の権利を守る
方法である。べつに嫉妬の痴情に駆られた結果ではない。

166 :諭吉:2006/09/21(木) 00:18:16
但しこういったことを議論するのに声色をやわらかく
するのは上流社会に生きる人間の態度としてふさわしい
から、自然にそうするのがよいだろう。私もそういった
野蛮、粗暴なことを好まないし、女性として当然の態度で
あろう。
しかし、実際に不品行があればその罪は少しも許しては
ならない。少しも容赦してはならない。そのために男子が
怒ることがあるのも恐れず、こころを金石のようにして
争うことは婦人の本分であろう。女大学の作者はこういう
正論をさして嫉妬というのか。私はこれを婦人の正当防衛と
認め、その気力の確かなことを勧告する者である。

167 :諭吉:2006/09/21(木) 00:23:36
今夜はここまで。
眠くて文章がおかしくなってしまったところがあるが
許してほしい。
「野鄙」「粗暴」といった言葉をついついDQNと訳したく
なってしまう我輩である。


168 :名無しさん@HOME:2006/09/21(木) 00:33:10
諭吉さん、乙でした。
毎日楽しみに拝読いたしております。

169 :名無しさん@HOME:2006/09/21(木) 00:49:23
諭吉さん、ありがとうございます。
無理しないでくださいね。

170 :名無しさん@HOME:2006/09/21(木) 00:57:00
>>167
>「野鄙」「粗暴」といった言葉をついついDQNと訳したく
↑確かにその通りですね

171 :諭吉:2006/09/21(木) 11:13:19
女大学の作者は前節婦人七去の条に、淫乱ならば去ると記し、
婦人が不品行を犯した場合は罪に放たれると宣告しているが、
今ここではうって変わり、男子が同様の罪を犯したときには
婦人はこれを怒りもせず恨みもせず、気色言葉を柔らかに
して、却ってその犯罪者に見限られないように注意せよと
言う。これは大変不公平なことで、ただ驚くばかりである。

172 :諭吉:2006/09/21(木) 11:15:12
つまり女大学の作者は婚姻契約の重さを知らない。また婦人の
権利も知らない。あたかも婦人を男子の手中の物として、
要はただ服従の一事であるとしている。
その服従の極み、男子の淫乱獣行をも軽々と見過ごせと
言う。もし婦人の権利を主張しようとしたら、たちまち
「嫉妬」の二文字を持ち出してこれを威嚇し制止しようと
している。

173 :諭吉:2006/09/21(木) 11:16:17
これをたとえるなら、青天白日、人に物を盗まれて
証拠が充分にあるのに、盗賊を捕まえて問い詰めようと
すればすぐに「貪欲」の二文字を持ち出し、貪欲の心は
ゆめゆめ発してはならぬ、物を盗む人がいたならば言葉を
やわらかにしてこれをやめさせるべし、怒ったり恨んだり
してはならない、なおその盗人が物を返さず怒ることが
あればしばらく中止してまた後にしろ、と教えるような
ものである。婦人の権利を無視してその人をばかにする
のも甚だしいといえるだろう。

174 :諭吉:2006/09/21(木) 11:17:23
あるいは婦人がみだりに男子の挙動を疑い、根もないことに
立腹して平地に波を起こすような軽率もあるだろう、これが
所謂嫉妬心である。しかし、今の男子社会の有様は手間隙
かけて疑いを探るには及ばない。公然の秘密というよりも
むしろ公然の公として醜態をあらわにしている者が多いのだ。

175 :諭吉:2006/09/21(木) 11:23:35
家に遺産がある者、また運がよく新たに家を成した者、
政府の官僚、会社の役人、学者も医者も寺の和尚も、
衣食すでに足りてそれ以上に何の望みがるかと尋ねれば
取り急ぎはつまり性欲をほしいままにすることが一番で
あるという。その方法には陰あり、陽あり、幽微あり、
顕明ありだが、所謂浮気者は人目も憚らず遊郭に狂い
芸者に戯れ、醜態百出人面獣行をさらし、憚ることを
知らないで平気である者がいるのだ。

176 :諭吉:2006/09/21(木) 11:24:55
それ以上に醜行が念入りで陰気になると、召使または
側室などと称して自分の家の中に妾を囲って厚かましくも
妻と雑居させるか、または別宅を設けてこれを養い
一夫数妾にして得々と自慢している者がいる。
まさしく五母鶏、二母?(豚)を実際に行っている
もので、これを評して獣行というより他に穏当の語は
ないであろう。

177 :諭吉:2006/09/21(木) 11:25:28
鶏と豚はまさに鳥獣であるため、五母二母どれが妻で
どれが妾であるかその区別もなく、またその間に嫉妬心も
見えず権利論も起こらないようだけれども、万物の霊で
ある人間はそうではない。
人倫の大本として夫婦婚姻を契約したその婦人が、
配偶者の狂乱破約を見たら不平ではないと思うほうが
おかしい。その不平の意をあきらかにして破約者の
非を改めようとするのは婦人の権利である。
みだりに嫉妬なる文字を濫用してたくみにこれを説き、
またしても婦人の嫉妬など唱えて以って世間を騙そうと
しても、人生の権利は到底無視できないのである。

178 :名無しさん@HOME:2006/09/21(木) 23:11:39
ここまで言わないと男女平等が理解されない時代だったんだね…

179 :名無しさん@HOME:2006/09/21(木) 23:24:13
今、女がこの話を聞いたら暴走しそうだけどな。

180 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 09:04:21
このスレためになるなあ。ただ上から読んでくるだけで福沢諭吉先生の女性論をマスターできるうえ、
現代人の平均的リアクションまで知ることができる。

おれとしては、諭吉はかなりいいことを言っているように感じられるが、上野東大教授ら左翼フェミニ
ストにとっては、やはり福沢は人民の敵、になるらしい。

なぜなら、同じ女性である下女の「女中奉公」を当然の前提にしているから。中上流階級の「奥様」は
解放されても、それは下層の女性たちの犠牲の上でしかない、というのが上野らの理屈。

181 :180:2006/09/22(金) 09:17:38
過去レス見てみたら、>>131さんが上野教授らへの反対意見を述べていたんですね。
もっと注意して読み返すべきでした。

182 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 10:10:19
福沢先生が、実名でこんな立派な女性論を発表しているのと同時期に、
匿名の社説では、「台湾で蜂起した原住民を皆殺しにせよ!」、
なんていうトンデモ論を、書くことなんてありえるかあ、
という素朴な疑問が、「福沢諭吉の真実」を書くきっかけになったと、
平山さんがどこかに書いていた。

183 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 10:30:58
きちんとお金を払って働いてもらっている女中さんにより良く働いてもらう
(働いている人達が気持ち良く働けることも含む)ための心得と、
彼女らの職務に加えて小作り・子育て・旦那およびその親への絶対服従、
旦那からの浮気暴力借金などを優しく許してたしなめるw義務を
無 償 無 条 件 にやらなければならなかった『妻』の解放を訴えることは
決して矛盾していないもんな。

ある漫画のセレブな奥様が、
「使用人をよく働かせるコツは、その人が使用人としての誇りを持てるようにしてあげること、
 一生使用人として働いていたいと思わせてあげることよ」
というようなことを作中で語っていて、なるほどと思った。

184 :180:2006/09/22(金) 10:54:38
>>183
でもさ、おれ自身は君と同様に福沢にハゲ同だけど、それでは家政婦は一生家政婦のまま、階級上
昇なんて不可能ということになる。

「あたしだって奥様になりたいのよ」、という家政婦(市原悦子演?)の心の叫びにたいして、諭吉先生
ならどう答えるのかな?

185 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 12:29:21
>>184
それは福沢先生ご本人に聞いてみないと何とも……
士農工商制度のせいで、武士の子は武士、農民の子は農民にしかなれなかった
江戸時代に今より近いから、流石の福沢先生と言えどもその辺は保守的なのかもな。
現代で言うなら、皇族の人達が「私だって平民みたいに自由に生きたい!」
と言うのと同じように聞こえるんじゃないかな、その心の叫びも。

ただ、男尊女卑バリバリな女大学の時代に、もし女として産まれる羽目になったなら
自分なら誰かの嫁になって苦労するより、家政婦として一人で苦労する道を選ぶよ。
お給金もらってる家の御主人になら多少偉そうにされても我慢できるし、
暴力振るったりするようなDQN主人ならお暇をもらってよその家を探したりもできる。
嫁入りしちゃったら永久にそこから逃れられない。そんな奴隷人生は真っ平だ。

186 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 12:37:45
……って、家政婦になれるような低層民に生まれなきゃその道も選べないわけかorz
頑張ってDQNに振る舞って離縁されるか、旦那を早めに殺して未亡人になるか……
そんな非人道的手段を取らなきゃ自由になれないとは皮肉なことよ。

187 :180:2006/09/22(金) 13:11:58
>>185
家政婦がより自由というのはどうかなあ。自由に振舞うには経済的基盤が必要だけど、
戦前の女中にはほとんど小遣いくらいの賃金しか支払われなかった、と聞くよ。

その代わり、女中思いの奥様は、お稽古事などをさせて、いいところに嫁に行けるように
したそうな。

>>186
まあ、階級上昇は難しいけど、下降のほうは簡単だったそうですよ。要するに、使用人の
若い男と密通すればすぐに離縁だったわけで。

家庭から追放されたら経済的基盤もなくなって、自由どころか生命の維持さえ困難な状
況に陥ってしまうのが昔の恐ろしいところ。近松の「心中」ものの世界ですな。

188 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 13:38:38
>>187
現代風の自由を求めるならそりゃ経済的基盤が必要だろうけど
お屋敷の寝食住を与えてもらった上で、お小遣い程度にも給金がもらえるのなら
「使用人としての自由」はある程度謳歌できると思うよ。
長いこと一軒にお務めして家人の信頼を得れば老後の心配も皆無だし。

女大学の文言を都合のいいように解釈したクソと縁組みさせられるぐらいなら
細腕一本の孤独な生き方の方がまだマシだ、とどうしても思ってしまう。
自分は結婚に夢も希望も抱いてないから特に。

自分の家に入った女にはどんな仕打ちをしても良い、と洗脳されたけだものに仕え
そのけだものの親に従い、そのけだものの仔を孕まされる人生を
「女の幸せ」と呼んでいた時代が本当にあったんだな……。

189 :180:2006/09/22(金) 14:08:54
>>188
姑はいずれ死にますから、いつまでも嫁いびりの地獄の日々が続くというわけでもなかった
でしょう。ただ、江戸時代のとくに武家の嫁がつらかったのは事実なようで、それは、彼女ら
に子供を産むこと以外に何も求められる役割がなかったことに起因しているようです。

農家や商家の場合は、一緒に田植えをしたり帳簿をつけたりするのですから、夫婦の共同
作業の部分も多く、妻(母)の家庭内の地位は相応に高かったのです。益軒に仮託されて
いる「女大学」は武家のお話、ということになります。

190 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 14:16:26
>>189
あー、農家や商家の庶民が武家のマネをしだして
本家だの分家だの言い出したから
庶民の嫁も苦しむようになったのか。

191 :180:2006/09/22(金) 14:42:49
>>190
「武家のマネ」というよりも、江戸時代までは身分によって異なっていた法律が、明治時代になって一律に
適用されることになって、問題が拡大したようです。

たとえば武士の場合、家督は「男子のみ」にしか相続できませんでしたが、商人の場合は「女子にも」相続
が可能でした。要するにノレンは娘でも守れたのです。

ところが、明治以降は紆余曲折の末、女性戸主は認められない、ということになり、商家の婿養子でもそち
らが主人とされることになりました。「あの番頭上がりが……」とやっかみを受けて、そうした婿養子はさぞ辛
かったでしょう。

話がそれましたが、簡単にいえば、明治以降は上からの強制によって、本スレの話題の焦点である嫁姑問
題についても、旧武士階層ばかりではなく、一般庶民にまで広まった、ということですね。

192 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 14:46:06
>>191
現代の法律は平等になったはずなのにね。
なぜか昭和生まれの人間にも、広まっていない。

193 :180:2006/09/22(金) 15:16:01
>>192
その通りです。明治ごろに強固に形成されたイエの概念は、法律が変わっても容易には解消されて
いません。「配偶者」、といって夫も妻も対等なはずなのに、なぜか社会通念上は妻がより強い拘束
を受けて当然、というおよそ合理的でない気風が残っています。

福沢については詳しくなかったので、「諭吉」さんの現代語訳は勉強になりました。そこで、気づいた
のですが、>>133に明治民法の「一方的離縁の条件」として、
2、妻が姦通を為したるとき
3、夫が姦淫罪に因りて刑に処せられたとき
とありますね。つまり、「妻は浮気しただけで離縁される」が、「夫は強姦その他で有罪とならなければ
離縁を要求されない」、ということです。

すごい不公平。でも、現在も、夫の浮気は大目に見られることが多いのに、妻の不貞は批判されがち
なのは、もう廃止された法律の、こうした条文上の違いに由来しているのかもしれません。

194 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 15:18:19
結局、奴隷を一人確保すると他の人間が楽だから
廃れないんだろうね。


195 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 15:24:59
180は社会学の大学院生?

196 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:06:05
> 現在も、夫の浮気は大目に見られることが多いのに、妻の不貞は批判されがち

そう?今はもう、どっちも大目に見られてると思うんだけど…。あなた何歳?

197 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:14:56
180は独身の学者さんなのですよ、多分。

198 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:35:13
いつもの「諭吉」さんも>>180の人の話もためになるな。
江戸時代って確かに意外とカカア天下なんだよね。いつからああなったのやら……

>>196
単に浮気妻の神経が太くなった(男女共にDQN化が進んだ)せいで
浮気者当人が叩かれても平然としているからそう見えるだけで、
浮気というと男より女が叩かれる傾向はまだ残ってると思うよ。
個人的には諭吉(本人)と同じく、どっちもボコボコにされて当然だと思うけど。

199 :諭吉:2006/09/22(金) 16:39:38
このように、男尊女卑の習慣は久しいもので、その習慣はずっと
人の性をなしており、今日の婦人たちの中にはややもすれば
自らその権利を忘れて自ら屈辱に甘んじ、自ら屈辱を忍んで
ついには自ら苦しんでいる者が多い。ただ憐れむべきものである。
その理由は何か。幼少のときから家庭の教訓にて教えられ、また
世間一般の習慣に圧制されて次第に萎縮し、男子の不品行を
とがめるのは嫉妬である、嫉妬は婦人の慎むべき悪徳である、
これを口に発して顔色に表すのも恥辱であると信じて、かえって
他の狂乱を許して次第に増長させてしまうことになるからだ。

200 :諭吉:2006/09/22(金) 16:40:34
つまり、婦人が婚姻の契約をなおざりにして、自らその権利を
棄てて自ら憂鬱の淵に沈み、習慣の苦界に苦しんでいるものと
いえるだろう。これはただ自分の不利になるだけではない。
男子の醜行から生じる直接間接の影響は、ひいては子孫の
不幸を醸し、一家滅亡の禍根にあるのだから、家の主婦
として責任ある者は自分のため自分の家のため、あくまでも
権利を主張して配偶者の乱暴狼藉を制止しないようなこと
があってはならない。私の勧告するところである。

201 :諭吉:2006/09/22(金) 16:41:34
人によってはこういう人がいるかもしれない。以上に論じた
内容は、道理には違いないかもしれないが、一方から見たら
今日の女権の拡張は社会の秩序を乱すものであるから
にわかに賛成することができない、と。
確かにその革命には躊躇する者もあるだろうが、だいたい、
今起こっている弊害を矯正するには社会に多少の波乱が
起こるのはしかたないであろう。その波乱を懸念すると
いうのなら、黙って弊害の中に甘んじるしかない。

202 :諭吉:2006/09/22(金) 16:42:26
三十年前の王政威信は、徳川幕府の門閥圧制を嫌ってその
弊害をあらためようとし、天下に大波乱を起こしたが、
その結果、ついにめでたく新日本が誕生したのである。。
もし当時、社会の秩序云々に躊躇したならば、我々
日本国民は今日なお門閥の下に匍匐(ほふく)すること
であろう。だから、今の婦人に、至当である権利を
主張させ、以って男女対等の秩序をなすのは、旧幕府の
門閥制度を廃止して立憲政体の明治政府を作るのと
同じことだ。

203 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:43:51
浮気に限らず「人として恥ずかしいことをした」「世間様に顔向け出来ない」
という、他人の目と良識を意識した『恥』の概念が死語になっているから
「人を殺して何が悪いの?」「万引きしてもバレなきゃいいじゃん」みたいに
『自分さえ楽しければ人を傷つけてよい、バレなければそれは罪ではない』
というDQNの価値観が台頭して来ている気がする。

かといって、昔は良かったなんていうつもりは絶対にないけど。
向こう三軒両隣にプライバシーを握られていた時代には
こういう自己中心的な考え方はまず許されなかったろうが
やっぱり一方でドス黒い情念が渦巻いていたろうしなぁ。

諭吉さん今日も乙です。

204 :諭吉:2006/09/22(金) 16:44:21
>>202
×威信
○維新
すまんかった。

205 :諭吉:2006/09/22(金) 16:47:58
政治においてこの大事を断行しながら、人事には断行
しないというのか。私はその理由を見るに苦しいので
ある。ましてや、その人事においては既に法典が
発行されていて、男女婚姻などの秩序は親族編にも
明文化されている。これからは女子社会が奮発して
勉強して、文明学士の応援を以って正しい道に進む
べきなのである。この革命は新発明新工夫ではない。
成功の時は正に熟しているのだから。

206 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:53:04
何だか19世紀末のことについて言っているのではなく、
21世紀初頭の現在について語っているようですね。

207 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 16:59:09
時間が経っても、あまり変わっていないことも多いんだろうね。

208 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 17:03:42
このスレって、想像するに、結婚に恐怖を感じている独女、嫁いびりにあえいでいる主婦、社会学の大学院生、
浮気しまくっているマダム、福沢諭吉研究者、慶應のOB(ビジネスマン)、フェミニストといった、
リアル社会では絶対に出会うことのない人々が、一同に会しているとんでもない場所のようですね!!!

諭吉もすごいがこのスレ自体がスゴイ!!!



209 :名無しさん@HOME:2006/09/22(金) 17:13:56
膿家脳まで釣られてやって来ちゃうんだから確かに凄いスレだよな。

210 :名無しさん@HOME:2006/09/23(土) 14:30:25
結論は100年以上前に福沢先生が出してたんだな。




福沢諭吉 「脱亜論」 (明治18年)

日本の不幸は中国と朝鮮だ。
この二国の人々も日本と同く漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと
人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりは、あまりにも大きい。
情報があまりにも行き来する時代にあって、近代文化や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。 国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じる事もない。

もはやこの二国が国際的な常識
を身につける事は期待してならない。

「東アジア共同体」 の一員としつ、その繁栄にあたってくれるなどという幻想は捨てるべき
である。 日本は、大陸や半島との関係を断ち、欧米と共に進まなければならない。 ただ
隣国だからと言う理由だけで特別な感情をもって接してはならない。 この二国に対して
も、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。 悪友の悪事を見逃す者は、共
に悪名を逃れえない。 私は気持ちにおいては、 「東アジア」 の悪友と絶交するものである。

211 :名無しさん@HOME:2006/09/24(日) 08:43:41
脱亜論の諭吉は全く正しい・・・
なんであんな国に大金あげてるのか、
日本ってヘン。

212 :名無しさん@HOME:2006/09/24(日) 11:52:55
今日から福沢諭吉マンセーになりますた!

213 :女大学:2006/09/24(日) 22:40:32
9、言葉を慎むこと。おしゃべりであってはならない。仮にも人を
誹り、偽りを言ってはならぬ。人の誹りを聞くことあったならば、
心に納めて人に伝え語るべきでない。誹りを言い伝えることで、
親類とも仲が悪くなり、家の中が納まらなくなる。

214 :諭吉:2006/09/24(日) 22:42:11
9、言葉を慎んで多くを語ってはならないとは、寡黙を守れと
いう意味であろうか。諺に「言葉多きは科少なし」といい、
西洋にも「空き樽を叩けば声高し」という言葉がある。
愚者の多言は確かに嫌うべきものである。婦人は静かで
奥ゆかしいのが頼もしい。所謂お転婆は私の最もいやしむ
ものであるが、ただ一概に寡黙を守れとだけ教えるなら、
それは弊害がないとはいえないのではないか。

215 :諭吉:2006/09/24(日) 22:44:44
婦人が既に年頃に達しているのに、人に接しての用談は
さておき、寒暖の挨拶さえはっきりとできなくて、低い声で
ぐつぐつと言って人を困らせるのは珍しいことではない。
特に病気のときなど医師に対して自分の容態を述べることが
できず、その医師の質問に答えるのも恥ずかしがったり
恐れたりして、病症発作の前後も正確に伝えられず、
寒温痛痒の軽重をはっきりと言うことができなかったら
無駄に診察の時間を費やすだけではなく、その医師は
ついには要領を得ずして処方に当惑することさえある。


216 :諭吉:2006/09/24(日) 22:46:10
言葉を慎み寡黙を守れという。その寡黙も次第にこれに
慣れてくれば、人生に必要な弁舌の能力を枯らして
しまうことになり、実用に差し支えを生じてしまう
ことになるだろう。私も多弁を好むほうではないが、
ただいたずらに婦人の口を閉じさせてうまくいくとは
思えない。
昔の大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き、
弁舌も爽にして、しかも立ち居振る舞いの上品であった
ことはよく知られている。これは参考にする価値がある。

217 :諭吉:2006/09/24(日) 22:49:35
だからといって、今の女子を教育するのに純然たる昔の
御殿風を以ってするべきでないということは言うまでも
ないことだが、幼少の時から国字の手習い、文章手紙の
稽古はもちろん、その他一切の教育法を文明日進の方針に
仕向けて、物理、地理、歴史などの大概を学び、また家の
事情の許す限りは外国の語学をも勉強して、一通りは
内外の時勢に通じ、学者の話を聞いてもその意味を解する
ことができ、自分から話すときもその意味の深浅はともかく、
その話の首尾が全うしていて、他人に笑われないように
するくらいの心がけは、婦人の身になくてはならない
ことである。

218 :諭吉:2006/09/24(日) 22:50:13
このように、この女大学の全編で一言も女子智育の必要性に
ついて論及していないのは遺憾というべきである。
もちろん、人を誹ったり偽りを言うべきでない、人の謗りを
伝え語ってはならない云々は、確かに当然のことであり、
特に婦人に限らず男子に向けてもいましめるべきことで
あるから、このあたりで評論を訳すことにする。

219 :諭吉:2006/09/25(月) 10:04:37
>>218
×評論を訳すことにする
○評論を略すことにする

220 :名無しさん@HOME:2006/09/26(火) 01:03:47
あげ

221 :名無しさん@HOME:2006/09/26(火) 08:45:48
>>210>>211

福沢先生へのサヨからの批判はすごい

<本の紹介、安川寿之輔著『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』>

 現在の「靖国問題」に象徴される歴史認識、戦争責任問題、朝鮮
半島、中国などアジアと日本の広がる摩擦の思想的根源は福沢諭
吉にある。その流れを汲む政治家が日本を危険な方向へ導き、マ
スコミがそのあと押しをしている。延々と一万円札の肖像に居座る
人物が、これを見てほくそ笑んでいるようだ。

 この逆流現象に真っ向から挑む著者の労作は、21世紀の日本の
あるべき姿を示す、すぐれた啓蒙書といえよう。著者の今後の活躍
を心から期待する。(崔鐘旭、ジャーナリスト)
[朝鮮新報 2006.9.8]


222 :180:2006/09/26(火) 11:22:25
>>195
>>197
だいたいそのような者です。
大学のパソコンを使っているので、平日の昼間しか参加できないのです。

223 :名無しさん@HOME:2006/09/26(火) 11:31:22
>>222
なるほど。いつも乙であります。

224 :180:2006/09/26(火) 11:50:00
ついでにこんなの見つけました。

【社会】福沢諭吉など明治の偉人に流れるアジア蔑視の認識問う…九条の会さいたまと韓国人
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1159115208/

確かに「痛い」ですね。

225 :名無しさん@HOME:2006/09/26(火) 12:04:23
>>222>>224
180さん。>>180のころに比べて言葉遣いが丁寧になりましたね。何かあったのですか?
それと、>>210>>221さんと同一人? このスレのリーダーの「諭吉」さんとの関係は?

