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にこやかに語ろう親鸞会

1 :名無しさん@3周年:05/02/17 16:17:41 ID:MOvwLRHu
会員の人もそうじゃない人も、
にこやかに語りあいましょう!
     ∧_∧____
    /(*゚ー゚) ./\
  /| ̄∪∪ ̄|\/   けんかしないでね、厨房のみなさま。
    |____|/
     ,,,,∪∪,,,,,

■ルール
・荒らしは原則「放置」です。
・コピペ荒らしは禁止。
・渡海難さんは悪いけど他の所に行って下さい。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
・コテハン歓迎

最近とても良識ある大人とは思えない発言をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/

■公式サイト http://www.shinrankai.or.jp/

718 :名無しさん@3周年:05/03/12 14:18:48 ID:B/BNUYE7
ここに限らず能なし信者に共通の手口↓
http://ecos-h8.sourceforge.jp/sogwipo/pukiwiki.php?%5B%5B%EB%CC%CA%DB%A4%CE%B8%AB%C8%B4%A4%AD%CA%FD%5D%5D

719 :名無しさん@3周年:05/03/12 14:30:24 ID:JxtV9PoM
>>709
>廃悪修善を説かれているわけですね。

「廃悪修善」の教えというのは「相対門」でいえることですか? それとも、
「絶対門」でいえることですか?

「三福九品の教え」(19願方便)の九品差別の相状の下々品にも十念(実義
から言えば、18願真実)以外の「廃悪修善」が勧められてますか?

>>711
>過去には「彌勒が迷いの世界にいるのは衆生済度のため」というような
>「成仏」という仏教の目的自体を否定するような発言まで

「相対門でいうなら、すぐれた者は聖道門の修行でさとりをひらき」のなかに
利他行としての「無住処涅槃」は入りませんか? 弥勒(無著、世親)系の
論書には頻出しますけど。入らないという見解なら、根拠をお願いします。

>>714
>相対門でいう横出は、絶対門からいうと浄土門には入りません。
>浄土門=真宗=横超だからです。

絶対門からいうと、相対門でいう「横出」は「聖道門」ということ
でいいですか? 
だとすると、「(絶対門からいう)諸善のすすめ」は聖道門という
ことですね?

それとも、絶対門では、「聖浄二門の立て分け」自体がないという見解ですか?
だとすると、「絶対門からいうと浄土門には入りません。 浄土門=真宗=
横超だからです。」は「言語矛盾」になりますね。

720 :名無しさん@3周年:05/03/12 14:57:52 ID:JxtV9PoM
>>637補足

親鸞聖人が、「悪」とという言葉を使われる時は、

一、「大小の聖人・重軽の悪人、みな同じく斉しく
選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし。」(『行文類』)

という五機差別・凡聖・善悪相対の文脈で言われる場合(相対門)と、

二、「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪
汚染にして清浄の心なし、虚仮テンギにして真実の心なし。」(『信文類』)

という、弥陀法に対しては、他法は有為法であり、凡聖含む一切衆生が自力で
は、(真実無為の)実報土への往生ができない存在という文脈で言われる場合
(絶対門)と、

三、「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、・・・」

と「機の深信」として自力無効を信知させていただいた場合。

の三つがあり、確かに、その文脈上の意味するところに「お互い」注意を要
するところですね。貴重な御忠告ありがとうございました。

721 :名無しさん@3周年:05/03/12 15:32:55 ID:JxtV9PoM
>>714補足
>絶対門からいえば 、六波羅蜜では仏の悟りを開くことはできませんが
>それでも諸善はすすめられています。

その諸善が勧められる機類は、聖道門の機類ということなら、全く、おっ
しゃる通りで、>>665で言ったことと同じです。
真宗の立場からすれば、真実の成仏の法門ではないが、他宗他門の修行者
や他の自力の善根を謗ってはならないと善知識方が言われる理由の一つで
しょう(今一つは、相対門でいえば、自力門は真宗に各機を誘引する仮門
だから)。仏教の諸善の果報は、仏果に限られず、生天の果報や、現世利
益、菩薩界の功徳も含みますから。