うっとうしいかもしれないけれど、ちょっと気になったもので。

226 :180:2006/09/26(火) 12:35:28
>>225
それは、ネットの向こう側にいる読み手の方が、自分より上の年代である可能性が高いことに気づいたからです。
今までは主に社会学板で、大学のカフェテリアにでもいるような気安さから、ぞんざいな言葉のやりとりをしてい
たのですが、ここは家庭板ですからね。

>>210>>221は私ではありません。また、同じ人物かどうかも分かりません。ひょっとして慶應関係者? そうだ
とすると、過去スレで見て、>>58の方かもしれませんが、あちらは慶應出身の既婚女性のような気もしますし。
朝方書き込みされた221さんには、はっきりと私と同じにおいがあります。>>40>>41と同一人物では?

……とはいえ、この手の詮索は不毛なことはよく分かっています。

それから、もちろん「諭吉」さんと私は別人です。

227 :名無しさん@HOME:2006/09/26(火) 20:27:33
>>180
あんた、平山さんじゃないよな…?あの人、ネット上のいたるところに顔出すし。

228 :女大学:2006/09/26(火) 20:41:46
10、女は常に心遣いをしてその身を固く慎み守るべきだ。朝は早く
起きて、夜は遅く寝て、昼は寝ずに家の中のことに心を配り、織り
裁縫を怠るべきでない。また、茶や酒などを多く飲んではならない。
歌舞伎、小唄、浄瑠璃などの乱れたものを見聞きしてはならない。
宮寺などすべて人の多く集まるところへは40歳になるまではあまり
行くべきでない。

229 :諭吉:2006/09/26(火) 20:49:55
10、婦人が内を治めて家事に心を配り、織り物や裁縫を怠るべきで
ないというのはもっともな教訓で、婦人にとっては大切な務めで
ある。西洋の婦人にはややもすれば衣服を裁縫する法を知らない
者が多い。この点において、私は日本婦人の習慣をこそ貴ぶ者
である。世の中がどんなに発展しようとも、家がどんなに裕福に
なろうとも、糸針の一事は婦人のために必要であり、高尚な
技芸として怠ってはならぬことである。


230 :諭吉:2006/09/26(火) 20:51:51
また、茶酒などを多く飲むなという。茶も過度に飲めば健康に
害があり、言うまでもなく酒量が過ぎることについては男女
共に慎むべきことである。これも本文の通りにて異議はないが、
歌舞伎、小唄、浄瑠璃を見聞きしてはならない、宮寺などへ
行くことも遠慮しろというのはいかがなものであろうか。
不審に思われる。

231 :諭吉:2006/09/26(火) 20:57:38
人生楽あれば苦あり、半々あるのは常である。苦楽が平均して
よく働きよく遊び、それで人生が成立するという道理は
女大学の作者も許すところであろう。それならば、夫婦が
一緒に家にいるのはその苦楽を共にする契約であるのだから、
一家が貧しくて衣食住にも困るなら確かに歌舞伎音曲など
楽しむ余裕などないだろう。夫婦共に辛苦して生計にのみ
つとめるべきである。しかし、その努力した結果、多少の
財産を成した場合には、平生の苦労の憂さ晴らしのために
夫婦子供が連れ立って物見遊山も差し支えないであろう。
これもまた女大学の作者だって許さないわけではない
だろう。つまり、よく働いてよく遊ぶとはこのことである。

232 :諭吉:2006/09/26(火) 21:02:40
このように本文の意味を考えてみると、歌舞伎云々以下は
家の貧富に言及しておらず、ただ、婦人たる者は芝居見物
はよくない、鳴り物を聴くことはよくない、40歳になるまでは
宮寺への参詣も差し控えよと、厳しく婦人に禁じながら
暗に男子のほうへは自由を与えているように見える。
人生の苦楽を共にしながらその歓楽の一方は男子だけの
ものとして、女子には生涯苦労の一方のみを負担させようと
するというだろうか。無理無法も甚だしいといえよう。


233 :諭吉:2006/09/26(火) 21:12:26
この社会の実際としては、婦人は内を治め、男子は外で働けという。
その内外の趣意を濫用して、男子が外で奔走するのは実業経営
社会交際のためだけではない。その経営交際と称して酒を飲み
花柳に戯れる者が多いのだ。政府と民間問わず、我こそは紳士と
自称している俗輩が、何々の集会、宴会といって会合を持つのは、
果たして実際の議事、真実の交際のために必要であるか否か。
十中の八、九は会議のために集まるのではなく、会議の名を利用
して集まるものだ。交際のために飲むのではなく、飲むために
交際するものだ。


234 :諭吉:2006/09/26(火) 21:18:10
その飲食、遊戯の時間は男子が内を外にする時間であり、すなわち
醜体百戯、芸者と共に歌舞伎をも見物し小唄、浄瑠璃をも聴き、
酒に酔い、あるいは花を弄ぶなど淫れ(うかれ)に淫れながら、
内の婦人は決まって女大学の教えの範囲内に引きこもってひとり
静かに留守を守っているということで、安心してますます佳境に
入る時間である。

235 :名無しさん@HOME:2006/09/27(水) 08:55:33
40って…当時としては老人ということか。

236 :180:2006/09/27(水) 10:55:26
>>227
違いますよ! でも間違えられて光栄です。

237 :名無しさん@HOME:2006/09/27(水) 21:47:31
>>227そんなに気になんなら、「平山洋」+「試験」でググッてみたら。
大学の先生の行動確認ならそれがサイキョー。
家庭板の住人は知らんのかもしれんが。

238 :名無しさん@HOME:2006/09/28(木) 01:06:43
諭吉さん待ちあげ

239 :諭吉:2006/09/29(金) 00:58:08
このように、女大学の作者が特に婦人をいましめて淫らなことを
見聞きするなと禁じているこの教訓は、男子には遠慮なく淫らな
行いをさせる自由を与えているにすぎない。女を内に幽閉し、
男を外で好きなようにさせている。一家の害悪を止めることなく
却ってこれを奨励しているのである。

240 :諭吉:2006/09/29(金) 01:06:14
こればかりでなく、不品行で狡猾な者は、自分の獣行を勝手に
しようとして、さすがに妻から不平を言われ、それならばと
策を案じて妻の歓心を買いその機嫌を取ろうとして、衣装でも
何でもその妻の望むがままに買い与え、芝居見物、温泉旅行、
季節ごとの行楽、何一つとして思いのままにならないことは
ないようにする者がいる。こんなことをしたら、俗にいう
お心よしの妻は身の安楽さを喜び、世間の贅沢な付き合いに
浮かれて自分の内を外にし、家の中の取り締まりはさておき
子供の教育さえいい加減にしてしまうと同時に、夫の不義、
不品行をもいい加減に見てあたかも平気な顔をすることが
ないとはいえない。

241 :諭吉:2006/09/29(金) 01:09:29
まさにこれは好色な男子の得意とするところで、ひどい者になると
妻、妾が一つ屋根の下に同居し、たとえうわべの嘘でもその妻が
妾と親しくして、妻も子を産み、妾も子を産み、双方の中はとても
睦まじいなどというおかしな話がある。禽獣界の奇いよいよ奇なり
といえるだろう。

242 :諭吉:2006/09/29(金) 01:22:14
今年の春の頃、ある米国の貴婦人がわが国に来遊して日本の習俗を
見聞きする中で、妻妾同居云々の話を聞いて最初は大いに疑って
いたが、ついにその事実を知ると「私は確かにこの話を知った
けれども、さて、帰国したときにこれを婦人社会の友人たちに
語っても容易に信じてくれる人はなく、却って目立ちたがって
嘘を伝える者であるとされて、その他の報告までも信用を失う
ことになってしまうでしょう。日本の婦人たちはこの世に生きても
実に生き甲斐のない人たちです。気の毒な人たちです。憐れむ
べき人たちです。私たち米国の婦人は片時もこのような境遇に
安んずることはありません。死を決してもなお争わなくては
ならない、いや、日米、国が違っても、女性は同胞姉妹です。
私たちは日本の姉妹のためにこのような怪事を打破して悪魔
退治の法を考えなくてはなりませんね。」
・・・と、歯を食いしばって憤り、涙を払いながら語った
ことがあったのだ。

243 :諭吉:2006/09/29(金) 01:32:28
私はこの話を聞いて他人事とは思えず、新日本の一大汚点を摘発
され、大いに恥じ入った次第である。条約改正、内地雑居もわずかに
数ヶ月のうちにあり、なおこのままにして国の体面を維持しようと
するというのか。その厚顔ぶりはただ驚くべきものだ。東洋も西洋も
同じく人間の世界であるというのに、男女の関係ではその趣が
このように違う。日本においては青天白日の下一妻数妾あり、
妻と妾が同居し、妻と妾が親しくしていることもある。つまり
その親愛が嘘であっても、男子が世にもあられぬ獣行をはたらき
ながら、婦人には柔和忍辱のこの頂上まで至らせているのは
上古蛮勇時代の遺風であり、特に女大学の教訓はその頂上に
達している結果であることにほかならない。

244 :名無しさん@HOME:2006/09/29(金) 07:52:31
「女大学10」>>229への諭吉の反論>>229-234>>239-240は、さすがに古臭く感じられます。
ただ、妻妾同居についての話>>241-243は、興味深いです。

現在でも配偶者以外の愛人をもっている人は多いと思うけど、「同居」ということはないでしょう。
それから、「米国女性」から指摘されて、その良くない風習に恥じ入っているところなど、
外国(西洋)の目をいつも気にしている福沢諭吉先生らしさがよく出ていると思います。

「諭吉」さん、ありがとう! 今日の話題は「妻妾」問題ということで。
夫の愛人との修羅場的エピソードでもあればぜひ。


245 :名無しさん@HOME:2006/09/29(金) 11:04:23
妾は金がないとね…

246 :名無しさん@HOME:2006/09/29(金) 11:09:11
妾と愛人の違いは?

247 :名無しさん@HOME:2006/09/29(金) 11:32:48
諭吉さんの名前は知っていたが、
本を読んだことは一度もなかった
さすがお札にも印刷されるほどのお方だったのですね

248 :名無しさん@HOME:2006/09/29(金) 12:44:39
>>245>>246妾の場合はパパ一人、愛人は複数の相手から援助されても可、ということですか。
>>247そうですね。お札については、日本経済への本人と門下生の貢献の大きさに免じてのことでしょう。

249 :名無しさん@HOME:2006/09/30(土) 08:23:38
妻妾のお話は嫁姑問題ほどにはリアリティがないからなあ

250 :名無しさん@HOME:2006/10/01(日) 12:37:24
ほしゅ

251 :名無しさん@HOME:2006/10/01(日) 14:55:27
私の祖父の場合、妾宅があるので同居はしていませんが、
長男である父は、多分早世した祖母を愛するあまりでしょうか、お妾さんはもとより異母兄弟たちを激しく憎み、人前で「妾の子」と言い放つ有様です。
冠婚葬祭時には常に微妙な空気と緊張感が漂い、正直ウンザリです。
福沢先生の「女性論」が時代の趨勢になっていれば、こんなこともなかったのにぁと思います。

252 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:05:04
>>251 参考になるお話ありがとうございます。「犬神家の一族」のような世界ですね。おそらく上流階級なのでしょう。

お父様が異母兄弟を憎まれるのは、お祖母様への愛情もあるかもしれませんが、お祖父さまの遺産がそちらへも行
ってしまう、という現実を受け入れることができないからではないでしょうか?

253 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:18:25
遺産ってメカケの子にもいっちゃうの?

254 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:21:20
>>253
認知されていればね

255 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:27:43
>>254
どれくらい? 本妻の子と同等? ぜひ知りたい。ひと事ではないので。


256 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:30:24
>>255
正妻の子の半分

257 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:31:44
>>256
ありがとう! それを防ぐ手立ては?

258 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:36:04
>>257
遺言状を親に書いてもらう。
それでも遺留分があるけど。
遺留分は手切れ金と思えばいい。

259 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 09:48:10
>>258 
ありがとうございます。でもそんな遺言状、向こうは書かせないだろうなあ。
それに向こうの子供たちへの扶養義務からは逃れられないだろうし。

本当にメカケとその子らは、本妻とその子供にとって疫病神、と…。

260 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 12:37:43
禿しくためになるなこのスレ

261 :180:2006/10/02(月) 13:43:58
久しぶりに来てみたら、話題が妻妾問題になっているんですね。

庶子への財産分与が問題となってきたのは、戦後のことです。旧民法では家督は嫡子へ一括して相続されましたか
ら、庶子どころか、本妻の次男三男にも財産は分けられなかったからです。次男三男は養子に行くのが普通でした。

ところが、戦後に作られた現行法で子供たちには等しく相続権が生じることになって、親の財産をめぐっての「骨肉の
争い」が起こるようになりました。しかも、庶子にも嫡出の半分の相続権があるのですから、問題は余計に複雑です。

また、この法改正は、愛人たちがなんとしても大金持ちのパパの子供を欲しがるという、公序良俗に反する風潮を生
むことになりました。愛人の法的地位はあいまいで、正妻のように保護されることはないのに、生んだ子供が認知され
れば、その子を介してパパの遺産の一部を手にすることができるのですから。

262 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 14:07:18
>>261乙。
不倫板見てると、プリンは男の愛情を繋ぎ止めるための道具として
子供を欲しているようだったが
男の財産をかすめ取るための道具としても必要だったわけか……

避妊技術が発達していなかった昔は
ヤれば出来ちゃうのは仕方ないことだったのかも知れんが、
最初から愛情と財産を獲得するための道具として孕まされる現代の婚外子たちカワイソス……

263 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 14:22:32
お妾さんが公序良俗に反するのは間違いないけど、
一番悪いのは所謂旦那さんでない?

芸能人でもいるよね、お妾さんの子。

264 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 14:32:24
>>263
>>261は、「お妾さん」が公序良俗に反するといってるんではなく、
「子供をほしがる」ことがそうだ、といってるんじゃ

265 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 14:40:15
>>261この板にあるボッシースレでも、
不倫ボッシーと死別・離婚ボッシーとではなんだか扱いが違うとは思っていたけれど、
そういうわけだったのね。
ナットク。

266 :名無しさん@HOME:2006/10/02(月) 23:41:08
>>251
結婚できない相手と子供作る辺り、貴方の祖父サンは感覚が狂っているんだね。

子供は
両親がそろっていて、愛が有ったから生まれてきた
と感じ取らないとまずいんだ。

不倫は子供の存在を否定する。アイデンティティの崩壊にもつながりかねない。
最悪は自殺にまで行ってしまう物凄い恐ろしい行為だよ。

お父上の反応は当たり前。

267 :諭吉:2006/10/03(火) 19:17:31
代々の婦人たちが自分から結婚の契約に伴う権利を忘れて、
かりそめにも夫の意に逆らうのは不順である、その醜行を
とがめるのは嫉妬であると信じて、一切万事これを黙々と
付し去るだけではなく、当の敵である加害者の悪事を隠し
かくまって、自分でそれが婦人の美徳であると認識するのは
文明の世において権利とは何なのかをわきまえていないことだと
いえるだろう。

268 :諭吉:2006/10/03(火) 19:25:16
夫婦が同居して、夫が妻を扶養するのは当然の義務である。
しかし、その妻がわずかな美衣、美食を与えられて満足して
しまい、自分にとって大切な本来の権利を放棄しようとする
のは愚かなことでなくて何だろうか。
だから、夫婦が苦楽を共にするという一事は決してなおざりに
してはならない。苦でも楽でもそうだが、それを隠して共に
しようとしない者は夫であって夫ではない、妻であって妻では
ない。あくまでも議論しあうことだ。時にはそのために騒ぎ
を起こすこともやむを得ない。

269 :諭吉:2006/10/03(火) 19:26:14
11、巫女などの言いぐさに迷って、神仏を汚し近づきみだりに
祈ってはならない。人間の勤めをよくするときは祈らなくても
神仏は守ってくださるだろう。


270 :諭吉:2006/10/03(火) 19:29:25
>>269 名前欄
×諭吉
○女大学

まあ、我輩もこの章については珍しくも激しく同意するもので
あるから、この間違いは差し支えなかろう。

271 :諭吉:2006/10/03(火) 19:34:41
11、巫女などの言うことに迷って神仏を汚し、みだりに祈るべきで
ないというのは私も同感である。およそ、その迷いは不学無術から
起きることである。もし、今日の男子と女子で比べてどちらがこれに
迷う者が多いかと尋ねて、女子に多いというならば、それは女子の
教育が足りないためである。だから私は彼女たちが迷信を信じる
のをとがめるのではなく、その原因である無学を除くために文明の
教育をすすめるのである。

272 :女大学:2006/10/03(火) 20:04:12
12、人の妻となったならば、その家をよく保つべきだ。妻の行い悪く
放埒ならば家が破綻する。万事、慎ましやかにして無駄使いをなす
べきでない。衣服飲食なども、身の分限に従い用いて、奢ることが
あってはならない。

273 :諭吉:2006/10/03(火) 20:04:44
12、人の妻である者が家を保ち、万事倹約して無駄遣いをすべきで
ない、衣服や飲食なども身の丈に合ったものを用いて奢ること
なかれという。人生のありかたとして非常によいことである。
大いに賛成するところであるが、私はこれを一歩進めて、婦人が
経済・会計の主義技術を身につけることを祈る。

274 :諭吉:2006/10/03(火) 20:05:59
一家の経済を夫の自由自在に任せてしまい妻は何も知らず、
ただ夫から授けられた金を受け取り、これを日々の用度に
費やすだけで、その金は我が家の金なのか、借金してできた
金なのか、借金ならばどのようにして誰に借りたのか、返済
はどのようにするのかなど、そのあたりは全くわからず、
夫婦が同居しているというのに一家の一半を支配する主婦で
ありながら我が家の貧富さえ知らない者がいる。これは
よいことではない。

275 :諭吉:2006/10/03(火) 20:07:39
日本の女子に権力がないといわれる原因は様々だが、女子が
その育った家にいるときに父母の教えが足りず、文字や遊芸
などは稽古させても経済のことは教えず、言い聞かせもせず、
わざと知らないように育てるのは、女子に家の経済を迂闊に
させ、人生の無知の不幸に陥れることである。

276 :諭吉:2006/10/03(火) 20:10:29
現代の人事繁多の世の中で一家を保とうとするには、たとえ
直に家業の経営に接するのでなくても、その営業、渡世の
しかたをおおかた心得て家計の方針を明らかにし、実際の
ところを知るのは、家の貧富、貴賎を問わず婦人の身に
必要なことであるとわきまえるべきだ。

277 :諭吉:2006/10/03(火) 20:11:05
そのためには娘時代から読み書きそろばんの稽古はもちろん
のこと、経済法の大略を学び、法律なども一通り人の話を
聞いて理解できるくらいの知識がなくてはならない。
遊芸や和文、和歌などの勉強を以って女子唯一の教育と
思うのは大いなる間違いである。

278 :諭吉:2006/10/03(火) 20:12:15
私はかつてこう言ったことがある。男子の心は元禄武士の
ごとく、芸能は小役人のごとくであるべきだ、と。
今、この言い方で女子に向かって言うなら、こうだ。
立ち居振る舞いの高尚、優美で多芸なさまは御殿女中の
ごとく、談笑、遊戯が気軽で無邪気なのは子供のごとく、
常に物理の思想を離れず、経済、法律の要を忘れず、
深くこれを心にたくわえて随時活用し、一挙一動、一言
一話が活発であるとともに野蛮でないように。それで
初めて賢婦人である、と。

279 :諭吉:2006/10/03(火) 20:14:13
だから、前記した婦人の心得としての経済法律云々は、
いわゆる銀行員や弁護士風の学び方を婦人にすすめる
というのではない。昔の武家の婦人が九寸五分の
懐剣を懐中していたのと同じことで、もっぱら自衛のための
たしなみであると認識するがよい。

280 :名無しさん@HOME:2006/10/03(火) 22:20:17
おまいら一度諭吉の生誕地中津に来い!
生家連れてってやるから

281 :名無しさん@HOME:2006/10/03(火) 22:36:39
いく〜!

282 :名無しさん@HOME:2006/10/04(水) 08:57:21
行ったことある


283 :名無しさん@HOME:2006/10/04(水) 09:05:24
いよいよ女子近代教育のすすめか…。
でもさすがに時代が時代だけに、職業的な教育という観点じゃないんだね。

284 :180:2006/10/04(水) 10:01:39
>>283
のようですね。19世紀末に女性のつける仕事といえば、性風俗関係を除くと、産婆という昔ながらの
仕事と看護士、そしてやっと小学校や女学校の先生(女子師範の設立により)が、とりわけ優秀な層
にとっての目標となったくらいです。わずか110年くらい前のことにすぎないのに。

285 :女大学:2006/10/06(金) 00:49:41
13、若いときは、夫の親類・友達・下男などの若い男にうち解けて
話をしたり近づいたりしてはならない。男女の隔てを堅くすべきだ。
いかなる用があっても、若い男に手紙など出してはならない。


286 :諭吉:2006/10/06(金) 00:53:23
13、若いときは夫の親友、友達と打ち解けて話すべきでない、いかなる
必要があっても若い男に手紙を出してはならないというのは、嫌疑を
避けるという意味であろう。しかし、婦人の心が高尚であるなら、
形式上の嫌疑は恐れることはない。
私はこのような田舎風の外面を装うよりも、婦人の思想を高いところに
導き、男女が打ち解けて楽しく自由自在に談笑しながらも、疑わしき
事実が行われないことを願う。教育の必要性もこのあたりにあると
いえるだろう。

287 :名無しさん@HOME:2006/10/06(金) 00:58:08
昔の人は現代の人より妄想激しそうだね。

288 :諭吉:2006/10/06(金) 00:58:18
籠の中に鳥を入れ、この鳥は籠に入れているから逃げることなどないと
喜んでいる人がいるが、こんなことに感心する必要はない。私はこの
鳥を放し飼いにして平気でいようとするほうだ。
今の世間では実際問題として、女子が身持ちを悪くして恥をさらす
者がいないわけでなく、頻繁に聞くことである。このような身持ちの
悪さの原因は、父母または夫がその女子を深く家の中に閉じ込めて
おかなかったからだと言う人がいるが、必ずしもそうではない。

289 :諭吉:2006/10/06(金) 01:05:40
もともと、品行の正邪は本人の性質であり、時の事情にもより、受けて
きた教育の方法でもあるのだが、とにかくこれを不正に導くのは家風に
ほかならないと断言することができよう。
幼少のときから整頓もされず不始末な家風の中で寝起きし、厳格なる
父親はただ厳しく人を叱咤しながら、その身は醜行ばかりで、ひどい
者になると同父異母の子女が一家の中に群居して、朝夕その一人の
父親、そしてたくさんの母の言語挙動を見ていれば、父母の行う
ことであるから子供の目にはさほど醜いものとも見えず、娘時代に
既にそのような環境にいれば、その娘が嫁いでその夫がさらに不品行
で乱暴な者であっても、それは醜界を出て醜界に入るというだけの
ことで、彼女は別に気にもとめなくなってしまうだろう。

290 :諭吉:2006/10/06(金) 01:09:57
世間で姦婦といわれる者の多くはこのような醜い世界に出入りし、
他の醜い世界に揉まれているものだ。もちろん姦はいやしむべき
ものだけれども、彼女たちがそんなふうに育ったのは家風による
ものと言わざるを得ない。清浄無垢の家に生まれて清浄無垢の
父母に育てられ、さらに清浄無垢の男子と結婚した婦人の中に
不品行を犯すものはほとんどないといってよい。

291 :諭吉:2006/10/06(金) 01:13:54
だから、一家の妻に品行を正しくさせようと思うならば、主人がまず
自分からその身を正しくして家風を美しくすることである。前記した
ような籠の鳥の主義は最もいやしむべき考え方で、私は少しも納得
することができない。また、婦人は年若き男子に手紙など出しては
ならないというが、これはばかばかしいことこの上ない。
この忙しい文明社会において手紙を出すことを禁じられてしまったら、
いったいどうやって連絡を取ればよいというのであろうか。

292 :諭吉:2006/10/06(金) 01:16:44
夫が繁忙なら、夫に代わって手紙を送り受け取る必要が出てくる。
特に夫が病気のときなどは、医師に容態を知らせて往診を依頼し
薬を出してもらうことは妻の義務である。
それなのに、いかなる用事があろうとも手紙を出すべからずとは。
私はこれを女子の教訓とは認めない。この世のおかしな話として
一笑するのみである。

293 :名無しさん@HOME:2006/10/06(金) 01:25:49
諭吉、ドキュソスパイラルについて語る、ですな。

294 :名無しさん@HOME:2006/10/06(金) 09:02:12
「諭吉」さん、今夜もありがとう!

>>293さんもおっしゃるように、諭吉先生がいくらいいことを発言しても、
それをきちんと理解できる人がどれくらいいるか、ということのほうが…

295 :名無しさん@HOME:2006/10/06(金) 12:37:01
家風を美しくする…いい言葉っすね。

296 :女大学:2006/10/07(土) 01:24:39
14、身の飾りも、衣装の染め色模様なども、目立たぬようにしなければ
ならぬ。身と衣服が汚れていなくて清潔なのはよい。清きを尽くしすぎて、
人の目に立つほどになるのは悪い。ただ自分の身に応じたものを身に着ける
べきだ。

297 :諭吉:2006/10/07(土) 01:30:12
14、身のかざりも衣服の染色、模様なども目立たないようにして、
ただわが身の丈に合ったものを身に着けよという。質素を主と
して家の経済状況に従うようにとの意味であろう。私も同意する
ことだけれども、衣服は婦人にとっては非常に大切なものである
から、ただ一概に質素であれとのみ命令するのはどうかと思う。
男子は婦人の心をわかっていないし、若き婦人が何を悦ぶのか
老人の目ではわからないものだ。だから、だいたいの趣意を
質素と定めるのはよいとしても、実際の染色や模様などに関しては
本人の意にまかせるのがよいであろう。

298 :諭吉:2006/10/07(土) 01:34:29
田舎の婦人などが衣服に金を費やしながら、その染色や模様の
取り合わせる知識がなく、金額に見合わないとして都会の人に
笑われることが多い。このような染色や模様は美術上の意匠
によるものであるから、万事質素であれという教えは教えと
して、その質素の中にも婦人としての装いの工夫には貧富に
かかわらず美術上の心得が大切であると、私は一言つけ加えたい
のである。

299 :名無しさん@HOME:2006/10/07(土) 08:48:47
あははは!
茶髪プリンにヴィトン、キティちゃんはねぇ。

300 :名無しさん@HOME:2006/10/08(日) 14:47:44
>>298 福沢先生、観察が鋭いですね! 100年後の今でもまったく同じですよ。

301 :女大学:2006/10/09(月) 22:53:23
15、自分の親の方を優先して夫の方の親類を次にしてはならない。
正月節句などにもまず夫の方につとめて、次に自分の親の方に
つとめるべきだ。夫が許さないときは、どこへも行ってはならない。
個人的に人に贈り物をしてはならない。

302 :諭吉:2006/10/09(月) 22:57:48
15、自分の里の親のほうを優先して夫の親類を次にするなという。
正月、節句などにも云々・・・これは前にも書いたとおり、表面上の
儀式では行われるべきであろうが、人情としては実際にできること
ではない。
また、夫が許さないときにはどこへも行くなとは何事であろうか。
婦人の外出については家事の都合もあるから夫に相談するのは当然で
あろうが、婦人の身にも外での用事がある。その用事に差し障りが
あっても夫の許しがなければ外出することができないというのか。
一家の主婦は監獄の囚人ではない。

303 :諭吉:2006/10/09(月) 23:02:44
また、個人的に人に贈り物をしてはならないという。家事をつかさどる
婦人にもは自分の財産を自由に使う権利がある。一品一物も自分の
心のままにできないというのは、取りも直さず妻は家の女中であると
言うに等しい。すべて私の反対するところである。

304 :女大学:2006/10/11(水) 00:38:10
16、女は自分の親の家を継がず、舅姑の跡を継ぐのだから、自分の
親よりも舅姑を大切に思い、孝行をしなくてはならぬ。嫁に入った
後は自分の親の家に行くのも稀なことにするべきだ。ましてや他の
家へは、おおかたは使いを遣わして安否を尋ねること。また自分の
故郷のよいことを自慢して褒め語ってはならない。

305 :諭吉:2006/10/11(水) 00:38:59
16、女は自分の親の家を継がず、舅姑の跡を継ぐから云々とある。
これも前に書いたとおり、婿養子を迎えた家の娘は親の家を
継ぐのである。
他の家に嫁いで舅姑の跡を継ぐ者と、生まれた家に居座って
父母の跡を継ぐ者と、両方いるのである。これに気づかない
のは、女大学の作者の全くの手落ちであるといえるだろう。
まあ、そんな手落ちのことはさておくとしても、自分の親
よりも舅姑を大切に思い孝行せよとは、人情の実際において
できないことである。もし無理に強いれば虚偽となる。
教育家の注意すべきことである。

306 :諭吉:2006/10/11(水) 00:41:20
また、嫁いだ後はめったに実家に行くなという。他の家に
対しても自分からはあまり行かずに使いを遣わせて安否を
たずねよという。これも無用の注意であろう。
女子が結婚すると家事に忙しくて、特に子供などが生まれると
外出は自然と億劫になるけれども、父母を親しみ慕うのは
人間の自然な情であって、決して悪いことではない。
家事の都合がつくならば、忘れぬようにちょくちょく里の
家をたずねて両親の機嫌を伺い、一緒に食事などをして
楽しむがよい。

307 :諭吉:2006/10/11(水) 00:42:56
他人と付き合うのもこの通りで、自分の家を大事に治めた
なら、暇なときには自分からその相手の家をたずねて自由に
行き来するがよい。
「嫁入り」は「入牢」ではないのだから、憚ることはない。
また、実家の親を誇ってほめ語るなとは念入りな注意だ。
確かに、いたずらに我が身内の美を吹聴することは、
婦人に限らず誰でも慎むべきことである。


308 :名無しさん@HOME:2006/10/11(水) 10:00:31
女大学…凄すぎw

309 :名無しさん@HOME:2006/10/11(水) 16:55:34
福沢先生の言いたいのは、女性にだけ束縛されるのは不平等だ、
男女が等しく守れるような緩やかな縛りとせよ、
ということですね。

禿同。

310 :女大学:2006/10/12(木) 01:16:12
17、下僕を多く使っていても、すべてのことを自分で辛労を堪えて
勤めるのが女の作法である。舅姑のために着物を縫い食事を
ととのえ、夫に仕えて衣服を畳み敷物を掃き、子を育て汚れを洗い、
常に家の中にいてみだりに外へ出てはならない。

311 :女大学:2006/10/12(木) 01:19:51
17、下女、下男を多く使っていても、婦人である者は万事自分から
つとめて、舅姑のために着物を縫い食事を整え、夫に仕えて
着物を畳み敷物を掃き、子を育てて汚れを洗い、常に家の中に
いてみだりに外へ出るなという。婦人は多忙である。果たして
これが一人の力でできることか、そのあたりはさておくとしても、
とにかく家を治める婦人の心がけとしては非常によい教えである。
体の許す限りは努力するべきであろうが、本文中で耳障りなのは
夫に仕えてというその「仕」の字である。

312 :諭吉:2006/10/12(木) 01:20:40
>>311
×女大学
○諭吉

すまぬ。

313 :諭吉:2006/10/12(木) 01:26:19
もともと「仕える」とは、君臣主従などという上下の身分で
使うもので、下の者が上の者に接する場合に使う字である。
ならば、妻が夫に仕えるというのなら、その夫妻の関係は
君臣主従に等しく、妻もまたこれ一種色替りの下女であるとの
意味を丸出しにしたものである。私は断じてこれを許さない。


314 :名無しさん@HOME:2006/10/12(木) 01:31:06
福沢諭吉から言えば、今の学閥なんてとんでもないってなると思うんだが、
正直、慶応ほど学閥が強い大学は後は国立系だけだと思っているのは俺だけだろうか?

315 :諭吉:2006/10/12(木) 01:31:18
今の日本の習俗においては、仕官または商売など、戸外での
営業は男子の役割であり、一家の中のことを経営するのは妻の
役割である。衣服、飲食を整えて家の清潔に注意し、子供を
養育することはすべて人生において大切なことであるから、
男子の外の役割と比較した場合、難易軽重があるわけでは
ない。だからこの家の中の経営を以って妻が夫に仕える
作法であるというのなら、夫が外のことにつとめるのは
妻に仕える作法であると言わざるを得ない。

316 :諭吉:2006/10/12(木) 01:32:10
男女が結婚して一つ屋根の下に同居し、内外を区別して
各々その半分ずつを負担し、苦楽を共にして同じように
心身を労するのに、何のためにこれを君臣主従のような
関係にしなければならないというのであろうか。
ばかばかしいことこの上ない。

317 :諭吉:2006/10/12(木) 01:33:24
もしかすると、戸外の業務は家庭内のことに比べて心労が
大きい、また、その仕事の成果も大きいのだから、と言う
人がいるかもしれないが、夫が病気になったとき妻が看病
するときの心配、苦労は果たして大きくないというので
あろうか。妊娠の十ヶ月の苦しみを経て出産の上、夏の日も
冬の夜も、寝食も十分せずに子供を育てるその心労は
果たして大きくないというのであろうか。子供に暑さ寒さに
合わせた衣服を着せ、無害の食物を与え、言葉を教え行儀を
仕込み、怪我もさせぬように心を配って、成人させるという
その成果は果たして大きくないというのであろうか。
要するに、夫婦の仕事に軽重、大小の別などというものは
存在しないのが事実であるから、これを争う必要もないのだ。

318 :諭吉:2006/10/12(木) 01:34:00
これを政治の世界で例えて言うならば、妻が家庭内のことを
治めるのは内務大臣であり、夫が戸外の経営にあたるのは
外務大臣である。両大臣は共に一国の国事経営を負担する
者であるから、その名称に内外の別こそあれ、身分的には
軽重がない。
だからつまり女大学の「夫に仕えよ」云々の文は、内務大臣が
外務大臣に仕えよと言っているのと同じである。
これはおかしなことであろう。一国において行われないことは
一家にも行われるべきでないと認識するがよい。


319 :名無しさん@HOME:2006/10/12(木) 09:02:54
さすがにこの時代だと男は外、女は内、というのが大前提なのね。

320 :名無しさん@HOME:2006/10/12(木) 09:45:38
諭吉先生、カッコヨス。
1万円になった時、聖徳太子の方が良かったとか
さんざん言ってごめんね。

321 :180:2006/10/12(木) 12:28:15
>>314
今日の「諭吉」さんの書き込みの内容とはズレるもんで、少々遠慮がちですが、>>314さんの指摘されたことは、
非常に大切なことであると思います。

福沢諭吉はチャンスの平等を重要視しているのは事実です。その男女平等論も、同じ階層に属する男女は平
等に扱われるべきだ、というふうにも読めます。

しかし、もともとある不平等を平等にする試みについて、積極的であるとはいえない、ということもいえてますね。

東大出身の左翼は枚挙にいとまがありませんが、いまどき慶應の左翼なんて、佐高信以外聞いたことがない。

「東大閥」は能力を基準としたまとまりだが、「慶應閥」は階級の固定のためのお仲間的まとまり、などというのは
言いすぎでしょうか?

322 :女大学:2006/10/12(木) 23:58:48
18、下女を使うにも心を用いるべきだ。言う甲斐のない下郎は
立ち居振る舞いが悪くて知恵がなく、心がねじれていて言う事も
はしたない。夫のことや舅姑小姑のことなど、自分の心に合わない
ことがあったらみだりに誹り聞かせて、それを却って主人のためと
思っている。婦人がもし知恵がなくてこれを信じれば、きっと
恨みのもととなる。

323 :女大学:2006/10/12(木) 23:59:32
もともと夫の家はみな他人だから、恨み背いて恩愛を捨てることも
簡単である。用心して、下女の言葉を信じて大切な舅姑小姑の
親しみを薄くしてはならない。
もし下女がひどくやかまくて悪い人間ならば、早く追い出すべきだ。
このような者は、必ず親類の仲を言い妨げ、家を乱す元となる
者だから、恐れるべきだ。

324 :女大学:2006/10/13(金) 00:00:55
また、卑しき者を使った場合は気に合わないことが多い。それを
怒り罵ってもやまないから、せわせわしく腹が立つこと多く、
家の中が静かにならない。欠点があれば折々言い教えて誤りを
直すべし。少しの過ちは我慢して怒るべからず。心の中では
哀れんでも、外には行動を堅く戒めて怠らぬように使うべきだ。
与え恵むべき事があれば、お金を惜しむべからず。ただし、
自分が気に入ったからといって役にも立たない者にみだりに
与えるべきでない。

325 :諭吉:2006/10/13(金) 00:07:39
18、この一章は下女の取り扱い法を教えているものだ。
第一に彼らの言うことを軽々しく信じて、舅姑小姑との親しみを
薄くしてはならない、口が軽い者はきっと家族や親類の間に波風を
立てるもとになるからすみやかに追い出すべし、卑しい者を使うと
自分の意に合わないことが少なくないから、みだりに腹を立てる
ことなくよく教えて使うべし、与え恵むべきことがあれば財を
惜しんではならない、但し自分が気に入ったからといってみだりに
与えるべきではないという。全て非難すべき点がない。
特に、心の中ではあわれんでも、態度としては行動を堅くして
使うべし・・・の一句は、私も深く同意するところである。

326 :女大学:2006/10/14(土) 22:51:23
19、およそ婦人の心ざまの悪い病は、和らぎ従わないこと、怒り
恨むこと、人を誹ること、物妬むこと、知恵浅きことである。
この5つの病は10人に7、8人は必ずある。
この点が婦人の男に及ばないところである。自ら顧み戒めて
改め去ることだ。特に知恵が浅いためにこの5つの病が起こる。

327 :女大学:2006/10/14(土) 22:52:40
女は陰性である。陰は夜で暗い。だから女は男に比べて愚かで、
目の前のしかるべき事も知らず、また人の誹るべきことも
わきまえず、わが夫わが子の災いとなるべき事も知らず、
罪もない人を恨み怒り呪詛し、あるいは妬んで、自分が一人
立派と思っても人に憎まれ疎まれて全て我が身の仇となることを
知らない。非常にはかなく浅ましい。

328 :女大学:2006/10/14(土) 22:53:49
子を育てても愛におぼれて行儀悪く、このように愚かだから
女は何事も我が身をへりくだって夫に従うべきだ。昔の法律に
「女子を産めば3日床の下に寝させる」という。これも男は天で
女は地を象徴するから、すべてのことについて夫を先立て自分を
後にし、よいことをしても誇る心なく、また悪い点があって人に
責められても争わず、早く過ちを改め、何度も人に言われないように
身を慎み、また人に侮られても腹立ち憤ることなくよく堪えて
物を恐れ慎むべきだ。このように心得れば、夫婦の仲は自然と
和らぎ、行く末長く連れ添って家の中が穏やかになるであろう。


329 :諭吉:2006/10/14(土) 23:01:51
19、本文は女大学の最終章であるが、婦人を責めること甚だしく、
ほとんど悪口を浴びせ口汚くののしる毒筆である。おおよそ婦人の
心の悪い病は和らぎ従わないこと、怒り恨むこと、人を誹ること、
物妬むこと、知恵浅きことである、この5つの病は10人に
7、8人は必ずある、この点が婦人の男に及ばないところであると
宣告しているが、この宣告は果たして当たっているであろうか、
当たっていないだろうか。にわかには信じられないのである。

330 :諭吉:2006/10/14(土) 23:06:38
言行を穏やかにして温順であるのは婦人の特色であって、それは
多くの人が認めることである。男子ならば大いに怒ることでも、
婦人は態度を慎み穏便にすませ、一場の笑に附し去ることが多い。
世間一般では男同士の争論、喧嘩は珍しくないが、男子が婦人を
相手にして争うことは稀である。これは男子が慎みを持っている
のではなく、実は婦人の柔和温順な様子の前ではなんとなく犯す
べきでないものを感じているからであろう。

331 :諭吉:2006/10/14(土) 23:09:43
ただ男女の間の問題ではなく、男子と男子との争いにおいても婦人が
仲裁をして波乱を収める例はよく聞く話ではないか。結局それは女性の
和順の徳によるものであるから、女大学に記されているようなことは
間違いである。不和不順を以って婦人の病であるとするなど、そもそも
根拠からして間違っていると思われる。

332 :諭吉:2006/10/14(土) 23:14:50
ただし、女大学の作者がこの不和不順をはじめとして、憤怒
怨恨、誹謗、嫉妬など、ありったけの悪事を書き並べて婦人
固有の敗徳とするのは、その婦人がたとえこれを外面にあらわ
さなくても心中深いところに何か不平を抱き、ときにはこれを
言行にもらすことがあるかもしれないとして、その微妙な
あたりを推察したものであろうか。もしそうならば、私は
女大学の作者の推察を否定しない。その推察は察しえて妙なりと
いってよいからだ。

333 :諭吉:2006/10/14(土) 23:17:44
もともと、日本の婦人は婚姻の契約を無視され、夫婦対等の権利を
剥奪され、常に圧制の下に匍匐(ほふく)して男子に侮辱されて
いるものであるから、人間の天性として心中では不平を抱くのも
不思議ではないだろう。たまにはその不平を顔色に出して言葉の端に
もらすこともあるかもしれないから、それは誹謗であり嫉妬であると
いえるだろう。

334 :諭吉:2006/10/14(土) 23:22:23
これをたとえるならば、人を密室に幽閉し、火をつませ熱湯を飲ませて
苦しい、熱いと一言でも言おうものならそれを叱って忍耐に乏しい、
敗徳であるというのと同じである。知ってか知らずか、その不平は
人をそしるのではなく、物をねたむのでもなく、ただその婦人自身の
権利を守ろうとする一心の言葉である。その心情も深く考えずに
敗徳と名づけるとは、無理無法でなくてなんだろうか。


335 :諭吉:2006/10/14(土) 23:25:29
婦人は百年、千年も続いてきた男子による野蛮な狼藉の悪習に
とらわれて、外面ではかろうじて平穏を装ってきたかもしれないが、
その悪習は永久の道ではない。
私はいわゆる女子の敗徳の原因を明らかにして、文明社会における
男女の注意を促そうとする者である。

336 :諭吉:2006/10/14(土) 23:27:56
まだまだ続く。
今夜はこのあたりで。

337 :名無しさん@HOME:2006/10/15(日) 09:21:27
女大学評論、クライマックスですな。諭吉の深い愛を感じるよ〜

338 :名無しさん@HOME:2006/10/15(日) 16:30:30
福沢諭吉 「脱亜論」 (明治18年)

日本の不幸は中国と朝鮮と大阪だ。
この三国の人々も日本と同く漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと
人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりは、あまりにも大きい。
情報があまりにも行き来する時代にあって、近代文化や国際法について知りながら、
過去に拘り続ける中国・朝鮮・大阪の精神は千年前と違わない。 国際的な紛争の場面でも
「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じる事もない。

もはやこの三国が国際的な常識
を身につける事は期待してならない。

「東アジア共同体」 の一員としつ、その繁栄にあたってくれるなどという幻想は捨てるべき
である。 日本は、大陸や半島や大阪との関係を断ち、欧米と共に進まなければならない。 ただ
隣国だからと言う理由だけで特別な感情をもって接してはならない。 この三国に対して
も、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。 悪友の悪事を見逃す者は、共
に悪名を逃れえない。 私は気持ちにおいては、 「東アジア」 の悪友と絶交するものである。