722 :名無しさん@3周年:05/03/12 17:18:09 ID:Q8ur5Am2
>>721
>その諸善が勧められる機類は、聖道門の機類ということなら

まったく話が判ってないようです。
絶対門では一切衆生は極重悪人。
すべてのひとは阿弥陀仏の本願によってしか救われない、
というのが絶対門。
機類の別を論じるのが相対門。

方便だから時機によってかわるんですよ。
真実は変化しない。

723 :詭弁撲滅委員会:05/03/12 17:18:46 ID:/i2QCEjJ
まるゆくん、
あらしはやめてくれよ

724 :名無しさん@3周年:05/03/12 17:25:32 ID:Q8ur5Am2
>>720
>凡夫なればとて、なにごともおもうさま
ならば、ぬすみをもし、ひとをもころしなんどすべきかは。もと、ぬすみごころ
あらんものも、極楽をねがい、念仏もうすほどのことになりなば、もとひごうだ
るこころも、おもいなおしてこそあるべきに、そのしるしもなからんひとびと
に、悪くるしからずということ、ゆめゆめあるべからずそうろう。

ぬすみ、ひとごろしなどの一般的にいう悪をいわれていることもあります。

725 :名無しさん@3周年:05/03/12 17:32:53 ID:Q8ur5Am2
>>716
>衆生の三業を通して「現れてくださった」ものですから、

このひとのは衆生の三業と弥陀の三業が一体になったり
離れたりするんですよ。
悪をしているときは真実の業はないようですから。

726 :名無しさん@3周年:05/03/12 17:36:41 ID:Q8ur5Am2
>>717
>「彌勒が迷いの世界にいるのは衆生済度のため」は間違いじゃないと思うが。

いますぐにでも成仏できるのに56億7千万年まっているということが
間違いじゃないってことですか?
「仏のさとりをひらくと迷界と縁がなくなるので菩薩はわざと
仏覚をひらかない」といったような邪宗の本を読んだことが
ありますが、そういう御意見?

727 :名無しさん@3周年:05/03/12 18:03:29 ID:lMjJxCsg
>>719

絶対門というのは「弥陀の本願でしか十方衆生は救われない」ということ。
それが真実ということ。あとは方便ということです。
「至心発願欲生と 十方衆生を方便し」と書かれているように
修善は十方衆生を導く方便です。

>「三福九品の教え」(19願方便)の九品差別の相状の下々品にも十念(実義
から言えば、18願真実)以外の「廃悪修善」が勧められてますか?

始めから自分が下下品だと判る優れた?方なら方便はいらないでしょうね。
どういう方なんですか?具体的にあげてください。

>利他行としての「無住処涅槃」は入りませんか?

無住処涅槃って何でしょうか?

>絶対門からいうと、相対門でいう「横出」は「聖道門」ということ
でいいですか?

残念ながら、そうとは言えないんですよね。
親鸞聖人はそうは言っておられないので。
言っておられるのは方便ということです。
諸行往生できると教えられてやっているのは聖道のひとですけど。


728 :詭弁撲滅委員会 ◆NAMUvvw8pU :05/03/12 19:25:35 ID:vYDYUFd/
>>723
>>713

私のニセモノさんが出現されているようです。
念のためトリップつけましたので今後ともよろしく。
スレッド浄化のために努めたいと思います。
さて、>>723>>713はどうでしょうか。

真っ当な意見と見せかけ、実は詭弁で論点をはぐらかす輩が多々おりますが、
>>723>>713は以下に該当するようです。ご注意願います。

6.一見関係ありそうで関係ない話を始める
8.知能障害を起こす
11.レッテル貼りをする
12.決着した話を経緯を無視して蒸し返す
15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする

729 :TM:05/03/12 21:46:26 ID:sfhgv9Hy
>早速ですが、↑の発言は、 結局のところ「自力仮門」を勧めるのか、勧めないのか
19願の教え(要門)は、必要、重要な教えであり、勧められます。