339 :諭吉:2006/10/15(日) 21:46:17
また、始めに五つの病の第五は知恵が浅いことだと記して、
末文にも知恵が浅いために五つの病が起こるというのは、
知恵が浅いために知恵が浅いということにほかならない。
これは文が前後していておかしい。まあ、文章の細かい
ことはさておくとしても、そもそも婦人の知恵が浅い
とは何を標準にしてその深さ、浅さを定めるというので
あろうか。

340 :諭吉:2006/10/15(日) 21:52:48
男女が家にいて、それぞれつかさどるところを分けて、内外の
経営のどちらが知恵を要することが大きいかといえば、私は
まさに同一であると断言する。
男子がいかに外での経営を成功させても、内をつかさどる婦人が
無知で愚かであったなら、家は常に乱れて家が成り立たないで
あろう。幸いなことにその主人がこれをうまくごまかして大破裂
に及ばないようにしても、主人が早くに亡くなるなどの大きな
不幸にあったときは、子女の不取締り、財産の不始末、一朝に
して大家の滅亡を引き起こす例があるのに反して、賢い婦人が
よく内を治めて愚鈍な主人もこれに頼り、所謂内助の功を以って
外の体面をまっとうすることがある。そればかりではない、夫が
亡くなれ場その妻は賢母として子を養育し教訓し、一切万事
母一人の手で家を保つことができるという事実は昔から今も
珍しくない。

341 :諭吉:2006/10/15(日) 21:55:42
現に、今日世に名のある紳士、賢婦人などの中には、母の手に
よってのみ育てられた者が少なくない。賢い婦人は家を興し、
愚かな婦人は家を滅ぼす。一家の盛衰には婦人の力がとても
重要である。これは男子と比較しても少しも差のないことで
ある。

342 :諭吉:2006/10/15(日) 21:58:51
このようにして、その家を興すのは婦人の智徳であることは
間違いのない事実であるが、みだりにこれを評して無智と
いうのは、取るに足らないことである。
もしかすると婦人が外のことに関してよく知らないために無智
と言っているのかもしれないが、事に関係しないがために慣れ
ないのであり、これを知らないだけである。
天下の政治経済のことなどは日本の婦人に語っても理解できる
者が少ないのはあたりまえだ。

343 :諭吉:2006/10/15(日) 22:02:47
この一面から見れば婦人を愚かであると評すのもしかたがないかも
しれないが、方向を変えて日常の家の区域について観察し、婦人の
担当するところをよく見れば、衣服や飲食のことをはじめとして、
下僕の取り扱い、通信や贈答の注意、来客の接待、もてなし、
遊楽の趣向、なお進んでは子女の教育、病人の看護など、一切の
家計、内事は小さなようにみえて三つは大きいのである。

344 :諭吉:2006/10/15(日) 22:03:28
>>343
×三つは大きいのである
○実は大きいのである

345 :諭吉:2006/10/15(日) 22:05:07
19章の評論は長い・・・。
麦酒が回ってきたので、今夜はこれまでw

346 :諭吉:2006/10/17(火) 00:28:55
この婦人の働きに智恵を要するのはもちろんであるが、その緻密、
微妙なところについては、言葉にも文章にも表せない、全くその
婦人の胸の内によるのであって、男子には想像も真似もできない
ことである。この点から見ると男子のほうが愚かで智恵が浅いと
言わざるを得ないくらいだ。

347 :諭吉:2006/10/17(火) 00:33:29
男女の智恵あることと愚かなことは事柄によっても場所によっても
異なるし、家の内事と外の事と、その働く場所によって趣が違うので
あるから、人にその仕事を教えて慣れさせようとする場合には
許す限り男子と女子の仕事を互いに理解させることが大切である。

348 :諭吉:2006/10/17(火) 00:39:07
昔から勇婦の奇談は特別のこととしても、文壇においての秀才に
女性が多いことはわが国の歴史が示すところである。
また、西洋諸国においては特にその教育を重んじ、女子に物理、
文学、経済などの専門を修めて大家の名をなす者が多いだけで
なく、女子は思想が綿密であるとして政府の会計係に採用される
者もいる。
また、学者の中には医学医術には男子よりも女子が適当であると
して女医教育の必要性を唱えている者がいる。現に今日、女医の
数は次第に増えているようだ。いずれの方面から見ても婦人は
無智であると断言してしまうのは、女大学作者の独りよがりな
意見であると言うしかない。

349 :名無しさん@HOME:2006/10/17(火) 09:13:54
やっと職業婦人への展望か。

350 :180:2006/10/18(水) 09:39:33
>>349
>>348では西洋のことばかりで、日本の女性にふさわしい職業は何か、という問題関心にはなって
いないようです。職業婦人への展望と見るのは早すぎるかもしれません。


351 :名無しさん@HOME:2006/10/18(水) 12:06:52
女子医専とか産婆学校ができはじめたのっていつだっけ?

352 :180:2006/10/18(水) 17:27:43
>>351
女子医専の設立は明治末年ころでしょうか。ただ、国家試験自体はそれより前でも女性も受けることがで
きたため、明治20年代には女医が存在したそうです。福沢が書いていたのはそうした女医だったのですね。

産婆については江戸時代にも存在したわけだから、その資格授与機関(産婆塾?)が続いていたのかもし
れません。職業婦人の出現については、やはりなぞがあります。今日はこの辺で。

353 :諭吉:2006/10/19(木) 00:24:03
また、女は陰性である、陰は夜だから暗い、そのため女は男に
比べると愚かである云々・・・と説き始めて、ありったけの
悪徳を並べ立ててその原因は陰性であるからだと、例の陰陽説
から割り出しているのはおかしい。
実に取りどころのない愚論であり、痴人夢を語るとはこのこと
であろう。

354 :諭吉:2006/10/19(木) 00:35:15
漢学流の言葉でいえば、南が陽ならば北を陰、冬が陰なら春は陽、
天は陽、地は陰、日は陽、月は陰などというように、遠い過去の
未開であった時代の無智無学の蛮民たちが、その目に触れ心に
感じたことを何の根拠もなく二様に区別して、これに漠然とした
陰陽の名をつけただけのことだ。人間の男女もその中にかぞえられ、
男は陽性、女は陰性と、勝手に鑑定されているだけである。その
趣は西洋の書物の中に実名詞の種類を分けて男性、女性、中性と
名づけられているように、遠い過去の古いならわしであり、
もともと深い意味があるわけではない。

355 :諭吉:2006/10/19(木) 00:38:44
男子は活発で体が強く大きいから陽とされ、女子は静かで小さく
弱いから陰であるという理屈もあるかもしれないが、こういう
考え方もある。女子の顔の麗しくて愛嬌があふれるさまは春の
花のようなのに反して、男子の武骨で殺風景なさまは秋水枯木に
似ている。それなら春は陽、秋は陰であるから、女子が陽で
男子が陰だと言っても、反論する者はいないであろう。

356 :諭吉:2006/10/19(木) 00:42:09
女は愚かで目前の利害も知らず、人が自分を誹るのもわきまえず、
家人のわざわいとなることも知らず、みだりに罪のない人を恨み
怒り云々してその結果かえって自分の不利になることを知らず、
ひどい者になると子供の育て方も知らないほどの大愚人、大ばか者
であるために、結論は夫に従うべしという。悪口雑言書きまくり
である。

357 :諭吉:2006/10/19(木) 00:48:52
私はしばらく女大学作者の言うがままにまかせて、ただその夫
である者の人物はどうなのかと問い詰めてみたいのだ。
世の中の男子は陽性であるために、陽は昼だから明である、
万事万端につうじて内外の執務に適しており、特に人倫の
道に明るく品行が最も正しく、妻に対しても愛情がこまやか
であるというのか。夫に従ってなんでも夫に聞けといっても、
今の世間の風潮においてはそれもかなり疑わしい。
私は婦人のために考え、軽々しく女大学の文章に騙される
ことなく、自尊自重して、静かに自分の権利を守るがよいと
勧告するのである。

358 :名無しさん@HOME:2006/10/19(木) 07:13:08
「ただその夫 である者の人物はどうなのかと問い詰めてみたい」

ハハハ、ハゲ同
どっかで使ってみたいセリフだ

359 :名無しさん@HOME:2006/10/19(木) 17:35:02
このスレの全文章をクソトメに読ませてやりたいもんだ。

360 :諭吉:2006/10/19(木) 23:54:27
また、古くからのしきたりに「女子を産んだら3日床の下に寝かせる」
という。これも男は天、女は地である云々と。これもまた前節同様の
空論であって、取るに足らない。なぜ男は天のように高くて女は地の
ように低いというのか。男女は性が異なってもその間に高低、尊卑の
差などありはしない。もしその差別があるというのなら、事実を
挙げて証明しなければならないはずだ。その事実も明らかにすること
なく、古くからのしきたりに云々を以って立論の根拠とするのは
ばかばかしいことでなくて何だろうか。

361 :諭吉:2006/10/20(金) 00:00:53
古法古言を盲信して永久に変わることのないきまりと認識して、
かえって造化の原則や時勢の変遷を知らないのは古学者流の
間違った習慣である。人智の進歩は盲信を許さない。昔の人が
女子を床の下に寝かせて男天女地の差別を示したのはあくまでも
昔の人の発想によるもので、その発想は人間のどの時代の決まり
というわけではない。昔の人も今の人も共に社会の人であるから、
古今それぞれでその時勢というものがある。私はこういった
未開の時代の一例に心酔して現代のことを決めようとは思わない。

362 :諭吉:2006/10/20(金) 00:06:38
結局、女大学の作者が男尊女卑の主義を張ろうとしてその根拠が
ないのに苦しみ、わずかに残った昔のしきたりなるものを持って
きて天地などという空想を楯にし、論法を荘厳にして女性を
圧倒し、無理にこれを女子に守らせようとの窮策に出たもの
なのではないか。既に男尊女卑と決めておけば、婦人に向かって
命令するのは非常に簡単だ。

363 :名無しさん@HOME:2006/10/20(金) 09:01:18
このスレほんとうにイイね
「諭吉」さん、ありがとう!
ロムっておいていろんなところで使います
まるで万能「保存食品」みたい

364 :名無しさん@HOME:2006/10/20(金) 11:51:28
私は諭吉さんの所だけこぴってワードに保存してる。
もしそのうち入用になった時があれば(そんな「時」は来てほしくないが)
プリントアウトして壁に張り出してやる!という意気込みで・・・・・・w。


365 :名無しさん@HOME:2006/10/20(金) 17:10:58
>>364
私も早速真似させてもらいます!
何で今まで考え付かなかったのか・・

366 :名無しさん@HOME:2006/10/22(日) 06:43:45
福沢諭吉ってまだ生きてんの?

367 :名無しさん@HOME:2006/10/22(日) 20:33:33
今年172歳くらいかな。

368 :諭吉:2006/10/22(日) 23:44:22
それならば、前文をそのままにしてこれを夫向けに書き替えたら
どうであろうか。「万事妻を先にして自分を後にし、自分に手柄が
あっても誇らず、失策して妻に咎められても争わず、すみやかに
過ちを改めて身を慎み、あるいは妻に侮られても憤怒しないで
ただ恐縮、謹慎すべし」云々と。
このように双方に向かって同一の教訓を与え、双方共にこのように
心得れば、夫婦の仲は自然と和らいで行く末永く連れ添って、
家の中が平和になるだろう。私が保証する。誰も疑いはしないで
あろう。しかし、女大学作者の所見としてはどうだろうか。
果たして、このような相対説を許すであろうか、ぜひ聞いて
みたいのである。

369 :諭吉:2006/10/22(日) 23:47:15
もしも単に婦人の一方のみをいましめながら、一方の男子には手を
つけず、放し飼いのようにしてわがまま勝手を許すならば、柔和忍辱の
教えは美であるといっても、ただこれは奴隷の心得であるといえる
であろう。夫婦の関係は君臣でも主従でもない。ましてや一方を
奴隷視することについては、私は断じて反対する。

370 :女大学:2006/10/22(日) 23:47:56
以上の条文は幼いときからよく教えるべし。また書き付けて
折々読ませることを忘れてはならない。現在の世の人は、
女に衣服道具など多く与えて婚姻させるよりも、この条文を
十分に教えることが一生身を保つ宝となるだろう。昔の言葉に
「人は100万銭を出して娘を嫁がせることは知っていても、
10万銭を出して子を教育することは知らない」というのがある。
これは本当にその通りだ。女子の親である人はこの真理を
知らなければならない。


371 :諭吉:2006/10/22(日) 23:55:03
最後に、以上のことは幼いときからよく教えろ云々、現代の人は
女子に衣服、道具など多く与えて結婚させるよりもこの教えを
云々、昔の言葉に人はよく100万銭を出して女子を嫁に出すことは
知っていても10万銭を出して子供を教えることを知らないといい、
女子の親である人はこの理屈を知らないでいてはだめだと。
以上19条の結論は親切な教えである。私も女大学作者の誠意を
非難はしないが、女大学が書かれてから200年余りもたった今日に
おいて、人智の進歩、時勢の変遷を視察し、既往の事実に徴して
将来の幸福を求めようとするときには、必ずしも昔の人の教えに
服従することはない。あえて反対を試みてもかまわないのである。


372 :諭吉:2006/10/23(月) 19:11:38
そもそも、昔、封建門閥の時代に政治をはじめとして人間を万事
圧制して組織していた世の中では、男女の関係も自然と世の中の
風潮に従って、男子は君主のごとく、女子は臣下のごとく、その
尊卑は区別があった。それと同時に君主である男子は貴賎、貧富、
身分の違いがあっても、婦人の前ではまるで時の将軍大将のように
傍若無人な態度を取り、婦人を冷遇したり無視したりするだけでは
なく、ひどい者になると淫乱しまくり、配偶者を虐待、侮蔑する
者もいたが、世間にはこれを咎める者もいなかった。かえってその
虐待、侮蔑の下にひれ伏し従う者を賢婦貞女と称していた。

373 :諭吉:2006/10/23(月) 19:12:09
その風潮は上流社会でも下流社会でも同様で、嫉妬は婦人の敗徳で
あると教えれば下流社会もこれを聞き習い、やきもちは女の恥などと
唱えて、あえて自分から結婚契約の権利を放棄して苦欝の淵に沈んで
いた。そればかりか、男子の狂乱が子孫に悪影響を与えることをを
棚に上げ、こういった弊害を知らないのは奇怪なことである。
ただ驚くべきことだが、社会圧制が久しいものとなるとそれは国民
一般の習慣を形成して人々に浸透していった。

374 :諭吉:2006/10/23(月) 19:17:36
政治上では君々たらざるも臣々たらざるを得ずというに等しく、
婦人の道は柔和忍辱、盲従して、夫々たらざるも妻々たざるを
得ずとして、もっぱらその一方の教えに力をこめて、自分を
封建社会の秩序に適応させ、また、間接的にその秩序が成り立つ
のを手助けしていたような・・・そんな特別な時勢の中で執筆
された女大学なのだから、その内容は現代から見ればこそ奇怪な
ものと思えるが、その当時は決しておかしいものではなかった。

375 :諭吉:2006/10/23(月) 19:22:49
弓矢鎗剣は今の軍器としては無用の長物であり、ただ一種の玩具で
あるが、昔は一本の鎗で三軍の成敗を決したこともあった。昔は
利器であったが、今は玩具である。このような今と昔の相違を
名づけて「人智の進歩」「時勢の変遷」という。学者は特にこれに
注意すべきである。

376 :諭吉:2006/10/23(月) 19:29:51
私は女大学を女子教訓における弓矢鎗剣と認識する。現代となっては
少しも重要な内容ではないし、その内容の是非についてはさておき、
女大学の作者が女子を教えるということの必要を説くことの、その
熱心さについてはただ感服するほかはない。
よって、今、私の腹案としてある女子教育説の大意を次に記し、
これを「新女大学」として、今は亡き女大学の作者に提示しようと
思う。作者先生も200年の変遷を見て、もしかしたら首肯される
ことがあるだろう。女大学評論終。

377 :名無しさん@HOME:2006/10/23(月) 20:08:36
>>376
心をこめて
乙。

378 :名無しさん@HOME:2006/10/24(火) 08:08:48
「諭吉」さん
ぜひ「新女大学」もやってください

379 :諭吉:2006/10/24(火) 19:01:02
新女大学1
女子は男子と等しくこの世に生を受け、父母に養育されるのが
運命であるから、その成長に至るまで両親の責任は軽くないと
知っておくべきだ。多産、または病身の母ならば乳母を雇う
ことも母体の健康のためにはやむを得ないだろうが、なるべく
なら実母の乳で育てるのがよい。母体の普段の健康が大切である
理由はここにある。赤ん坊は牛乳で育てればよい、財産家は乳母を
雇うこともたやすいからといって、母の乳があるのにわざとその
乳を与えず、まるで我が子の生い立ちを傍観するかのような者が
いないわけではない。これは大いなる心得違いであり、自然の
理に背く者であるといってよい。

380 :諭吉:2006/10/26(木) 00:04:03
2、婦人の妊娠・出産はもちろんのこと、出産後子供に乳を授け、
衣服を着せ、寒さや暑さに昼夜を問わず注意し心配するのは他人には
わからないところに苦労が多い。そのために婦人の体が痩せ衰える
くらいならば、父である者はその苦労を分かち合い、たとえ外での
業務があっても事情の許す限りは時をぬすんで子供の養育に助力し、
少しでも妻を休養させるよう努力すべきである。
世間には人目を憚って妻をかえりみず、または胸の中では妻を
心配していても表面ではそ知らぬ顔を装う者がいる。たわいも
ない挙動である。
夫が妻の辛苦をよそに見て安閑としているのは人倫の罪であり、
恥ずべきものであるばかりか、その表面を装うようなことを
するのは勇気のない痴漢(バカモノ)といってよい。

381 :名無しさん@HOME:2006/10/26(木) 00:10:46
諭吉すげーヤツ

382 :名無しさん@HOME:2006/10/26(木) 01:16:41
このスレはあげなきゃだめだろ〜!
それにしてもこの時代の男のセリフかよ…諭吉ほんとにすごすぎる。

383 :名無しさん@HOME:2006/10/26(木) 06:20:17
なんか泣けてきたよ…。
諭吉、おまいいい奴だったんだな…。

384 :名無しさん@HOME:2006/10/26(木) 08:54:46
この「新女大学」は、脳卒中になる直前まで書いていた諭吉先生最後の作品
自分の9人の子供の子育ても、奥様に任せきりにせず、相当に手伝ったことが分かりますね

385 :名無しさん@HOME:2006/10/26(木) 09:18:14
これはすごい。
朝からいいもの読ませてもらいました。
すがすがしい一日になりそうです。

386 :諭吉:2006/10/27(金) 00:12:45
3、女子が少し成長したなら、男子と同様に体育を第一にし、
怪我をしない限りは荒いことも許して遊戯させるのがよい。
娘であるからといって自宅にいても衣服を気にして、きれいな
衣服だからと破れたり汚れたりすることを恐れるあまり運動を
禁止して、それにより身体の発育が妨げられるということが
ある。これは大きな弊害であり、大いなる心得違いである。
子供が遊戯をする年齢になったら粗衣粗服、破れたり汚れたり
してもかまわないものを着せて、ただ活発に運動ができるように
するべきである。

387 :諭吉:2006/10/27(金) 00:20:53
また、食物にも気をつけて無害な滋養品を与えるのは言うまでも
ないことだが、食物だけに重きを置いて子供を育てるのはこれまた
心得違いである。いかに食物を良くしても、その食物に相応する
だけの体動をさせなくては、食物が却って発育の害になることもある。
田舎の小民の子には粗食、大食、勝手次第で却って健康な者が多い。
京都・大阪あたりの富豪の家に虚弱な子がいた場合、これを八瀬大原
の民家に託して養育する者がいるそうだ。田舎での粗食はもちろん
だが、田舎のものを食べて田舎風に運動、遊戯をすれば体にとっての
利点は都会の美食に勝るものがあるためだ。このように、子供を丈夫に
養育しようとするならば、たとえ巨万の富があってもまずその家を
八瀬大原風にして、これに生理学問上の注意を加えて育てるのが
よいだろう。

388 :名無しさん@HOME:2006/10/27(金) 11:16:40
今日の部分も同意できるな
というより、この100年ですっかり常識化した考えだ
女児への体育奨励を福沢先生が言い出したのだとしたら
その先見の明はやっぱりスゴイ

389 :諭吉:2006/10/27(金) 23:21:33
4、女子がさらに成長すれば文字を教え、針持つ術を習わせ、
次第に進んで手紙の書き方、算盤の一通りを授けて、日常の
衣服を仕立て、家計の出納を帳簿に記して勘定ができるまでに
するのがよいが、これは決して簡単なことではない。父母は
心して教えるべきことである。また、台所での作業全般は
もともと女子が知っておくべきことであるから、たとえ下男
下女を大勢使う身分であっても、飯の炊き方はもちろん、
料理献立、塩や味噌の始末に至るまでも事細かに心得ておく
べきだ。自分で直接手を下すわけでなくても、一家の世帯は
そういった内容を全く知らずには維持できないのだから、
娘時代からこれに慣れておくのは大切であると知っておく
べきである。

390 :諭吉:2006/10/28(土) 22:04:13
5、前条は学問というべきほどのことではない。貴賎貧富に
かかわらず、女子教育の通則として行うべきものである。
もちろん、学問の教育にいたっては女子も男子も相違ない。
第一に物理学を土台にして、ここから諸科専門の研究に
学ぶとよいだろう。これを例えるなら、日本の食物は米飯を、
西洋諸国はパンを主食として、その後に副食があるように、
学問の基本は物理学と心得て、まずその大概を理解してから
後にそれぞれの好みによって勉強するのがよいだろう。

391 :諭吉:2006/10/28(土) 22:11:40
極論を言えば、女子だからといって無用である学問といえば
せいぜい兵学くらいのもので、その他は無用の学なしというべき
くらいでるが、その勉学の程度については大いに注意したほうが
よい。第一に女子は家の内事をつかさどる務めがあるのだから、
学問を勉強する時間を作ることが難しい。これは財産の問題で
あり、金さえあれば家事を他人に託して独りで勉強することも
できるが、女子の身体は男子と違って月経などの問題もあり、
心身の自由を妨げられる事情がある。そればかりではなく、
妊娠出産に引き続き、子供の哺乳養育は女子の専任であるから、
そのために時を失うことが多いから、学問上では男子と同様の
ことができないのはごく当たり前のことであろう。

392 :諭吉:2006/10/28(土) 22:16:37
特に我が日本国においては、古来から女性の学問教育をなおざりに
してきたことによる習慣が既に根強く浸透している。今日、にわかに
事をおこして名門の学校に入れようとしてもなかなかうまくいく
ものではない。私は今後十年、二十年の短い年月のうちに多くを
求めない。将来のことは将来の人々の責任として残し、今日は
今日にとりあえずできることを考え、とにかく今の女子には
文明社会での普通の常識を身につけてほしいと願うのである。

393 :諭吉:2006/10/28(土) 22:23:29
物理、生理、衛生法の初歩から、地理、歴史などの大略を知るのは
とても大切だが、本草(植物学)なども婦人には面白い教養となる
であろう。特に私が日本女子に限ってぜひともその知識を身につけて
ほしいのは、社会における経済思想と法律思想、この二つである。
女子に経済法律とは噛み合わないと思われるかもしれないが、女子
社会が無力であることの大きな原因の一つがこの二つの学問を
身につけていないということにある。だから、何はさておき、
普通の学識を得る以上は同時に経済法律の大意を知ることが最も
必要である。たとえるなら、この二つの学問は文明女子の懐剣
といってもよいくらいである。

394 :名無しさん@HOME:2006/10/31(火) 07:55:58
>>392

「今日、にわかに 事をおこして名門の学校に入れようとしてもなかなかうまくいく
ものではない」

当時からそんな問題があったのか!

395 :名無しさん@HOME:2006/10/31(火) 13:52:38
法律と経済学を身につけろっては至言だ。
今でも充分通用するもんね。
ウトメに送りつけてやりたい。

396 :名無しさん@HOME:2006/10/31(火) 17:50:50
淡々と訳を書き連ねる「諭吉」さんに(*´Д`*)モエッ
告白してもいいかどうか、迷っている。

397 :諭吉:2006/11/01(水) 06:01:56
6、女性は優美を一番に貴ぶものであるから、学問を勉強したならば
男書生のように朴訥であったり、無遠慮であったり、不行儀であったり、
差し出がましく生意気であったりしてはならない。
人との付き合い方には法がある。事に当たって論ずべきときは大いに
論じて遠慮をする必要はないが、同じ議論をするにもその口調に
緩急の別があるから、そのあたりは格別に注意を払わねばならない。

398 :諭吉:2006/11/01(水) 06:11:14
口頭での談論は紙上の文章と同じである。同じく文を記して同様の
趣意を述べるにも、その文には優美、高尚なものもあるし、粗野、
過激なものもあるし、直筆激論が時として有力なこともないわけ
ではないが、文章に巧みな人が婉曲に筆を舞わせて却って大いに
読者を感動させて、またあるときには俗に言う「真綿で首を絞める」
の効を奏することがある。
男子の文章は既にこのような状況である。ましてや女子の談論に
おいては、かりそめに過激、粗暴であってはならない。その顔色を
和らげ、口調を緩やかにし、要はただ条理を明確にして丁寧に
反復し、思うところを述べるだけにするのがよい。つまり、女子の
品格を維持するのが大切である。これに接すれば大の男もゆずらず
にはいられないであろう。
世間では所謂女子学生などが自分の浅学寡聞を忘れて差し出がましく
口を開いて人に笑われるようなことがあるが、私はそれをよしと
しない。

399 :諭吉:2006/11/01(水) 09:19:46
>>394
その部分の原文は次の通りである。
「殊に我日本国に於ては、古来女性の学問教育を等閑に附して
既に其習慣を成したることなれば、今日遽に之を起して遽に
高尚の門に入れんとするも、言う可くして行わる可らざるの
所望なれば、我輩は今後十年二十年の短日月に多きを求めず・・・」

意訳してしまって申し訳ないが、つまり、言うはたやすいが
実際にできることではない、という程度の意味であると思われる。
「高尚の門」が何を指すのかはっきりしないのだが、女子を
教育してくれる学校、という意味として捉えてみたが、どうで
あろうか。

私事だが、これから5日夜まで旅行に出るため、電子箱から
しばらく離れることになる。スレの保守をお願いしたい。

400 :名無しさん@HOME:2006/11/01(水) 11:52:45
諭吉先生、良い旅を楽しんできて下さい。

>電子箱・・・失礼ながらワロスです。

401 :名無しさん@HOME:2006/11/02(木) 09:05:28
先生のお留守中に捕手

402 :180:2006/11/02(木) 11:56:38
諭吉さん、いつも勉強させていただいています。

私の研究の都合からいうと、もう少し訪問者の方々の福翁女性論への反響を知りたいのですが……。

403 :名無しさん@HOME:2006/11/02(木) 12:17:54
私の義実家は農家(もちろんド田舎)なんだけど、
ウトメにとって法律や経済を知ってる嫁は脅威みたいだよ。
うちのウトメは悪い人ではないから私の言うことにも
多少は耳を傾けてくれていて、諭吉の家庭論のことも少し話してる。

404 :名無しさん@HOME:2006/11/03(金) 14:15:17
>>403
だから昔は『女に学問は不要』が罷り通っていて
いまだにそう思っている農家脳がいることは事実だよね。

>多少は耳を傾けてくれていて
裏山しいわ。 
糞トメなんて、比較的大都市在住なのに筋金入りの農家脳&長男教。
そして座右の銘は“夫唱婦随”ことある毎にこのセリフ。
           ↑個人的に、この言葉は大嫌い・・

405 :名無しさん@HOME:2006/11/03(金) 21:42:32
今日も捕手させていただきます

406 :名無しさん@HOME:2006/11/04(土) 00:29:54
ここに書いてある内容って、あまりにも正論すぎて突っ込み処ナシだから
毒ウトメや農家脳・長男教が全く湧いて来ないね。諭吉先生素晴らし過ぎる!


407 :名無しさん@HOME:2006/11/04(土) 16:00:20
諭吉先生の教えをウトメと一緒にわかちあいたいと思います。

408 :名無しさん@HOME:2006/11/05(日) 00:35:44
非常に論理的で説得力のある文章だな。
もちろん訳してくれた諭吉氏の文章力もあるのだろうが。

なにより、当時の時代背景を考えると、おそろしく公正で開明的な文章といえる。
信じられない。

409 :諭吉:2006/11/06(月) 00:19:17
7、優美を貴ぶことは既に述べたが、遊芸はもともと女子社会の
専有であり、音楽はもちろんのこと、茶の湯、挿花、歌、俳諧、
書画などの稽古は家計の許す限りなおざりにしてはならない。
但し、今の世間での女学といえば、ただ古い和文を学んで三十一
文字の歌を詠じてやるべきことは全てやったという者がいない
わけではない。古文や古歌はもともと高尚なもので優れた趣が
あるが、これをもてあそぶのは数ある行楽の一つにすぎず、
実際にやってみて人生の足しとして利用できるものではない。

410 :諭吉:2006/11/06(月) 00:23:24
これをたとえて言うならば、音楽、茶の湯、挿花の風流なさまを
実際の台所での作業に試みても無益であるのと同じことである。
そればかりではなく、古文や古歌など昔からのものは往々にして
華やかで浮ついており、物理の思想に乏しい。言葉は優美だが
実はいやらしい内容をうたっているものが多いのだ。

411 :諭吉:2006/11/06(月) 00:29:26
たとえば世の中でも非常に有名なあの百人一首のようなものは
何もわからずに読んで何もわからずに聞いているだけなら年少の
女子に無害であろうが、もしこれをいちいち解釈して詳しく今の
通俗文に翻訳したならば、淫猥不潔、聞くに堪えないものである。
そのさまは俗にいう都々一(どどいつ)と同じものであろう。
都々一は三味線にバチをぶつけてコリャサイなど囃し立てるために
野蛮に聞こえるが、三十一文字も三味線に合わせてコリャサイの
調子で歌えばやはり野蛮になるであろう。古歌は必ずしも崇拝すべき
ものであるというわけではないのだ。都々一も同じである。

412 :諭吉:2006/11/06(月) 00:38:56
長唄、清元節(浄瑠璃の流派の一つ)も同じである。全てこれらは
坊主がよむお経の文句を聞くように、その意味を知らないでその
声を耳にするだけであり、その意味を解釈しても別に益があるわけで
ないことは実際に明らかである。
例えば和文和歌を得意として非常に巧みであるという女学史流が、
かえって身辺の大事なことを忘れて自分が病気になっても医者を
選ぶ方法を知らず、老人や子供を看病してはその方法を誤り、
ひどい場合は手相や家相、九星八卦など、あられもないことに
頼って振り回されるようなことが世間には少なくないのである。
つまり、無学迷信の罪というほかはない。
だから古来から世の中で行われている和文字については単に
これを美術の一部分として学ぶのは有意義なことであるが、
女子の唯一の学問として勉強するようなことは、私は感心しない。

413 :名無しさん@HOME:2006/11/06(月) 07:25:20
諭吉さん、お帰り。

414 :名無しさん@HOME:2006/11/06(月) 10:22:12
諭吉先生の時代では百人一首すらドドイツと同レベルなのかw
いや、それとも諭吉先生ぐらい深く読み込むと百人一首すらドドイツになってしまうのか……

415 :名無しさん@HOME:2006/11/06(月) 17:43:23
大昔から人間の考えることことなんざ変わらないよ。
色と食は不変だしさ。
現実的でいいとは思うよ。
趣味に走りたければまず生活を成り立たせてすればいいってこと。
個人的にはますます諭吉ファンになりました。

416 :諭吉:2006/11/06(月) 23:39:09
8、女子の徳育には相当の書物を与えるのもよいし、父母や年長者が
直接話して諭すのもよいだろう。しかし、書物を読むよりも、話し諭す
よりも、一番手近い有力な教えは父母の実際の行状にある。徳の教えは
耳から入るのではなく目から入るものだ、というのが私の持論であるから、
これをなおざりにしてはならない。
父母が品行方正でその思想が高尚であれば自然に家風は美しくなり、
子女の徳義は教えなくても自然に美となるはずである。
父母である者が身を慎み家を治めることは自分たちの利益になる
ばかりではない。子孫のためにも逃れられない義務であると知って
おくべきだ。

417 :名無しさん@HOME:2006/11/07(火) 00:42:03
このスレはロムってる人は多いんだろうけど、
あまりに正論でほんとに突っ込みどころがないんだよね。
学生時代に口承文芸を勉強した者としては
諭吉がそのあたりの土着の文化をバッサリ斬ってしまうのが少し気になる。
一度斬らないと「文明」に到達できないのは
理解できるんだけどね…

418 :諭吉:2006/11/08(水) 09:20:59
9、家庭での良きならわしの内容はいろいろとあるが、
最も大切なのは家族団らん、そしてお互いに隠し事をしない
ことである。子女が何かのことについて母に語ったなら父にも
またこれを語り、父が子供に告げることは母もこれを知り、
母の話は父もまた知るようにすることだ。非常事態でもない
限りは一切万事について秘密をなくし、家の中をまさに開け
放しの状態にして、初めて親子の間が円滑となる。

419 :諭吉:2006/11/08(水) 09:22:09
「これは自分の考えだけれども父上に言ってはなりません」
「〜は自分一人の独断だから母上には内緒であるぞ」
などの話は世間でよく行われているが、このようなことは
その話の内容の善悪にかかわらず、血縁関係でありながら
その間に既に計略をめぐらすことになってしまうから
子女の養育の道としては間違っている。

420 :名無しさん@HOME:2006/11/09(木) 14:05:07
>>419
ああ、うちでもよく言っているなぁ


421 :諭吉:2006/11/10(金) 01:06:20
10、女子が成長して家庭や学校の教育が終了したならば男子と結婚する。
結婚は生涯の一大事であるから、西洋諸国においては男女がお互いに
見て択び、互いに行き来して親しみ、いよいよ決心した後父母に告げ、
その同意を得て結婚式を行うという。この点、日本においては趣が
異なっている。日本では男子、女子のために配偶者を求めるのは父母の
責任である。その男女が年頃に達したならば辛苦してこれを探索し、
ああでもないこうでもないと選んだ結果、いよいよこの人物ならばと
父母の間で内決して、まず本人の意向を問い、本人が父母の決めた人
に異存がないと答えたなら、そこで初めて成立するということになる。

422 :諭吉:2006/11/10(金) 01:11:24
だから、表面から見ると子女の結婚は父母の意であって、本人は
ただ結果を仰ぐのみであるかのようにも見えるが、実際にはその
ようなことはない。父母は単なる発案者であり決議者ではない。
これを本人に告げて可否を問い、もし「この人ではだめ」という
ことならば強いることはできない。この場合はただちに白紙に
戻し、また別の人物を探索するのだから、外国人などが日本流の
結婚を見て「父母が決めてしまうのか」と言うのは、実際を知ら
ない者の言うことであるから取るに足らない。

423 :諭吉:2006/11/10(金) 01:20:33
たとえば封建時代に武家は百姓や町人を斬り棄てると言いながらも
実際には斬り棄てた者がないように、そう言われているだけで
習慣として実際には許されないことである。ただし、世の中は
広く、実の父母が金銭のために娘を売ることさえあるくらいだから
所謂親の威光を以って娘に嫁入りを強いる者もいるだろう。
これは昔の馬鹿侍が酔狂に道端の小民を手打ちにするのと同様、
情け知らずの非人として世間の人から顰蹙を買い排斥されるべき
ものであるが、実際にはこういう者がいないというわけではない。
そういう極端な例を除いて、概していえば、日本における結婚でも
女子に大きな不平はないといってよいだろう。

424 :名無しさん@HOME:2006/11/10(金) 09:33:48
諭吉さん、今日も良いことおっしゃるわ。

確かに、この平成の世の中でも、いまだに『娘を嫁にやる』などと言う
ヴァカな親は健在ですからね。

425 :名無しさん@HOME:2006/11/10(金) 09:37:16
嫁にもらったんだから、うちの人間になったんだから
も健在ですw

426 :諭吉:2006/11/12(日) 00:07:14
11、父母が女子のために配偶者を求めるのは非常に理にかなった
ことで、そこでは本人の自由を妨げることはないだろう。しかし、
今一歩進んで社会全体に男女交際のありかたの区域を広くし、
これを高尚、優美にし、所謂「和して乱れない」の境地に進めて
自由自在にできるようにすることが私の常なる願いである。
女子が父母に婚姻をすすめられたとき、自分の見聞が広ければ
相手を選ぶときの可否を答えるのもたやすい。また、自分で
相手を探すときにも、内々に父母に語るか、またはひそかに人に
頼んで言うかすることができるから、親子共に非常に便利である
だろう。これが私の願わしいことであるが、いかんせん、これは
今はただの希望であって、実際にやってうまくいくかどうかは
わからない。無理やり実行しようとすればいろいろと弊害が起こる
であろう。私はそれを恐れてしまうのである。

427 :諭吉:2006/11/12(日) 00:15:47
男女交際のありかたがまだ未熟である時代では、男女の間には
単に肉体の交わりがあるのを知りながら精神的な交わりがあるのを
知らない人も多い。例えば今の浮世の男子が芸者などをもてあそぶ
ように、自分では男女交際と言いながらきわめて卑猥で醜く無礼な
様子を見ると、気品高い精神的な交わりとは程遠いのである。
たとえ直接身を汚すことはなくても、結局は肉体の交わりの波乱の
中に浮沈するものと言わざるを得ない。
だから、今日、男女の気品を高尚にしてその交際のありかたを
広くし、結婚の契約も自由自在にするためには、ただこの社会が
改良される時期を待つしかない。いや、いたずらにその時期を
待つのではなく、この世の中の志ある善男善女が自分から実行
して実例を示し、新しい時代を築いていくことを私は希望し
勧告したいのである。

428 :諭吉:2006/11/12(日) 23:34:37
12、女子の結婚は男子と同様、他の家に嫁入りする者もあり、実家に
とどまって婿養子を迎える者もあり、あるいは男女共に実家を離れて
新家をおこす者もある。その事情はどうであっても、結婚した以上は
夫婦は共白髪まで、苦楽を共にするという契約を守り、かりそめにも
背いてはならない。
女子が生涯独身であればその身は却って気楽なものだが、それでは
すまないということで結婚するのはある意味苦労の種を自ら求める
ようなものであるともいえるが、男女が家庭を共にするのはこの世の
さだめであるから、その家庭の楽しみは苦しみを償ってあまりある
ものである。
結婚は独身時代の苦楽がそれぞれ倍になるのが運命である。快楽も
大きい代わりに苦労もまた多い。

429 :諭吉:2006/11/12(日) 23:39:57
夫婦はまさしく一身同体である。妻が病気のときには夫の身をも苦しめ、
夫の恥辱のときには妻の心を痛ましめ、その感じるところにはほんの
わずかの違いもない。世の中の男女の中にはこういった苦労の道を
知らずに、結婚はただ快楽の一方のみと思って、苦労がこれに伴う
のを忘れて、男子が老いた妻を棄てて妾をつくり、婦人が家の貧苦を
嫌って夫を置き去りにするなどの怪事がある。つまり、結婚の契約を
重んじない非人である。慎むべきことである。

430 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 09:55:50
おっしゃるとおりですね。

431 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 14:12:43
夫婦お互いに尊重出来る関係であれば
>429の後半みたいなことにはならないと思う。

結婚が『嫁にもらった』等、非人間的な行為でなければ
お互い危機に面した時でも、簡単に裏切ったりはしないのでしょうね・・

432 :諭吉:2006/11/13(月) 21:30:46
13、女子の結婚、特に他の家に嫁入りする形で結婚した後、その家の
舅姑に仕える云々に関しては古くから世間でいろいろと言われてきた
ことである。実際、姑と嫁とでは女同士であるから、その間に衝突が
起きるのは珍しいことではない。たとえ表面的には衝突していないか
のように見えても、内心で相互に含むところあって打ち解けないのは
日本国中の家のほとんどでごく普通のことであるといってもよいだろう。
世の中の姑がことごとく皆悪いわけでもなく、世の中の嫁がことごとく
皆悪いわけでもない。その人柄の良し悪しに関係なくこの両者の
関係が穏やかでないのは、つまり人の罪ではなく人間が作り出した
世の中の罪であり、一歩進めて論じるなら世の中の習慣によるもので
あるといわざるを得ない。

433 :諭吉:2006/11/13(月) 21:37:20
世の中に伝わっている教えによれば、嫁が舅姑に仕えるには実の
父母のようにせよ、実の父母よりもさらに手厚く親しみ敬えと
いうことだ。それと同時に、舅姑に向かっては嫁を愛するには
実の娘のようにせよという。このことが実際に行われるならば
もちろん好都合だが、自然な人情としてはいかんともしがたい。
父母でない者を父母とし、娘でない者を娘とすることはできない。
もしこれを実行しようとするならば、表面的な儀式にとどまる
ことが多い。たとえその一方が心から打ち解けて親しもうと
しても、先方の心に何か含むところがあるか、または含むところが
あるだろうと推察できるならば、なにぶんにも近づきがたい。
この場合は俗にいう触らぬ神にたたりなしの趣意に従い、一通りの
会釈、挨拶を行い、正直な思いは胸の中におさめておくほかには
方法がない。

434 :諭吉:2006/11/13(月) 21:44:07
双方の胸に一物があったとして、その一物が悪事どころか真実の
親切、誠心誠意の塊だったとしても、既にそれを隠している状態
ならば双方共に釈然とはしないだろう。血のつながりのある親子が
無遠慮に思うところを述べて、双方の間には行き違いも誤解もあり、
親に叱られ子に咎められながらも、結局はただ一場の笑に附して
根もなく葉もなく、依然として親子の情を害することもないのに
比べたら、もともと他人同士の関係では同じ年月のうちに語れる
ような問題ではない。

435 :諭吉:2006/11/13(月) 21:52:07
このように、舅姑と嫁との間では、その人格、品性のいかんにも
その家風のいかんにもかかわらず、双方が真の血のつながりのある
親子のようにしようとするのは千に一つ、万に一つの異例のほかは
まず人間の心理としては非常に難しい願いである。
この舅姑と嫁の間の古い教えは昔から女子の教育の中にしっかりと
盛り込まれてきていて、社会全般の習慣として根付いてはいるが、
これを守ろうとすれば舅姑も嫁も共に苦労することになる。
だから、無理な努力をして失敗するよりも、できないことはできない
こととして他によい手段を求め、自然な人情の根本から割り出した
家の幸福を全うしてほしいと私は望むのだ。

436 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 22:31:25
いよいよ佳境に入ってまいりましたな。

437 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 22:35:24
>できないことはできないこととして他によい手段を求め

なんて建設的な考え方だろう。
うちのトメは「あんたががまんすればいいでしょー!!」て雄たけび上げるよ。

438 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 22:46:12
>>437
はげど。糞トメの常套句は『今のお嫁さんは我慢が足りない』的な発言。
昔から伝わる悪しき慣習以外何物でもない。

439 :名無しさん@HOME:2006/11/13(月) 22:49:51
>>438
なら、昔の嫁である自分が我慢すればいいのにね。


440 :名無しさん@HOME:2006/11/14(火) 06:48:22
>>439
不思議なことにそういう考えにはならないのですよ
悲劇は繰り返される…

441 :諭吉:2006/11/14(火) 18:27:39
14、字の如く舅姑は舅姑であり、嫁は嫁である。もともと親でもなく
子でもないのだから、その親子でないこその真実の実際における
和合のしかたを講じるのが人情の本来の姿であろう。これは私の
特に注意することである。近づけばさらに近づき、遠ざけてもなお
ますます近づこうとするのが夫婦の間であるが、近づけば常に
衝突し、遠ざければ却って近づくのが舅姑と嫁との間である。

442 :諭吉:2006/11/14(火) 18:32:52
そのため、女子が結婚したときは夫婦共に父母を離れて別に新家を
設けるのが一番良いのだが、結婚のありかたは一様ではなく、家の
貧富や職業の事情も違うから、結婚したからといって必ず別の門戸を
つくることがなかなか難しいこともあるだろう。しかし、新夫婦は
せめて親世帯と台所を別にしたほうがよいと私はあくまでも主張する。

443 :諭吉:2006/11/14(火) 18:39:26
例えば家を相続する男子に嫁を貰うか、または娘が婿養子を迎える
場合でも、新夫婦と親夫婦は一家に同居せず、片方は近隣なり
または敷地内の別戸なり、またあるいは家計が許さないならば
同じ屋根の下でも一切の世帯を別々にして、つまりは新夫婦と
親夫婦の接点を少なくすることが非常に大切なことである。
新婦にとっての老夫婦は血のつながりのある父母ではないのに
加え、世代も違い、衣服、飲食などありとあらゆることにおいて
考えや嗜好が違うのは当然のことであり、その違う者同士が
互いに触れ合うときには衝突するのが運命なのである。
これでは家が双方の感情を害する媒体になってしまう。

444 :諭吉:2006/11/14(火) 18:46:43
それに対し、互いに遠く離れて互いに見ていても見ないふりを
して、互いに家庭内の秘密に立ち入らないようにすれば、
新世帯も親世帯も独立した家計での自由な生活を得ることが
できる。それだけではない。遠ざかるからこそ互いの心が
近づき、遠めに見るからこそ憎しみ合うこともなく、舅姑と
嫁との間も知らず知らずのうちに和合して、家庭の団欒を
守ることができるのである。つまり、このことによって新夫婦は
ますます互いにひかれ合い、親夫婦とは衝突しないように避けて
遠く離れてこそ互いにひかれあうということである。

445 :諭吉:2006/11/14(火) 18:54:07
世間では無数の老人夫婦が息子に嫁を迎えたり娘に養子を貰ったり
している。無理に同じ屋根の下に同居して衝突を起せば「これほど
手近いところで優しく世話してやっているのに不平をいうとは何事だ」
などと愚痴を漏らす者が多い。このような話はよく聞くことだが、
その手近いところで優しくお世話される、ということこそが苦痛の
種なのであるとなぜわからないのだろうか。結局これは人の罪では
なく、悪い習慣のせいである。新旧の夫婦が共に自分たちで不愉快だと
知りながら、近く接して自分たちで苦しんでいる。人生のありかた
としては最もばかばかしいものといってよいであろう。

446 :名無しさん@HOME:2006/11/14(火) 21:31:50
これはすごい。永久保存age

もう、涙が出てきた…

447 :名無しさん@HOME:2006/11/16(木) 09:21:03
>手近いところで優しくお世話される、ということこそが苦痛の
>種なのであるとなぜわからないのだろうか。

そうそう! その通り! 禿げあがるほどに同意で何も突っ込めない!