>の発言と矛盾することになりませんか?
19願は18願と無関係ではないのですから、独立した法門ではありません。矛盾はありません。

>だから、何度も「自力の行位に約して」って言ってるんですが。
だから、約しちゃだめなんですよ。
質の異なるものをイコールで結ぶから矛盾が起きるのです。

>どういう意味だということですか? 「漸機(漸入の機)」の通仏教的な意味については、
>>>695で言いましたが、聖人は別な意味で使われているということでしょうか?
自力と他力は全く別だということが十分理解できれば当然そうなります。
異種のものをイコールで結ぶことはできない、というそれだけのことです。
他力に速やかに入らず迷うのは確かに機の失です。しかし、はじめから他力に入っている人は
いないのですから、誰でも時間の長短はあれ、自力にとどまるのです。
問題は、その長短は何で決まるのか、ということです。言い換えれば救いの遅速は
何で決まるのか、ということです。
漸機は救われるまでに時間がかかる人、ということですが、その人も弥陀に照育されている
のでありますから、イコール自力、というものではありません。
頓機はすぐに救われる人ということですが、はじめから他力に入っている人がいない以上、
どこかで(救われた一念で)自力から他力に入るのですから、自力の道程を経ない人はありません。
その遅速は、その人その人の宿善の厚薄で決まるのです。

>そのおはたらきの「真実の主体」は、阿弥陀さまなのは言うまでもないでしょう。
いえ、質問は信後の衆生は主体「ではない」のか、ということでしたので、
そちらの回答をお願いいたします。
より具体的に言えば、「弥陀が主体だからと言って弥陀にお任せ」なのか、それとも
「一層報謝できるよう努める、衆生の主体的な姿勢が大切」なのか、という問題です。

730 ::05/03/12 22:35:00 ID:xiWMWJUA
>>683
>、「釈尊が説かれたところの善」 「八万四千の法門に説
>かれた自力の善根」「聖(大乗の菩薩等)が行ずる善」でも、真の浄土(実報土)に生まれ
>る因とはならない「雑善」であり、
言葉足らずですいませんでしたが、668では「雑毒の善」の意味で「雑善」と言っておりました。
で、あらためて
「自力善(雑善)のすすめ」という言い方は自力を勧めているように受け取られかねず、適切
な言葉ではないと思います、「善のすすめ」という言葉がそもそも親鸞会出版物にある言葉
ですので、それをもとに考えましょう
そして、諸善の功徳を説くのももちろん、雑行をなげすてて、「一心一向に弥陀に帰命したて
まつるべし」という善知識方のお勧めに沿うものであろうと思います

731 ::05/03/12 23:10:54 ID:xiWMWJUA
>>701
>衆生を浄土門へと誘引するための方便の教えとして説かれた。
>とするでしょうかね
高森会長の法話ではよく、「方便からしか真実には入れない、真実に
入れるのに絶対に必要なのが方便である」(真実とは選択の願海、信後の意)
ということが話されるのですが、
浄土門の中の未信の者が真実信心獲得した身になろうとするときの「方便」とは
なにか?そこはどうかんがえられるのでしょうか?

近所のお寺の方の善を勧めることに対する立場は参考になりました、有難う
ございます。寺の本職以外の部分で個人的活動として道徳善を勧めている
人がいる、ということですね。
親鸞聖人についてはご自身を「虚仮不実のわが身にて」とおっしゃられている
とおりと考えております。(世間的善悪の観念からはずれてくる話ですが)

732 ::05/03/12 23:18:39 ID:xiWMWJUA
ボラ夫さん、破邪顕正鈔 ご苦労さまです 後学になりました
私は真宗社会にそれほど馴染みがないものですから、「破邪顕正」
の言葉が真宗では使われない、という意見を聞くと、
「そういうものなのか‥みんな普通に使ってるのかと思ってた」と思って
しまうのですが、存覚上人がその「破邪顕正」を使っていたらしきことを
聞き、「おっ真宗の学者がつかってるじゃん」と興味もったわけです
なにしろおつかれでした