448 :名無しさん@HOME:2006/11/16(木) 18:52:15
どうしてこんなに良い意見があまり注目されないのか疑問。

449 :名無しさん@HOME:2006/11/16(木) 19:52:54
これは良スレですね。
皆に見てもらいたいのでアゲ!!

450 :名無しさん@HOME:2006/11/16(木) 20:51:58
読みやすく手に取りやすい版型で出版してほしい。
「子供達に先生の学校に行ってほしいと思って
買ったんですけどー」と前置きしてウトメの前で音読したいよw

451 :諭吉:2006/11/17(金) 00:38:31
15、新夫婦は家の事情の許す限りは老夫婦と同居しないほうがよい
ということは既に述べたが、さて、その新婦人が舅姑に接する方法
はどうすればいいかというという問題があると思う。
新婦にとって夫は実の父母にも劣らぬほど最も親しい人物である
だろう。その最も親しい人物の最も尊敬し最も親愛する老父母、
つまり舅姑のことならば、たとえ自分の父母でなくても夫を思う
気持ちから割り出した結果として、これに手厚くするのは当然の
ことである。夫が常に愛玩するものは犬馬、器具にいたるまでも
これを大切にするのは妻である者の自然な情であるだろう。
ましてやたとえようもない我が夫を産み出した尊敬すべき親の
老父母においては当然であろう。彼らの保養を手厚くし、
感情を和らげてかりそめにも不愉快な思いをさせないように
心を配ることが大切である。

452 :諭吉:2006/11/17(金) 00:58:36
特に老人は多年の経験があるのだから、万事について妨げのない限りは
何でも打ち明けて相談するのがよい。これは老人を煩わすことだと
いう人もあるかもしれないが、その相談は老人を疎外しないという
態度を表すことであうから、却ってよいことである。

453 :名無しさん@HOME:2006/11/17(金) 08:03:00
>>450
講談社学術文庫「女大学評論・新女大学」

454 :180:2006/11/17(金) 13:24:10
>>453

リンボー先生解説のやつですね

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=aw_mp_1/?a=4061594729&uid=NULLGWDOCOMO


455 :180:2006/11/17(金) 13:29:46
こっちでした
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061594729/ref=pd_rvi_gw_1/503-5865443-1424731

456 :名無しさん@HOME:2006/11/17(金) 17:56:16
>>453
レビューをここの住人の方に書いてほしいな。

457 :諭吉:2006/11/17(金) 22:59:42
かつて、ある洋学者が妻をめとり、その妻も少し英語を理解できる
人で夫婦仲良く暮らしていた。一人の老母がいたのだが、何も
相談しないばかりか知らせもせずに、夫婦だけの判断だけで
生活していて母はいてもいないような者の扱いをしていた。
あるとき、家の諸道具を片付けて持ち出すのを老母が見て嫁に
尋ねたところ、「今日は引越しです」と言ったから、この老母の
驚きは大変なものであった。

458 :諭吉:2006/11/17(金) 23:01:31
この老母は老人といってもまだ極老というほどではなく、
心身ともに達者でよく物事を理解し処理する人であったが、
若夫婦は常に老母をうるさく思い、朝夕、万事において
英語を使って用を足していたために、引越しのその朝に
なるまで何事も耳に入れることなく、わけのわからぬ
うちにいつの間にか荷物同様新宅に運搬されたという
ことである。

459 :諭吉:2006/11/17(金) 23:04:22
この息子の不敬、乱暴、無法はいうまでもないことだが、
嫁の不埒もまた憎むべきものである。無教育な下等の
暗黒社会での出来事ならまだしも、いやしくも上流の
紳士淑女においてこのような奇談はただ驚くべきことである。

460 :諭吉:2006/11/17(金) 23:06:17
推察するに、この英語を使う夫婦は引越しのことを老母に
語るのは無駄なことである、意見など聞かなくてもよい、
ということで夫婦だけの間で決めたのだろうが、これでは
老人を養うことはできても心を汲み取ることができていない
ということになる。不敬、不埒というよりも、常識を失った
愚か者といってよいであろう。人の心をわきまえない非人
であるといっていい。女子は注意して心に銘じておくべきだ。

461 :名無しさん@HOME:2006/11/18(土) 22:58:08
その時代に鬼嫁が存在していたとは驚きです。

462 :諭吉:2006/11/19(日) 00:34:01
16、子供の養育は婦人の専任であるから、たとえ富貴の身分であったと
しても自然の理に従って自分の乳を授けるべきである。病気または
健康上の差し支えにより乳母を雇うことになっても、朝夕の注意は
決して怠ってはならない。授乳の時期を過ぎた後も、子供の食生活や
衣服に心を配って細かいことまでも見逃さないようにするのは
婦人の天職を奉ずることであり、その代理人はいないはずである。

463 :諭吉:2006/11/19(日) 00:37:38
食事や衣服は有形のものだから誰の手から与えても同様であるかの
ように見えるが、これを与えるについては無形である母の徳が大切
であり、その感化力は有形物に優れること百千倍であることを忘れ
てはならない。蚕を養うにも家の者が自分でするのと雇い人に
任せるのとではその生育に違いがあるという。ましてや自分の産んだ
子供についてである。人任せができないのは言わずとも明白であろう。

464 :諭吉:2006/11/19(日) 00:44:21
世の中の婦人の中にはこの道理を知らず、多くの子供を持ちながら
その着物のほころびを縫うのは面倒だ、食事の世話は煩わしいという
ことで下女の手に託し、自分は友達との付き合いや物見遊山などに
ふけって、悠々閑々たる者がいるが、これは気の毒なことである。
もちろん、婦人の遊楽は決して咎めてはならないことである。
日頃の憂さを晴らし、養生のためといえば花見をするのもよいだろうし
湯治も賛成である。集会や宴席の付き合いも有意義なことであろう。
しかし、外出するにあたって子供を家に残し、夫婦の留守中に下男
下女に預け、生まれたばかりの赤ん坊は無理に牛乳で養われるという
例もあるようだ。これはまるで雇い人に任せた蚕のようなものである。
その成長がどうなるかは自分で考えればよくわかることだ。

465 :諭吉:2006/11/19(日) 00:50:31
昔の大名や良い家柄の子供に心身が暗弱な者が多かったのも、貴婦人が
子を産みながら子を養育する方法を忘れていたためである。この点は
よく考えなければならないことである。私は婦人の外出をやめろとは
言わない。むしろ外出をすすめて婦人が活発な人生を送ることを願う
者であるが、子供の養育という天職を忘れて浮かれた生活をするよう
なのは決して許せない。

466 :諭吉:2006/11/19(日) 00:52:02
この点については、西洋流のやりかたに感心させられるものが非常に
多い。

467 :諭吉:2006/11/19(日) 00:55:14
また、婦人はその境遇から家にいて家事をつかさどるわけだが、生理や
病理について多少の心得がなくてはならない。家族の病気に手治療など
は決してしてはならないことだけれども、急病や怪我などのとき、医者が
来るまでの間には頓知や工夫が必要であるが、いたずらにうろたえて
病人のために却って害になることも多い。これは用心しなければならない。

468 :諭吉:2006/11/19(日) 01:00:05
たとえば子供が腹痛のときには「例の黒焼きの妙薬がある」などと
薬剤学的にはわけのわからぬものを服用させてはならない。
緊急の場合は医者が来るまでに腰湯やパップを使ったり、または
しばらく排便がないといえば浣腸をしたりというような外用の手当ては
恐る恐る用心しつつ施してもよいが、内服薬は一切勝手には与えず、
ただ医者の来診を待つのがよい。あるいは高いところから落ちて気絶
した者がいた場合は酒か焼酎を飲ませ、または切り傷ならばとりあえず
消毒綿を使って縛っておくくらいにして、その他に余計の工夫は無用で
ある。

469 :諭吉:2006/11/19(日) 01:06:44
ある人が剃刀の傷に袂草(袂の隅にたまったゴミ)をつけて血を止めた
のはよかったが、その袂草の毒にあたって大きな病気にかかったことが
あった。つまりこれは無学の罪である。くれぐれも心得ておくことだ。
これらのことについては世間に原書もあるし翻訳書もあるから、これを
読むのはさして苦労することではない。婦人のためには面白い教養と
なることであろう。

470 :名無しさん@HOME:2006/11/20(月) 01:37:03
袂の隅に溜まったゴミで止血なんて・・・((((;゜Д゜)))

471 :180:2006/11/20(月) 09:38:18
>>470
福沢さんの迷信嫌いがここにも顕れていますね。

幕末のころせっかく導入された西洋医学が、迷信によって拒絶されるのを目撃したのだそうです。

「種痘をすると牛になるゾ」とか、「コレラ患者には水を飲ませるな」とか。

なお、福沢が学んだ緒方洪庵の適塾は、大阪大学医学部の前身とされています。

472 :名無しさん@HOME:2006/11/20(月) 09:47:33
以前から非科学的な事が嫌いで、特に迷信は大嫌いです。
大昔なら仕方ないが、この平成の世の中で未だに迷信を信じたり
縁起を担ぐウチの馬鹿ウトメには、いい加減疲れる。
旦那&コトメちゃんも呆れてモノが言えず、遠くから生暖かく見守り
華麗に放置プレー状態です。

473 :諭吉:2006/11/21(火) 01:15:16
17、下男下女を召し使うのは随分骨の折れることである。使われる者は
力を労し、使う者は心を労する。主人のほうこそかえって苦労が多い
であろう。下男下女にもいろいろな人物がいる。ときには忠実で
すばらしい人物がいないこともないが、これは特別なことであり、
そもそも彼らは資産もなく教育もないがゆえに人の家に雇われるの
だから、主人である者はその人物いかんにかかわらず、よく教えて
ならし、とにかく親切にしてそれぞれの家事に当たらせるのと同時に
到底自分の思い通りにはならないものと最初から胸中に覚悟して
多くを望んではならない。
下女の不行き届きや下男のいい加減さなど、いちいち気にして
いたずらに心配や苦労をして無駄な癇癪を起すのは、ただ愚かな
ことであるといえるだろう。

474 :諭吉:2006/11/21(火) 01:21:15
現在の下男下女をよくないと思うならば、ここ数年のことを思い出す
ことだ。その数年の間にいかなる男女が果たして最高の人物で自分の
意に適した者であったか、それは誰かと指を折ってみたならば、
彼らの中でもそれぞれ長所も短所もあり、十分であった者は非常に
少なかったのではないだろうか。ここ数年が既にそういう状態で
あったなら、現在もその通りであたりまえである。また、将来も
同様であろうと勘弁したほうがよい。下の者の過誤、失策を叱るのは
叱られる者よりも叱る者のほうが見苦しい。主人は慎むべきものだ。

475 :名無しさん@HOME:2006/11/21(火) 09:05:41
下男下女なんて言われるとさすがにピンとこないけど
部下とか学生バイトとかと一緒に仕事するときの心得
として読めば納得。

476 :諭吉:2006/11/22(水) 00:32:20
18、婦人は家を治めて家庭内の経済を預かるが、いわば支出だけを
管理して収入を知らない者も多い。これは甚だ不安なことである。
夫だっていつまでも生きられる身ではないし、老少の順番でいくと
夫のほうが先に世を去るのだから、早く夫に死に別れて大勢の子供
の世話をはじめ、家事の全てを婦人の一手に引き受けるという万一の
不幸もある。

477 :諭吉:2006/11/22(水) 00:33:13
そのときになって夫の存命中、外でどのような仕事をして誰と
どのような関係があったのか、金銭上の貸借はどうか、その約束は
どうかなど、詳細の事実を知らず、帳簿を見てもよく理解できず、
そのために様々な行き違いを生じて、ひどいときには訴訟の沙汰に
及ぶことも世間には珍しくないのだ。


478 :諭吉:2006/11/22(水) 00:37:31
これはつまり婦人が家計の外部に注意していなかったために起こる
ことであるから、夫婦が一緒に暮らしているならば外の仕事は全て
男子の責任とはいいつつも、その仕事のだいたいのことについては
婦人もこれを心得おいて、その時々の変化や盛衰に注意するのは
大切である。私が女子に経済の思想が必要であると言っているのは
このあたりの意味である。

479 :名無しさん@HOME:2006/11/22(水) 09:22:08
戦前の裕福な家庭で夫が急逝した後、残された妻子が破産した話はよく聞く。

吉行あぐりさんのお父さんも弁護士かなんかだったのに急逝して、
残されたお母さんが金銭感覚ゼロだったみたいだし、
菊池寛の貞操問答もそうだよね。


480 :名無しさん@HOME:2006/11/22(水) 22:45:45
あの時代って『女に学問は不要』がデフォだったはず。
碌な教育を受けなかった女性に、家計(計算?)は無理難題、
それを放置プレーしていたのは誰のせいだろうか・・・

481 :名無しさん@HOME:2006/11/23(木) 07:43:14
おまいら頭いいな
>>3読んでもさっぱり分からない orz

482 :諭吉:2006/11/24(金) 00:32:09
19、女子がいかに教育されていかに書物を読み、博学多才であっても、
その気品が高くなくて行いが悪く不品行な場合は、淑女の本領は既に
消滅しているといってよい。私がここに行いが悪いと記すのは、必ず
しもその人が実際にみだらな罪を犯すことの罪自体を咎めている
だけではない。普段の言行が粗末で礼儀上いましめるべきことを
知らず、ややもすれば談笑の間にもあられぬ言葉を漏らして、当人
よりも聞く者のほうが却って赤面してしまうようなことがあっては
ならない。これはこれらは全て不品行の敗徳としていやしむべき
ものである

483 :諭吉:2006/11/24(金) 00:43:06
例えば芸者などといういやしい女が衣裳を着飾り、酔客の座辺に
はべって歌い踊りまわるときに漫語放言をはばかることがないのは
活発で無邪気なようでいて、まあ実際に本当に無邪気な者もいるかも
しれないが、これは座中の淫婦といわざるを得ない。

484 :諭吉:2006/11/24(金) 00:44:13

芸者のことは例外としてさておくとしても、上流社会においても
自覚なく誤った行動をする者がいる。近来の教育の進歩に従って
言葉の数も増加し、昔は学者の世界に限って用いていた漢語が
今は俗世間での通語となっているものが多い。その中でも私に
とって耳障りなのは「子宮」という文字である。従来は婦人病と
いえばただ漠然と「血の道」とだけ称して、その詳しい内容は
ただ医者に任せていたわけで、素人の間ではかつてこの言葉を
言う者も聞く者もなかった。しかし近年では日常の会話に公然と
「子宮」という言葉を用いてはばかることがなく、市販薬の看板
にさえその文字を見られる状態である。それだけではない。
ひどいときになると婦人の口から直接この言葉が漏れることも
ないわけではない。ただ仰天するばかりである。

485 :諭吉:2006/11/24(金) 00:52:06
そもそも「子宮」という字は洋語のUterus(ユーテルス)にあたり、
相互直訳の文字であって、西洋諸国においては医師社会に限って
この言葉を用いていた。診察や治療の必要に迫られた場合はごく
内々に患者またはその家族にこれを告げるのみであった。医事に
関する要談のほかには、西洋の人の口から「ユーテルス」という
言葉を聞こうと思っても決して聞くことはできない。ましてや
婦人の口からはとても、生命を賭してもこの言葉を口にしては
ならないという。

486 :諭吉:2006/11/24(金) 00:53:53
しかし日本人はこの言葉を口外して平気である
という。当人の知らないこととはいいながら、恥ずべきことでは
ないか。なお、このほかにも今の世間には見苦しく聞き苦しい
言葉が多い。これは婦人の罪だけではなく、社会の先達である
学者、教育者の不親切と、政府の筋の無学や不注意によるもので
あると知るべきだ。

487 :名無しさん@HOME:2006/11/24(金) 09:18:54
諭吉をタイムマシンで平成に連れてきたら…
子宮がだめってくらいじゃ血圧上がって卒倒してしまうだろなw

488 :名無しさん@HOME:2006/11/24(金) 09:51:49
>教育者の不親切と、政府の筋の無学や不注意によるもので

男女平等な教育を怠った代償は大きいということか。
よく「女は子宮でモノを考える云々」と言う人がいるけど、
聞いてて不愉快で、はしたないと常々思っていた。
諭吉さんが、あの時代でそう感じていたとはさすがですね。

489 :名無しさん@HOME:2006/11/24(金) 10:31:56
この辺のくだりは(今聞くと)やっぱり少し古臭いかも。
多分例えが悪いんだろうけど、子宮頸癌も子宮筋腫も不正出血も全部いっしょくたで
「血の道」として医者に丸投げするのは>>467の諭吉先生の言に反するわけだが……
インフォームドコンセント重要。

現代で言うならこの「子宮」にあたる言葉は何だろう。

490 :名無しさん@HOME:2006/11/24(金) 13:42:32
「婦人病」とかそんなかんじ?

491 :諭吉:2006/11/26(日) 00:21:38
20、教育の進歩に伴って婦人が自分が実際に見たり聞いたりしていない
ことまでも喋り、ひどいときには奇怪千万な言葉を使って平気でいる
のは、浅見を自覚していない罪であってただあわれむべきものである。
その原因は様々であるが、中でも幼いときから教育の方針を誤って
自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理をなおざりにし、いたずら
に浮華に流れて虚文をもてあそぶようなのは、自分から災いを引き
起すようなものといってよい。

492 :諭吉:2006/11/26(日) 00:27:47
たとえば、学校の女生徒が少々字を知り、また洋書などを理解できる
ようになるのと同時に、いわゆる詠歌や国文に力を注ぎ、または
小説や戯作などを読んで余念がない者もいる。文を学ぶには国文学や
小説なども非常に有意義だが、年齢が小さいときには他に勉強すべき
もののほうが多い。詠歌には巧みだが自分が独立するということに
ついて将来を思い描いたこともなく、数十百部の小説本を読みながら
一冊の生理学の本も見たこともない女性が多いのだ。小説や戯作は
往々にして人の情を刺激することが多く、血気盛んな春ともいうべき
妙年の女子のためにはまず有害であるから、文学を学ぶということの
必要性からこれを読もうとするならば、その内容を考えて何を読む
べきか選ぶことが大切であろう。

493 :名無しさん@HOME:2006/11/26(日) 11:47:18
偏った教育による偏った知識は、男女を問わず
その人の人生をも変えてしまう可能性が無きにしも非ず、でしょうか。

494 :諭吉:2006/11/27(月) 12:57:13
21、婦人の気品を維持することは確かに大切なことであるから、
他人に惑わされることなく自分自身を重んじるべきである。
昔から現在に至るまでとどまることなく流れゆく濁った水のような
この社会においては、芸者もいるし妾となる者もいる。妾から
成り上がる者もおり、芸者から出世して立派に一家の夫人となる
者もいる。全てこれらは人間ではない醜物であり、淑女や貴婦人の
座に同席できるような者たちではない。賤しんでもなおあまり
ある者たちであるわけだが、彼女たちを賤しんでいる気持ちを
外面にあらわすことはすべきでない。

495 :諭吉:2006/11/27(月) 13:03:09
私は清いがあなたは濁っている、私は身分が高いがあなたは卑しい、
といわんばかりの顔色であからさまに彼女たちを辱めるようなことは
ただむなしくその人自身の品格を落とすだけであり、利益のない
振る舞いであるから、深く慎むべきである。
もし交際の都合で余儀なく彼女たちと同席することがあった場合には、
礼儀を乱さず温顔をもって接し、侮ることがないようにする。
そしてそれと同時に、密かに彼女たちの無教育、破廉恥なのを憐れむ
のが慈悲というものであろう。
要するに、ただその人の内部に立ち入ることはせず、度外に捨て置き、
事情が許す限りは近づかないようにすることである。

496 :名無しさん@HOME:2006/11/27(月) 17:32:39
ドキュとの交際術まで…丁寧なことです。

497 :諭吉:2006/11/27(月) 20:32:35
喪女!やめなさい!!

http://human5.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1164550712/


498 :名無しさん@HOME:2006/11/27(月) 22:16:56
>>497
そのスレ、見事な便所の落書きですね。

499 :名無しさん@HOME:2006/11/28(火) 11:21:49
女同士の醜い争いは、一度関わってしまうと泥沼から
抜けられずに、下手をすれば火傷までするので、近寄らないのが吉か。

500 :諭吉:2006/11/28(火) 22:10:48
22、夫婦が同居して、妻である者が夫に対して誠をつくすべきなのは
言うまでもないことである。両者一身同体、苦楽を共にするという
契約は、生命を賭けるべきもので、背いてはならない。しかし、
もともとの両者の立場からすると、家事の経営に内外の別こそあれ、
お互いに尊卑の階級があるわけではない。一切万事が対等であると
心得て、自分から屈することがあってはならない。また、相手を
屈服させようとしてはならない。これは結婚の契約から生じた
それぞれの権利があるためである。

501 :諭吉:2006/11/28(火) 22:19:28
婦人は柔順を貴ぶという。これはもともと女性としての本質で
あり、男子と大いに違う点である(違わざるを得ないのだ)。

柔順は女性の徳の根本であり、唯一の本領であるが、その柔順
とは言語挙動における柔順であり、卑屈盲従の意味ではない。
ここが重要である。私のあくまでも勧告奨励する点である。


502 :諭吉:2006/11/28(火) 22:26:13
非常時には父母の命令を拒んで夫のすることに争うこともあってよい。
例えば経済的な事情で娘を身売りに出そうとしたり、または利益の
ために相手を選ぶことなく結婚させようとするようなときは、父母の
よこしまな心のために子供をもてあそぶ行為であるから、たとえ
親子の間であってもその命令を拒絶してかまわない。親子の間も
そうなのだから、夫婦の間も同じである。