733 :名無しさん@3周年:05/03/13 01:06:25 ID:gurfSq1y
>>691>TMさん レスありがとうございます。
(>虎さん スマソ、まだ破邪顕正系を続けます)
>救われない教えの立場を保護する必要は感じません。
「救われない」のは教えのためではなく、機のためでしょう。
他宗もまた(それぞれが誤り無く宗義を継いでいるのであれば、ですが)、釈尊の教えを説いているわけですから。
(もっとも、これはあくまでも原則論にしか過ぎないことですけれども。)
真宗の教判からすれば、段階的に見て
聖浄廃立までは自力他宗も方便として機能するものと捉えてよいと思うのですが、
その方便たる自力他宗の継ぐ根本教義の言葉を、また真宗内で用いる必要性が、私には分かりません。
(>>真宗には、その教義に基づいて「破邪顕正」という語を定義した箇所はありません。
 >祖師の使われた語しか用いてはならないのなら大変です。
 「破邪顕正」という言葉を、親鸞聖人が真宗独自の教義内に用いられなかったことは同見解ですね?)
「破邪顕正」という言葉を、真宗で使わなければならない必要性とは何でしょうか?
法施は極めて一般的な仏教語ですが、これでは足りないのでしょうか?
弥陀十八願までの教導に、祖師の用いられた廃立という語を用い、
法施を仏恩報謝と述べるだけではどういった不足があるとお考えですか?
TMさんが、祖師が真宗教義内に用いられていない「破邪顕正」という言葉をそこに持ち込もうとされるのは
どういった必要性があってのことか、ご提示ください。

>祖師がどのように解釈され、どのように見ておられるか。
>そこだけに関心が集中しているはずですよ。
私は、>>576に基づき、親鸞聖人は「破邪顕正」という言葉を
他宗の根本教義と解釈されたため、真宗教義内で用いられなかったのだろうという見解です。

>>他門他宗の方や仏教徒でないものには解決にならなくてもよいのですか?
>他宗の人に解決はありません。速やかに真実の教えに信順しなければならないのです。
「解決」という言葉の意味が、当初の用法から変わっているようです。文脈に沿った回答をお願いします。

734 :名無しさん@3周年:05/03/13 01:12:27 ID:gurfSq1y
>>733の続きです。
>真宗人は、親鸞聖人が信仰から判断されたことに従うべきなのです。
左様な身とさせて頂けるようありたいものです。信仰上のご指導とありがたく受け止めます。

>果たして、親鸞聖人は、竜樹菩薩を如来の化身と拝し、
>弥陀の誓願1つ説かれるために現れた方と見られたのでしょうか。
>それともそうではないのでしょうか?
親鸞聖人のご信仰からそれを言い出せば、余仏や諸菩薩にまで広がってしまうでしょう。
八宗の祖師が説かれたこと・如何にして弥陀十八願真実を明らかにされたかは>>506に述べた通りです。

あと、別件ながら
『改邪鈔』の「砕彼邪幢」についてですが、
覚如上人が、どういった背景から何を以って「邪」とされて、これを著されたかを説明し出せば
かなり長くなってしまうので今のところは避けておきますが
(ボラ夫さんはこの辺りも詳しそうなので『改邪鈔』解説にも期待を寄せつつ…って、私も頑張らねばorz)
まずここで重視するべきは、「破邪顕正」という語そのものとは異なり、一致しない単語である、ということでしょう。
これも>>576に基づく見解です。
覚如上人が真宗帰依を果たされたのは18歳の時、関東で如信上人(善鸞のご子息)からのご教導を受けてからで、
それまでの間に天台宗・法相宗の他、清水坂の光明寺、自性房了然という方から三論宗を学ばれているようです。
参考資料としては『初期本願寺の研究』(小串侍 著)によりますので、お聖教そのものからではありませんが、
覚如上人の一代記としては『慕帰絵詞』や『最須敬重絵詞』などがありますので、その辺りに詳しいものと思われます。
また、この了然なる三論宗の学者とは『口伝鈔』【十・第十八願につきたる御釈の事】の末尾をあたれば、
『口伝鈔』御執筆の際にもこの方との交流があったことが覗えます。

余談ながら?、話題として覚如上人と存覚上人が並んで出ると、いささか難儀を要することなども出てきてしまうのですが、
それについてはまた今後。皆様おやすみなさいませ。

735 :名無しさん@3周年:05/03/13 06:49:41 ID:Dea58dKB
|  |
|  |∧_∧
|_|´・ω・`) お茶入ってますよ  休憩しませんか?
|雲| o o旦~
| ̄|―u'    旦~旦~旦~旦~旦~旦~
""""""""""

 よしあしの文字をもしらぬひとはみな
 まことのこころなりけるを
 善悪の字しりがおは
 おおそらごとのかたちなり

 是非知らず邪正もわかぬ
 このみなり
 小慈小悲もなけれども
 名利に人師をこのむなり


そーいやs会はなんで、「邪正」って言わずに「正邪」って言うのん?


736 :名無しさん@3周年:05/03/13 11:31:23 ID:bC1PQWO/
>>722
>絶対門では一切衆生は極重悪人。

はぁ? 絶対門では一切衆生が「善悪相対の善」(>>720の一)、報土往生・得涅槃の因行を除く
他の聖道菩薩道の果報、有漏善もできないということですか? 前に会員さんが、「曾無一善」と
『大経』に言われるのは「無漏善」のことで、「有漏善はできる」と仰ってましたが(「新入生ス
レ」参照)、会員さんの間でも説が分かれてるのですか?

>方便だから時機によってかわるんですよ。
>>714
>相対門からいえば、聖道門は時機不相応ですが、横出は要門であり
>時機不相応にはされていません。方便として残っているわけです。
>絶対門からいえば 、六波羅蜜では仏の悟りを開くことはできませんが
>それでも諸善はすすめられています。

あのー、これって「要門」(19願)は我々と「機教相応している」ということですか?
なんか、過去スレでは、19願と我々の機が、相応してないから「化土往生」できない
って言われる会員さんがいたのですが、どっちが正解ですか? お聖教の根拠をあげて
お願いします。

それと、親鸞聖人は、「六波羅蜜」の諸善を自らは実践なさらずに破戒して、肉食
妻帯されたと言われるのでしょうか?

737 :名無しさん@3周年:05/03/13 11:41:49 ID:bC1PQWO/
>>724
>ぬすみ、ひとごろしなどの一般的にいう悪をいわれていることもあります。

だから、それは>>720の一、に入りますね。(凡夫のなかの)「善悪相対」の悪。

>>725
>このひとのは衆生の三業と弥陀の三業が一体になったり
>離れたりするんですよ。

あのー、御名号において「機法一体」なのはよろしいですね。

738 :名無しさん@3周年:05/03/13 11:56:13 ID:yK2uzmBR
( ´_ゝ`)プッ

739 :名無しさん@3周年:05/03/13 12:24:19 ID:bC1PQWO/
>>727
>修善は十方衆生を導く方便です。

>>736の問にも関連しますが、>>690で書いたように「絶対門/相対門」というのは、
「絶対判/相対判」とも言われますように、「教判」(教相判釈)のスタイルの違い
、縦軸と横軸の違いみたいなもので、「勧められる法門」は、本願念仏唯一つなのは
変わりません。
相対門では、凡聖相対、善悪相対の立場から「自力仮門」にも「与えた立場」で、
「廃悪修善」の仮門を方便として認めつつも、凡聖相対、善悪相対のなかでも最
低の下々品の悪人でも、ただ十念のみで報土往生が可能なことから、『観経』
(19願)の隠れた真意が、本願(18願)念仏往生であったことを明かされ、

次に、絶対門では、真実の真如無為法たる名号法に対せば、他の一切の諸法、一切の
善根も、有為法、小善根に過ぎないという立場から、実報土往生の因行は、御名号の
みであることを示され、自力他門の如何なる善根も報土往生行ではないと奪って釈さ
れているわけです。

どちらも、結論は「弘願念仏唯一つのお勧め」であり、「修善(自力仮門)」が、
「十方衆生を導く方便」というのは、相対門において、自力他宗に与えた立場から、
自力門を仮門と位置付けられてるのであって、我々に仮門への入門、自力修行をお
勧めなのではありません。