503 :諭吉:2006/11/28(火) 22:36:24
夫が外の仕事に失敗して貧窮に沈んだときは、夫婦共の不幸であり、
双方の間に一点の苦情もあるべきでない。一沈一浮を共にし、苦楽
を同じくするのが夫婦である。
しかし、その夫の品行がおさまらず、内に妾を囲い、外で花柳に
戯れ、獣のような行いをほしいままにして家庭内をかえりみない
ようなときは、対等であるはずの配偶者を侮辱し虐待する罪で
あるから、断じて許してはならない。妻である者は死力を尽くして
これを争うべきである。

504 :諭吉:2006/11/28(火) 22:44:37
もしかすると、世間はこれを見て婦人の嫉妬であるなどと言う人も
いるかもしれないが、凡俗な人々の評論は取るに足らないことだ。
男子の獣のような行いをやりたい放題にさせると男子はその人自身の
罪にとどまらず、ひいては一家の不和となり、兄弟姉妹の隔絶の種と
なる。そしてその獣のような行いを繰り返した男の死後には、体の
虚弱な者が子孫として残る心配もあるばかりではなく、不徳の悪い
習慣も遺伝して、家庭平和の幸福は望むことが難しくなる。
ひどいときには骨肉の争いが起こり、親戚同士が互いに謀り、
家名の相続や財産の分配など、争論が多数出て、所謂お家騒動の
大波乱を生じて人に笑われる自体になりかねない。

505 :諭吉:2006/11/28(火) 22:48:49
その不和をおさめる役にはそのときの未亡人、つまり今日の妻になるのだ。
わざわいの原因は一人の男の悪徳によるものであることは明白であるから、
家庭内をおさめる妻が夫の不行跡を制止できないのは、自分の権利を
放棄してその天職を空しくしていると言われても弁解の余地はない。
嫉妬云々という世間の俗評をはばかって萎縮するのは、婦人の人生に
おいて恥辱といってよい。

506 :名無しさん@HOME:2006/11/29(水) 00:00:45
何かにつけ、私に「夫唱婦随が一番!」と寝言をいう
馬鹿トメにこのスレを見せてやりたい。

507 :名無しさん@HOME:2006/11/29(水) 23:02:31
その名は天下の「慶應義塾大學」

その言葉を聞くと、僕は自然と身が引き締まります。
創立者、先輩、OBの方々に恥じない自分であっただろうか・・・。
しかし、福澤諭吉先生は僕に語りかけるのです。
「いいかい?伝統というものは塾生が作りあげていくものなのだよ」と。
僕は感動に打ち震えます。
「慶應義塾が何をしてくれるかを問うてはならない。君が慶應義塾で何をなしうるかを問いたまえ」
僕は使命感に胸が熱くなり、武者震いを禁じえませんでした。
でも、それは将来の日本を先導する僕たちを鍛えるための天の配剤なのでしょう。
慶應義塾を作りあげてきた先輩はじめ先達の深い知恵なのでしょう。
慶應義塾大學に入学することにより、僕たち塾生は伝統を日々紡いでゆくのです。
なんてすばらしき学舎哉、嗚呼、慶應義塾大學。
知名度は世界的。創立150周年の歴史、人気、実力全てにおいて東大京大を遥かに凌駕する比類なき王者。
素晴らしい実績。憲政の神様も慶應義塾。小泉純一郎も慶應義塾。世界のトヨタの社長も慶應義塾。
すべての偉人は慶應義塾。余計な説明は一切いらない。

ただ周りの人には「慶應義塾の塾生です」の一言で羨望の眼差しが。
合コンのたびに繰返される女性たちの側からの交際申し込み。
女子高生の「学校は?」の問いに「慶應義塾です。」の返答で抱きつかれ、
女子大生の「ご趣味は?」の問いに「慶應義塾です。」の返答でお持ち帰り。
OLの「ご出身地は?」の問いに「慶應義塾です。」の返答で箱根旅行へ。
ご近所のマダム達からの熱い眼差し。
新橋のサラリーマンから感じる劣等感。
そしてあらゆる街を歩くたびに味わう圧倒的な慶應義塾への信頼感と期待。




嗚呼・・・共立薬科大学に入学して本当によかった。

508 :名無しさん@HOME:2006/11/30(木) 14:06:31
明日からは師走ですね まで読んだ

509 :諭吉:2006/12/01(金) 23:35:58
23、偕老同穴は夫婦の約束であるが、いかんせん、死は年齢に
関係なくやってくるものであるから、十分に歳を重ねることなく
夫が早くこの世を去ることもある。このような不幸に際しては
あとに残った婦人が既に40とか50に達して、子供の数も多いなら
夫なきあとの家を守って暮らすべきだが、まだ20、30くらいで
40にもならない場合には、未亡人としての生活は非常によろしく
ない。私としては再婚をすすめたいのだが、日本社会の風潮は
非常に冷淡で、学者の間でも再婚を論ずる者は少なく、それ
ばかりか未亡人であることがあたかも婦人の美徳として、
「貞婦二夫にまみえず」などという根拠もない愚説を唱えている。
再婚を妨げるような風潮があるのは非常に残念なことである。

510 :諭吉:2006/12/01(金) 23:41:30
昔の人が言う「二夫」云々は、夫のいる婦人が同時に第二の男子に
接するという意味であろう。つまり、今現在妻のいる男子が花柳に
戯れるような不品行をいましめたものであろうけれど、人間の
死生は絶対の天命であり、人の力の及ぶところではない。生きて
いる人は生きている人のすべきことをすべきである。

511 :諭吉:2006/12/01(金) 23:53:44
死につかえることは生につかえることと同じである、というのは
人の情であるが、人情だけで人生のありかたを左右してはならない。
例えば、死者をまつるのに供え物を捧げるのは生者の情であるが、
その情がどんなにこまやかな人であっても、既に故人となって
いる人に食べ物を食べさせることはできない。生者が死者に対して
情を尽くすのは言うまでもないことだし、懐旧の恨は天長地久も
ただならず、この恨み綿々絶ゆる期なしというが、こちらの人と
あちらの人とでは住む世界が違うのだから、既に亡くなった人への
情が濃すぎることによって今現在の人生に妨げがあるような状態
になってはならない。心機を転じて身外の万物を忘れ、その古い
ものを棄てて新しい生活をするのは人間の自由である。この点が
私があくまでも再婚をすすめる理由である。
特に、男女の再婚は世界中で普通のことであるから、男子を自由に
して女子には窮屈にさせるのは日本だけでのことである。これでは
両者対等であるはずの関係のためにはよくない。私はこの点を
見過ごすことはできないのである。

512 :名無しさん@HOME:2006/12/02(土) 10:40:26
夫と死別した後、女性の再婚が難しいのは今もさほど変らないと思う。
>>509の下三行を未だに言う膿家脳・細木教信者ども。テラウザス

513 :名無しさん@HOME:2006/12/04(月) 13:28:43
もうすぐ新女大学も終わりだね

514 :名無しさん@HOME:2006/12/04(月) 17:47:11
新女大学が終了しても、次なる話が聞けるかと期待。



515 :諭吉:2006/12/05(火) 23:58:08
この第1条から第23条に至るまでは、概してわが国古来の定論に反して
いるばかりではなく、前には旧女大学の条々を論破し去って、さらに
新女大学として新主義を唱えているものであるから、新旧の内容は
相容れず、世間には多少の反対論もあるだろう。
旧説では両性の関係を律するためにはもっぱら形式を以ってしようと
しているが、私は人生の自然なありかたに従って、その交情を
まっとうしようとする考え方である。

516 :諭吉:2006/12/06(水) 00:04:12
いわゆる儒教の故老輩が百年、千年来の形式的な習慣に養われてきて、
男尊女卑の古い習慣に安んじてしまい、悟ることができないのはこの
形式重視論が原因である。このような人々が文明の世の中になって
新説を聞いたときに釈然としないのは当然であろう。
しかし、今の新日本国には新しき人が確かに存在する。私はこの
新しき人々を友として、共に事を起したい。旧式の考えの人々
の反対は恐れるに足らないことである。

517 :諭吉:2006/12/06(水) 00:13:18
白髪の老人だけではなく、前途有望な青年たちの中にも、「一切万事
形あるものもないものも文明主義を貫く」と公言して実際にそれを
実行しながら、男女両性の関係については古い儒教流の習慣を利用
して、淫猥、不倫の罪を逃れようとする者がいるが、おかしいことで
ある。これは文明の学者で君子たるはずのものが、腐った儒教の
袖の下に隠れ、儒教の教えに保護されて、文明社会を騙し欺く者である。
その愚かなさまはあわれむべきものだ。あるいは、この腐った儒教の
教えを受けた者が苦し紛れに反対論を言う場合もあるだろう。

518 :諭吉:2006/12/06(水) 00:23:32
私は世界中の人々を相手にしても、この問題を追及し見逃すことは
ないだろう。旧女大学の評論、新女大学の新論は、全て日本婦人の
ために書いたものだえあり、彼女たちを百千年来の蟄伏状態から
救い出し、彼女ら、彼らを自尊自重を以って社会の平等な線の上に
立たそうとするささやかな気持ちである。
これは女性の利益ばかりではなく、男子の身にも家にも子孫にも
よいことであり、一害もなく百利百福を求める方法であるから、
女子が幼いときからよくこの趣意の大概を言い聞かせ、文字が
読めるようになったらこの書を授けて自分で読むようにさせ、
わからない点があれば丁寧にその意味を教えてやり、誤らない
ようにさせることが大切だ。

519 :名無しさん@HOME:2006/12/06(水) 13:25:30
>文字が
読めるようになったらこの書を授けて自分で読むようにさせ

根性が腐りきった糞ウトメ共には遅すぎるってことでしょうなぁ

520 :諭吉:2006/12/08(金) 22:44:55
今も昔も変わらず、父母の情は一つである。その子が男子か女子に
かかわらず、兄、弟、姉、妹であることを問わない。これを愛する
情は正しく同一であり、兎の毛ほどの差もありはしないだろう。
だから、親は愛する子供の行く末を案じ、兄弟姉妹のうち誰が
幸せで誰が不幸であるかを考え、もしその中に不幸な子がいた
ならば両親の苦痛はいかばかりであろうか。子供の心身に障害が
ある場合は言うまでもなく、一本の歯や一点のあざにも心を
悩ませて日夜片時も忘れることがないのである。俗に言う、できの
悪い子ほどかわいいというのは親の心の真実を表したもので、
その心は子供が平等に、一様に幸せになってほしいと念ずる心で
ある。

521 :諭吉:2006/12/08(金) 22:53:21
だから、その子の男女や年齢に関係なく、一様にこれを愛して、
かりそめにも偏りがないさまは父母の本心、真実の親心である。
親が女子の行く末を案じて不安がないかといえば、不安であると
しか言いようがないであろう。娘を他人の家に嫁がせれば舅姑の
機嫌が心配だし、小舅姑など親類との付き合いも面倒である。
仮にこれらの心配が丸くおさまったとしても、肝心の夫が一番の
心配である。その素行が正しく、妻に対して優しければよいが、
世間によくいる獣行男子で妻を無視し、女遊びにふけった末、
ついには公然と妾を作って家に住まわせ、一家妻妾同居の支那流を
演じるような狂乱の振る舞いがあればこれをどうしたらよいのか。
一昔前の世情に従えばただ黙ってその狂乱に屈服するか、それが
できないなら身を引いて自分から離縁してもらうほかに手段はない
であろう。娘の嫁入りはまるで博打のようなものである。

522 :諭吉:2006/12/08(金) 22:57:27
その博打が当たるか当たらないかは、運は天にある。いや、これは夫の
心次第で、極楽もあり地獄もあり、その苦楽喜憂はまるで男子の掌の
玩具といってもよい。ここまでに不安な女子の身であるから、父母で
ある者がその行く末を案じて娘に安身立命の法を教えるのは親子の
自然な愛情ではないだろうか。そのために、女子のには文明教育が
大切なのである。

523 :諭吉:2006/12/08(金) 23:03:00
たとえ博識の大学者でなくても、人の大概のことに通じてまず自分が
何者であるかを知り、その男子に対する軽重を測り、男女平等、不軽
不重の原則を明らかにし、内に深く自分自身の権利を持ち主張して、
自尊自重をもって何があっても動揺しないまでの見識を持たせるのは、
子を愛する父母の義務であろう。旧女大学の末文に「百万銭を出して
女子を嫁がせることは知っていても、十万銭を出して子を教育する
ことは知らない」という云々のことが書かれているのは敬服するが、
私はこれを一歩すすめて、娘の結婚には衣裳などの万端の支度のほかに
相当の財産分配をすすめたいのである。

524 :名無しさん@HOME:2006/12/08(金) 23:35:24
長男教がデフォだった時代に、この様な考えをお持ちとは
諭吉サンさすがだわ、素晴らしい。


525 :諭吉:2006/12/09(土) 11:26:03
家計が苦しい人ならばさておき、資力がある人ならば、たとえ娘を
手放して人の妻にするにしても、万一の場合には他人を煩わさず
自立して生活できるだけの基本財産を与え、生涯の安心を得させる
のがこれまた父母のすべきことであろう。
古い教えには婦人の三従と称して、幼いときには父母に従い、
嫁しては夫に従い、老いては子に従う、というのがある。
これは徳義からいえば正しいことのように思われるかもしれないが、
定めなき世の中の心波情海を渡ろうとするには、人生の浮き沈みが
あるのはしかたのないことで、この教えのように夫に従い子に従うと
いう従順さは屈服盲従の姿となり、結局全てがうまくいかなくなって
苦しむ例がないとはいえない。

526 :諭吉:2006/12/09(土) 11:30:55
主人が貪欲、不人情で、かまどの下の灰までもが俺様のものだと
絶叫するような傍若無人な者であるならば、どんなに従順な婦人も
思案に余ることがあるだろう。こういうとき、婦人自身に資力が
あったならば心強く、少しずつ自分の密かな計画も実行に移すことが
できる。たとえこのような極端な話でなくても、婦人自身に自力自立の
覚悟があれば、夫婦相対して夫に求めることも少なくなり、求めて
得られなかった場合でも不平がない。

527 :諭吉:2006/12/09(土) 11:35:48
少々皮肉な書き方になってしまったかもしれないが、このように金銭的な
ものを求めないで済むならば、両者の間に意見の衝突を少なくする一助
にはなるであろう。古い言葉に衣食足りて礼譲興る、というのがある。
婦人に資力がないのは、たとえるならば衣食が足りないということで
ある。父母がこれに財産を分与しておくのは、愛する娘に衣食を豊かに
して夫婦の礼を知らしめる方法であると知っておくがよい。

528 :諭吉:2006/12/09(土) 11:41:36
ただし、婦人に財産を与えても自分でこれを管理し処理する方法を
知らなければ幾千万の金もあってなきがごとしである。婦人自身が
この金銭の管理能力を持っていればその安全をはかり、その使い方を
工夫し、世間の事情を察して、また人の話を聞き、みだりに疑う
こともなくみだりに信じることもない。つまり、自分一人の責任
であると思えば、この管理能力を身につけるということは決して
簡単なことではない。西洋諸国の良家の女子には、このあたりの
ことについてはしっかりしている者が多いという。日本の家庭に
おいても、いい加減にしておいてよい問題ではないであろう。
(新女大学終)

529 :名無しさん@HOME:2006/12/09(土) 12:58:01
夫唱婦随なんて言葉はイラネ、な訳ですかね。

でも平成の世の中でもウトメ達は、その言葉大好きな人大杉。

530 :名無しさん@HOME:2006/12/09(土) 23:33:55
諭吉さん、次はどんなお話を聞かせてくれるのでしょうか、
期待しています。

しかし、あまりにも正論で高尚な内容で、突っ込みようが無い
だから文章読解力の無い、ヴァカな荒らしが全然来ない優秀なスレだね。

531 :諭吉:2006/12/11(月) 00:09:09
<福翁百話26>子に対して多を求むるなかれ

子として親に孝行すべきなのは言うまでもない。母の胎内を出た
そのときから、父母が心身を尽くして養育につとめ、千辛万苦、
一点も自分のためでないのだから、その恩に報いるには孝養を
以ってするのが当然の義務であり、不孝者は人にあらざる者である。
孝行といっても、特にほめられるほどのことではないが、私は
ここで世の中の父母に向かっていささか注意を述べたいことが
ある。それは、その子供に求めるものが、ちょっと多すぎるのでは
ないか、ということである。

532 :諭吉:2006/12/11(月) 00:13:43
子供を産んで養い、教えるのは父母の愛情であるばかりではなく、
今の社会の組織において逃れることのできない義務である。
ならば、その義務に従い、愛情を尽くして自分の子供を養育し、
その心身を純良活発に導いて、孝行の道に従わせるのは当然の
ことである。もし子供がそれに従わないのであれば子供を責めても
よいし、叱咤してもよいし、全て父母の権利に属するところである。
しかし、一歩を進めて親自身が自分の肉体の保養を子供に促すこと
にいたっては、いささか望みとしてはその区域を脱しているだろう。

533 :諭吉:2006/12/11(月) 00:17:56
そもそも人生独立の原則からいえば、生まれて父母に養われて身分
相応の教育を受けたあとは、死にいたるまで自活の覚悟がなくては
ならない。つまり、心身が丈夫であるうちに懸命に働いて衣食する
のと同時に、老後の用意をしておくのが肝要である。老後の用意が
あるならば、一切他人を煩わせることがないのはもちろんのこと、
たとえ一番親しいであろう子供に対しても、ただその情を厚くして
優しく愛するだけで、他に求めることはないだろう。

534 :諭吉:2006/12/11(月) 00:25:27
中には子供として父母を思う情が高まって、老後を楽に過ごして
もらおうとして、子供が財物を与えることもある。その場合には
他人行儀に辞退する必要はないが、この財物を受けて楽に過ごす
といっても、広い世間の中には往々にして勘違いを起こし、私たちは
父母だ、お前は子供だ、子供が父母を養うのは当然の義務だといって、
一切の生計を子供に負担させる者もいないではない。また、ひどい
者になると心身がまだ丈夫であるにもかかわらず隠居などと称して
ひたすら子供に頼り、そればかりか子供に多くを求め、苦しめて、
自分は度を越えた贅沢をする者もいないではない。これはまことに
苦々しい風俗であり、下等社会において娘の身を売って家計の足しに
するような大悪事が行われるのも、この風俗の余波であろう。

535 :諭吉:2006/12/11(月) 00:41:52
また、中流以上の家においても、子供を教育することを父母の義務で
あるとは思わないで、密かに経済上の予算を設け、この子が教育を
受ければ父母の身は安楽であるといって、少々の学問を受けたばかりで
年齢的にはまだ小さい子供を働かせて生活費を稼がせようとする者
もいる。事柄の醜美こそ異なるが、子供を犠牲にするのは娘を売るのと
全く違いがない。父母の無慈悲といってよい。
このように、父母は慈愛深くして子は孝行を尽くし、互いの間に
隔意なしとはいいながら、その子供が成長して独立した男女となったら、
父母が求めることにも自然と制限が必要となってくる。
ましてや、親子の間に財物の争いが起こって、かえって大切な情を
壊すことさえもあるのだから、よくよく注意すべきである。

536 :名無しさん@HOME:2006/12/11(月) 00:45:13
新しいお話しが始まりましたね、期待しています!

537 :名無しさん@HOME:2006/12/11(月) 07:23:35
諭吉あげ

538 :名無しさん@HOME:2006/12/11(月) 22:22:55
これはまた馬鹿ウトメに限らず、毒親には大変耳の痛いお話しですな。


539 :名無しさん@HOME:2006/12/14(木) 13:33:51
諭吉期待age

540 :諭吉:2006/12/14(木) 23:06:02
<福翁百話30> 世話の字の義を誤るなかれ

人が成人して既に独立し、自力で衣食するときには、たとえ親子の
間であってもみだりに干渉することは許されない。ましてや他人
であればなおさらである。親戚でも親友でも、一切口を出しては
ならない。それはわかりきったことであるが、広い世間を眺めて
みると、ややもすればこの干渉云々について苦情を言う者がいる。
一方では「余計な世話をしてくれるものだ」と不平を言い、一方
では「実に厄介な相手だ。これほど世話をしてやっているという
のにこちらの言うことを聞きもしない」と同じく不平を言う。
双方の不平と不平が衝突して、ついには親子の不和、親戚の喧嘩
となって、楽しいはずの浮世を苦界に変えてしまう者がいない
わけではない。これはつまり、この「世話」の字の意味をきちんと
理解していないためである。

541 :諭吉:2006/12/14(木) 23:10:42
人の生計を助けて衣食を与えるか、またはすぐに与えるのでなくても
間接的にこの衣食を得る方法を教えるのも世話という。実物の保護
には関係せず、ただいろいろなことについての相談相手となり、
ときには忠告などすることも、これを称して世話という。このように
二通りの意味があるのである。では、この不平の種となってしまう
「世話」とは果たしてどちらのほうの意味なのか、これを吟味すれば
理非は明白にわかるであろう。

542 :諭吉:2006/12/14(木) 23:14:31
一人の人間がまだ独立できず、直接人の助力を受けるか、または
間接的にその保護を仰ぎ恩をこうむるときは、その人の指図に
従って任せ、命令を聞くべきだ。これは当然のことで、干渉云々
と言われても少しも不平を言うべきではない。
また、人に実物の助力、保護は与えず、ただこれに忠告するのは
親切ではあるが、相手の者がその親切を無視して聞き入れない
ことがあっても、これに対して不平はあるべきでない。

543 :諭吉:2006/12/14(木) 23:24:48
裕福な家の子が成年をすぎてもなお父母の資産を頼り、父母の
建てた家にいて、父母が与えた服を着て、普段から不自由を
逃れるばかりではなく、栄華をほしいままにして世間に対する
外面を装いながら、自分の言行についてはいわゆる成年独立の
主義を気取り、父母の束縛から脱して自在に暮らすことを求め、
その求めが自分の思い通りでないと父母に対して「余計なお世話だ」
と言う。
また、田舎の頑固な叔父などが、年長者の威光を使って甥の家に
立ち入り、実物については何一つの助成もせず、却って自分が
助成を受けながら、ややもすれば家のことに口を出して若い者を
煩わし、「年寄りの言うことを聞きもしない」と不平を言う。
このようなことは、いずれも「世話」の字の意味を誤っている
ものといってよい。


544 :諭吉:2006/12/14(木) 23:28:05
もし、実物の世話までできる者であれば、その世話に伴って指図、
命令の「世話」もしてよいだろう。しかし、そうでないならば、
ただ忠告するにとどまり、たとえこれを相手が聞き入れなかった
としても不平を言ってはならない。これはまた人間社会における
取引の主義であると知っておくべきだ。

545 :名無しさん@HOME:2006/12/14(木) 23:48:31
口を出すなら金も出せ、ってことですかね。

546 :名無しさん@HOME:2006/12/15(金) 23:24:06
>>543
あの時代から、現在のパラサイトシングルを予測していた諭吉さんは凄い!
凄すぎる!!

547 :名無しさん@HOME:2006/12/16(土) 00:18:01
ここってものすごい良スレのはずなんだけど、全然盛り上がらないね。
突っ込みようがないんだ、ホントに・・・。

548 :名無しさん@HOME:2006/12/16(土) 01:03:47
確かに盛り上がりには今一つだが、やたらと進行が早いスレって
荒らしがスレの無駄遣いしている場合があると思う。
>突っ込みようがないんだ、
だから荒らしが来ないんだと思う。

個人的には“大学で名誉教授の講義を有難く拝聴してる”気分ですよ。

549 :諭吉:2006/12/16(土) 22:48:12
<福翁百話29> 成年に達すれば独立すべし

父母の恩は山より高く海より深い。その恩を一生忘れてはならないのは
もちろんのことであるが、既に当然の教育を受けて成年に達したときは、
独立の生計を営むべきである。つまり父母の膝下を辞するときが来た
のである。これ以後は一切父母の厄介になることは許されない。
既に、その厄介にならないときを迎えたならば、たとえ父母の尊厳が
無上であるといっても、みだりにその子の言行を邪魔してはならない。

550 :諭吉:2006/12/16(土) 22:53:03
このように、父母がその子に命令し、指図して自分の思うように
するのは、子に衣食を与えて養育している間のことであり、その後は
情愛を以って交際するだけにすることだ。たとえば、病気のときに
看病をするのはもちろん、あるいは不時の災難があったときには
財物を惜しまずお互いに助け合うこともあるべきだ。もともと特別の
間柄ではあるが、元来人の子は第二世の人であるから、第二世には
第二世の生活の法というものがある。ましてや、今は時勢の変遷が
思うよりもめまぐるしいから、老人の生活法を再びすべきではない
事情が多いのである。

551 :諭吉:2006/12/16(土) 22:56:01
特にその第二世の男女が結婚したならば、すぐ新たに家をおこす
ことである。新家の夫婦が家の利害のために活動する場合は、
父母は口を出してはならない。往くをとがめず、去るを惜しまず、
自由自在にまかせてその働きのできるかぎりを応援するだけに
する。このようにしてこそ社会が進歩していくのである。

552 :諭吉:2006/12/16(土) 23:03:22
一家団欒の楽しみといっても、家が分かれて2つになったら、その
団欒の楽しみもまた2箇所に分かれるべきである。新家の新団欒は
旧家の旧団欒を離れることで、新生活の辛苦を慰めることになる
だろう。遠く故郷を離れて海外で生活、または未開の土地に移住
するようなことがあっても、新家の夫婦子女の団欒の楽しみが
あればよいのであり、老人の干渉は許されない。
ただし、その第二世の人がまだ未熟で独立できず、ともすれば
老父母の指図を必要とするとか、または老父母の保護を受けな
ければならないような事情があるとか、または親子の智恵の
度合いが大きく違っているとかの場合もないではない。
これは例外として、例外の処置をするべきだ。



553 :名無しさん@HOME:2006/12/17(日) 12:39:37
諭吉さん、日参して拝読してます。現代訳楽しみです。

例外の処置…
現代日本は「例外」のほうが多いような気もする。
ちゃんと「例外」が例外になるようにするには、子としてはいかがしたものか。

ところで、実親世帯が汚屋敷寸前だよorz
「世話」の話を読んで、「片付けろ」と子が口だけ出すのはまずいか、と思った。
空飛んでいく距離なので、子が親の家の片付けに手を出すのは難しいんだ。
どのみち、親がいなくなったら子が片さねばしょうがないから
ご近所に危険がない限りは放置しててもいいかな。

反面教師で、自分の家の引越しは宅配便で済むくらいの荷物。
でも、諭吉先生の時代の人たちはもっと物が少なかったんじゃないかなぁ。

554 :諭吉:2006/12/17(日) 22:42:28
<福翁百余話7> 文明の家庭は親友の集合なり

子供を養育するには「父厳母慈」という言葉がある。父はなるべく
言葉や顔を厳重にして、母のほうはひたすら慈愛を持ち、緩急剛柔
たがいに釣り合いがとれて、ちょうどよいという意味であろう。
これは男女の性質からいうとなるほど理にかなったことのようで
あるが、改進は人間の運命であるから、世の中が進歩してくれば、
親が子供に接する方法も次第に面目を改めざるを得ない。
このような「父厳母慈」の主義は男尊女卑の社会で生まれた悪い
習慣であるから、文明社会の家庭においては行われるべきでない。

555 :諭吉:2006/12/17(日) 22:52:39
一家の全ての権利が父の一身にあり、母はただ子供を産んでその
子供の体を育てる責任を負うだけであると決まっていた時代には、
父はまるで独裁の君主であり、子供に対してだけでなく、妻に
接しても無上の権力をふるい、子供はただ父の命令に従うのみで
一言も逆らってはならなかった。ときには人情の自然から見れば
利害が明白で、父が明らかに間違っていて我慢ができないような
ことについても、父が一度口にしたならば父の威厳において必ず
これを断行するものであった。これを母がひそかに傍で心配をし、
それこれと取り繕い、愛情一偏、理も非も言わず子供を助けて
いたものだ。父も悪い人ではないから、知っていても知らなかった
ようなふりをして穏やかに事がおさまり、家庭の平和を維持して
いた。家庭の平和をめざすということについて、これは今も昔も
変わりない。

556 :諭吉:2006/12/17(日) 22:58:28
これが「父厳母慈」の実際であったが、文明社会においては
そうあるべきではない。子供に対して父母の権力はまさしく
同一であり、少しの軽重もありはしない。「慈」といえば父母が
ともに慈であるべきで、「厳」といえば父母がともに厳である
べきだ。子供を養育するには慈厳緩急が必要なのは当然であるが、
たとえ「厳」といっても、他人のように厳重に構えて子供を叱る
というほどのことはしなくても、父母の言行さえ正直清浄にして
身に一点も醜くけがれたことがなければ、家庭はあたかも親友の
集合となって、いつまでも幸せな平和を楽しむことができるで
あろう。

557 :諭吉:2006/12/17(日) 23:05:23
ときには子供に不心得があって、父母がその優しい中にも不愉快な
思いをすることがあるかもしれない。その気持ちが顔色に出れば
その顔色が子供のためには無上の苦痛、つまり無上のせっかんと
なり、その子供の非を改めるために十分となるであろう。
この際にも母は女性であるから、子供を愛する気持ちもまた直接に
して一筋である。しかし、文明の教育を受けた母ならば、たとえ
これを愛するにも犬の子に対する愛情とは違うのが当然である。
人生の利害や遠近を見る力がその母にあったならば、子供を説き
諭す方法も条理をそなえていて、その一言は所謂厳父が叱咤する
ときの雷声に勝ることもあるだろう。

558 :諭吉:2006/12/17(日) 23:08:41
このように「父厳母慈」の家庭は昔々のこととして、今は家の中で
年齢の違いはあれど、他人行儀に尊卑の階級があるのは無益で
ある。老人は家の中で一番年長の友人であり、年若い子女は
新参の親友である。ともに語りともに笑い、ともに勤めともに遊び、
苦楽貧富を共にすれば、文明社会の天地において悠々としていられる
であろう。

559 :諭吉:2006/12/17(日) 23:13:33
訂正である。

>>555
×父が明らかに間違っていて我慢ができないようなことについても
○父も本心ではひそかに我慢ができないようなことについても

おそらくこのような訳し方になるべきであろう。お詫び申し上げる。

560 :名無しさん@HOME:2006/12/18(月) 00:15:01
ウトメ世代の座右の銘『夫唱婦随』が、如何に悪影響かを
あの時代から警告を発している諭吉さんは凄い!!

561 :名無しさん@HOME:2006/12/18(月) 00:51:58
たぶん、夫唱婦随って一旦決めちゃえばそれはそれで楽なんだと
思うよ。だって自分で考えなくてすむんだし。
そうやって出来上がっていくのが膿家脳なんだろうな。

562 :名無しさん@HOME:2006/12/18(月) 10:12:28
ちょっと図書館に行って諭吉書籍をみてこよう。
直接読みたくなった

563 :名無しさん@HOME:2006/12/18(月) 10:32:44
>>561
>自分で考えなくてすむんだし。

最近そんな人は見掛けないが、昔はテレビの街頭インタビューで
マイクを向けられた女性(特に高齢)は
『そんな難しいこと、男の人に聞いて下さい』と答える人がいた記憶がある。

膿家脳にとっては理想の良い嫁なんだろうね。

564 :名無しさん@HOME:2006/12/18(月) 18:20:38
言われたことあるよ、「女は愚かしいくらいが丁度いいの、でもバカじゃダメ」って。
一方では才覚を求められ、出来れば生意気と言われ主張すれば気が強いと言われ。
分裂気質になりそうだ。

565 :名無しさん@HOME:2006/12/19(火) 09:13:00
うちのトメはもう亡くなってるんだけど、まさに「理想の嫁」だったんだなあ。
中卒で、運転免許がないから一人では外出できなかったし、
文句言わずに農作業に励んで、夫の親を介護し、
お産以外で床に伏せたことはなく…しかし体調不良をうまく訴えられず、
倒れて癌が発見されたときには手遅れ。
いい人だったのに…。

566 :名無しさん@HOME:2006/12/19(火) 23:10:08
>>565
トメさんカワイソス。
これは氷山の一角に過ぎないのに、声を上げる女性が少な過ぎ。
根本的に人間扱いされていなかったから、言うだけ無駄だったということか。

567 :諭吉:2006/12/19(火) 23:50:53
<福翁百話27> 子として家産に依頼すべからず

「額に汗して食らう」ということは、我々がほんの少しの間も
忘れてはならない教えである。たとえいかなる身分の人であっても、
いやしくもこの世にいて衣食する限りは、その衣食するだけの労を
なさなければならない。
これはつまり人間世界における物のやりとりの原則であって、決して
逆らうことはできない。また、その労役の法にも精神的、肉体的な
ものなどいろいろと種類は多いが、その違いはさておいて、とにかく
働かねば衣食を得ることはできないのである。

568 :諭吉:2006/12/19(火) 23:55:26
働けば必ず衣食を得ることができるとすれば、他人を働かせて自分が
衣食しようとすることほど無理な所望はないであろう。幸いにして
人生には生来、自利心というものが存在し、自分で働いて他人に衣食を
授けようとするような奇人はいないから、どんな横着者もやむを得ず
衣食や快楽のために辛苦勉強する。それで天下の経済の機関が滑らか
に運転していくのだ。しかし、一歩を進めてこの社会の実相を見れば、
おのずからその「奇人」が多いことを発見することができる。それは
誰か。これを名づけて「父母」という。


569 :諭吉:2006/12/19(火) 23:59:59
この世の中の父母は、常に苦労して自分の衣食を得ながら、子孫の
ためにもいろいろ考えて時には巨万の財産を遺すこともある。
老少の順序にしたがって親が先に死ねばその遺産をそのまま貰う者は
第二世の相続人であって、自分で苦労して働かなくてもそれで衣食を
得ることができてしまう。父母や祖先は子孫のために苦労して、
そこには私利私欲の心がなく、子孫はその苦労の余沢に浴して、
のんきに世を渡ることができる。

570 :諭吉:2006/12/20(水) 00:03:54
その経済のしくみは普通の目から見ればいかにも奇妙なものである
ようだが、人間もまた子を愛する動物であって、その愛情を自分で
禁じることができない。子を愛し孫を思って永遠の計画をする。
これは今の社会の組織において人情の命じるところだから、その
是非を論ずるのは無益である。それはさておき、ただ、ここで注意
すべきは、子である者の心得がどうかということだけだ。


571 :諭吉:2006/12/20(水) 00:12:04
「額に汗して食らう」という言葉が真実で間違いないならば、たとえ
千万金の裕福な家に生まれた子であっても、のんきに日々を過ごして
無駄に衣食してもよいなどという道理があるわけがない。祖先伝来の
遺産は単なる偶然の幸であるにすぎない。生まれて父母に養われて
適切な教育を受け、既に成年に達したならば、まさに他人からの
保護を辞して独立自活すべき時である。しかし、世間の実際を見ると、
富貴の子孫は富貴のままでいることをはばからない。浮世の道が険しい
状況を見ても、我が身はまるで人種の異なる者のように心得て、全く
自省することもない。平然として図々しいだけでなく、たとえ贅沢
三昧で放蕩にふけるとまでには至らなくても、とかく心身の労苦を
避けて日々を無駄にすり減らしている者が多い。


572 :諭吉:2006/12/20(水) 00:17:09
その心事の底を叩けば、父母の財産を抵当にして安閑としているので
あろう。実にあきれて言葉も出ない次第である。これをたとえるなら、
豚の子供が既に成長してよく駆け回り、普通一般の物を求めて食べて
いれば不自由はないはずなのに、ともすれば母の後につきまとって
乳をむさぼろうとするのと違いがない。人であって豚児に等しいとは、
恥ずべきことではないだろうか。このように、世の中の大家がいかに
大きくても、その家に生まれた子供は本来無一物だと観念して、ただ
成年に至るまで父母の保護をこうむるだけにして、自身の独立の旨を
忘れるべきでない。

573 :名無しさん@HOME:2006/12/21(木) 08:57:05
諭吉は親にも子にも厳しいね。
私も将来「文明社会におけるトメ」になれるよう努力しなくては。
読んでいると身が引き締まる思いがいたします。

574 :名無しさん@HOME:2006/12/21(木) 23:26:26
100年前から現在のパラニートを予測していたとは
諭吉さん凄過ぎる!

575 :名無しさん@HOME:2006/12/22(金) 15:18:21
パラニートって、当時もそれなりに存在してたんじゃない?
作家とか画家とかもそうだよね。今は有名でもその当時は。
夏目漱石の「こころ」なんかも遺産で食べてる人の話だし。

576 :名無しさん@HOME:2006/12/22(金) 15:20:05
>>574

そうか! そういう捉え方もできますね! 禿同

577 :名無しさん@HOME:2006/12/23(土) 10:42:49
あの時代では、パラのことを何と呼んでいたのだろうか?
ニートは何となく解るけど。

578 :名無しさん@HOME:2006/12/23(土) 12:07:41
高等遊民?

579 :名無しさん@HOME:2006/12/23(土) 17:37:09
ごくつぶし。

580 :名無しさん@HOME:2006/12/24(日) 22:28:12
>>578&579
ナルホド、そういう言葉がありましたか。

こんなにも親離れ子離れが出来ないのは、日本だけなのだろうか。
その証拠とも思われる“振り込め詐欺”事件は、
諸外国では発生していないのだろうか、と思ってしまう。

581 :名無しさん@HOME:2006/12/24(日) 22:30:27
いやいやブラジルでもはやってるってニュースで見ました

582 :諭吉:2006/12/24(日) 23:27:10
<福翁百余話 10> 独立の孝

人間は本来、社会的な動物であり、恩を知るという本心がある。
群れて生活すれば必ずお互いのことを知り合い、既に知っている
相手であればお互いに助け合おうとするのも人情である。助け
助けられて、お互いその人情にこたえようとしない者はいない。
先天性の遺伝、または外からの誘惑によって例外の者がいない
ではないが、世界じゅうの人類を一括してその本来の姿がどうで
あるかと尋ねれば、群れて暮らす者同士がお互いに助け合って
恩を知り合う者であるということは、お互いに争いがあっては
ならないという事実でもある。

583 :諭吉:2006/12/24(日) 23:34:28
そして、人智、人力の働きは、自然と限りがあって遠くに及ぶべき
ではない。文明社会における交通は至便となったが、外国は外国で
あって、国内は国内である。ただ国内外の別だけではなく、その
国内においても、知らない他人がおり、知っている友人がおり、
遠い親戚がいて、近い血縁者もいる。人類群居といいながら、
親しい者とそうでない者の区別があるのは当然であろう。
だから、群れて暮らす者たちが互いに助け合うのは人間の固有の
性質、本心であるが、その心の動きに厚い薄いがあるのは
ちっぽけな人間の智力に限界があるためである。親しい者に
親しむのは、人間の実際としては当然ある姿であると知って
おくがよい。

584 :諭吉:2006/12/24(日) 23:38:59
さて、目の前の実際において、自分の父母はどんな者であるかと尋ね
られれば、自分を産んで養い、教え助けて、力のある限りを尽くして
自分のためにしてくれた恩人であり、他に比較すべきものはないだろう。
だから、この大恩人を忘れず、自分の力のある限りを尽くそうとする
のは他人に言われて初めて悟ることではないはずである。また、
特に自分が努力してするものでもない。ただ、一番近い親子の関係と
して、自然に発した人情である。

585 :諭吉:2006/12/24(日) 23:45:32
つまり、人間の本来の本心に由来する実際のことであって、世でいう
ところの徳教にはこれを「孝行」と名づけて、一種特別の美徳として
称讃しているものだけれど、私はなおその思想の深くないのを憾まず
にはいられないのである。父母に孝行をするというのはもちろん
美しいことではあるが、その気持ちの根本にあるものは人間の
高尚で霊妙な本心がそうさせているのである。いやしくもその本心を
自分の一番の宝として傷つけることなく、自重自尊して大切に
これを守ろうとするときには、その気持ちが発して孝となり忠と
なり、仁となり義となり、仁義忠孝などその名称がどうであれ、
さまざまな徳行が備わるはずである。

586 :諭吉:2006/12/24(日) 23:46:03
まだ続く。後半はまた後ほど。

587 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 00:02:07
諭吉さん待ってました!

588 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 08:56:18
親孝行は努力してするべきものではない…名言だな。
人間の自然な感情を大切にすればよいということなんだね。

589 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 21:53:34
孝行したくなる親なら、親孝行は自然に行なわれると言うことですね

590 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 22:22:06
どんなクソ親だろうと、ある程度の年齢になったら孝行したくなるのが人情ってもんだと思うが。

てゆか、孝行せよと親が言うもんじゃないってことじゃねの?単に。

591 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 23:08:41
冬休みですね・・

592 :名無しさん@HOME:2006/12/25(月) 23:19:35
労わりなくして尊敬なし、てなところか。

593 :諭吉:2006/12/26(火) 23:05:24
このあたりから見れば「孝」もまたたくさんの行いの中の一つにすぎず、
これをたとえるなら人間の体における耳、目のようなものだ。
耳がよく聞いて、目がよく見るのは五感の中のすばらしい働きであるが、
単に聴力や視力の健康状態を見て、人間の体の全体の健康がどうで
あるかを判断することはできない。身体のあらゆる機関の活動は
その発源を生力に託している。生力が盛んでないなら、体の機関も
また衰弱してしまうだろう。人間の本心が独立していなければ、
仁義忠孝も非常に危ういことである。これは学者が深く注意しな
ければならない点である。

594 :諭吉:2006/12/26(火) 23:12:19
以上の言葉は、決して忠孝を軽視するものではない。忠孝を重んずる
ことが本当に深いために、ますますの注意を必要とするのである。
実例を示せば、支那や朝鮮においては「孝」をあらゆる行いの
基本であると称してうるさく言う。「孝」の一言は向かうところに
敵を見ず、人間は万事孝に始まり孝に終わるという主義でありながら、
その実際を見れば世界じゅうで不孝者が多いのは支那や朝鮮に限られて
いるといっても過言ではない。無数の実例をあげればそれは簡単だ
けれども略すが、最近の朝鮮国の父子の間柄を見ても、証拠は既に
十分であろう。

595 :諭吉:2006/12/26(火) 23:20:49
このような孝道の国においてあのような不孝が行われるのはいったい
どういうことであろうか。古来から孝行ということについての解釈は
非常にさまざまの見解があるわけだが、多弁、多言の中で紆余曲折を
経てようやくそれは表面上の儀式であるということになった。
本心ではないのに偽って泣く者もおり、偽って拝む者も出てきた。
父母の喪には走って家に帰り三年の喪に服し、その三年間の喪中に
三人の妻や妾が三人の子を産むといったようなことは珍しいことでは
なく、世間に怪しむ人もいないという。これはただ驚くべきことである。
世の中の諺で「言葉多きは品少なし」というのはこのことであろう。

596 :諭吉:2006/12/26(火) 23:25:31
このように、私はもともと孝行を重んずるのであるが、これについて
論じるのも実際に孝行を行うのも、全て儀式的な姿を離れて人間本来の
本心に訴えたいと思う。父母に仕えて華々しくうわべだけ取り繕う
ようなことは支持しない。一番近い存在である親に心からの愛情が
発するのは自然なことだ。また、当然のことながら、父母の孝行を
行っているからといって自慢できるようなことではないし、周りも
ほめるようなことではない。

597 :諭吉:2006/12/26(火) 23:33:04
その、孝行を見ても褒めるに及ばないということは、人間に耳や目が
あるのを見て驚く必要がないということと同じである。孝行は驚く
べきことはない。。驚くべきなのは、ただ不孝についてである。そして、
親への心からの愛情の泉源は、万物の中の至尊、または至霊
である人の精神にあってこそ存在する。だから私は、単に外面の
孝行だけを多言することなく、その泉源に重きを置く。泉源がますます
深く、ますます独立して、孝心もまたこれに従い、知らず知らずのうち
に実際に使われて、家庭内でも外でも永久不滅であることを願うので
ある。

598 :名無しさん@HOME:2006/12/26(火) 23:34:45
諭吉さん、今夜も素晴らしいお話を有難う。

人に見せる為の孝行は、虚しい行為ですね。
孝行している、されている事に酔っているみっともなさは
誰も注意してくれない。

599 :名無しさん@HOME:2006/12/27(水) 09:22:45
愛国心なんかもそうだけど、強制されるものじゃないもんね。
ふと見たテレビで日本の選手が頑張っているのを見て
名も知らない選手を一生懸命応援してしまう。
そういう自然な気持ちが大事なわけで。

親孝行も、老人とすれ違ったときや親の好きな物を見たときに
「今日電話してみようか」と思う気持ちが尊いものだと思う。

600 :名無しさん@HOME:2006/12/27(水) 13:58:13
>>599胴衣。
>最近の朝鮮国の父子の間柄を見ても、
諭吉さん良い例えで思わずワロスwwwww

そこまで極端でなくても、日本に於ける『親孝行』の構図って
似たものがあるよね。
姑息な手を使ってまで『孝行されて幸せなアテクシ達』と、
自分の配偶者を生贄に差出す事を『親孝行』と激しく勘違い。
もうね、アフォかと・・・

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