相対門と絶対門がごたまぜなのは誰なんしょww。

>始めから自分が下下品だと判る優れた?方なら方便はいらないでしょうね。

>>720の一、二、三をごたまぜにしてるみたいですね。自分で考えましょう。
教判と体験の混同も特徴的ですね。

740 :名無しさん@3周年:05/03/13 12:34:58 ID:vEMqNecv
>>739
最近はROMっている一アンチですが、いつもご苦労様です。
ためになりますので、詭弁の横車やくだらない批判は無視なされて
今後も書き込みを続けられることを欲します。

741 :名無しさん@3周年:05/03/13 13:11:15 ID:bC1PQWO/
>>727
>無住処涅槃って何でしょうか?

有名な仏教用語ですので自分で調べてね。法蔵菩薩さまの
「正覚を取らじ。」も同じ菩薩さまの御心ですね。

>言っておられるのは方便ということです。

親鸞聖人は、その浄土門とも聖道門ともつかぬ「方便」をどこで教えられて
ますか? 御文をあげてください。

>諸行往生できると教えられてやっているのは聖道のひとですけど。

「設我得仏 十方衆生 発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国
臨寿終時 仮令不与 大衆囲繞 現其人前者 不取正覚」って「諸行
往生できる」と教えられているのと違うのですか?
「諸行往生できる」と信じてなくて「至心発願」できるのですか?
そもそも我々に「至心発願」できるのですか? >>208さんは、
一切衆生が「至心を用意できるはずがない・・・。 」って言われて
ますけど。
それとも、その方便は19願とは違うということでしょうか?
いずれにせよ、お聖教の根拠をあげてお願いします。

742 :名無しさん@3周年:05/03/13 14:14:09 ID:bC1PQWO/
>>729
>19願の教え(要門)は、必要、重要な教えであり、勧められます。
>19願は18願と無関係ではないのですから、独立した法門ではありません。矛盾はありません。

TM氏。レスありがとうございます。昨夜は風呂敷規制がかかってましたのでレス遅れました
ことお詫び致します。
さて、法門が「無関係でない」ということであれば、仏教の全ての法門が該当すると思うのですが、
それは兎も角も、「独立してない」というはどういうことでしょう? 法門として立派に「建立され
て」いるからこそ「要門」として別立されているのではありませんか? その要門の「自力仮門」と
弘願門(他力門)が「独立していない」という根拠をお聖教の根拠をお願いします。

通常は、法門ごとに「異なる教」「異なる宗旨」があり、それも「真実経」(真宗)と「方便権経」(仮宗)
の実践を同時に勧めるということはありえません。行き先の違う列車、例えば上り列車と下り列車に同地に
乗れと言うようなものですからね。

>自力と他力は全く別だということが十分理解できれば当然そうなります。

あのー、>>716の問は、「漸機」という語の意味について、お聖教上の根拠を
求めているのですから、質問に添った回答お願いしますね。

>その人も弥陀に照育されている
>のでありますから、イコール自力、というものではありません。
> その遅速は、その人その人の宿善の厚薄で決まるのです。

これは、宿善(弥陀の照育)が他力ということをおっしゃっていると
解してよろしいですね? そしてその照育の対象は、「信前の一切衆生」
ということもよろしいですか? 
それでも、信前の一切衆生が「自力」なのはよろしいですか?

743 :名無しさん@3周年:05/03/13 14:15:38 ID:bC1PQWO/
>>729つづき

>質問は信後の衆生は主体「ではない」のか、ということでしたので、
>そちらの回答をお願いいたします。

「願行みな仏体より成ずることなるがゆゑに、をがむ手、となふる口、信ずる
こころ、みな他力なりといふなり。」(『安心決定抄』)
「現生十種の益」(「常行大悲の益」はその一つ)をいただくのは我々ですが、
その功徳の主体は阿弥陀様なのはよろしいですか?
回答は「主体ではない」です。

>衆生の主体的な姿勢が大切」なのか

今生の話ではそうでしょうが、ことは後生の一大事ですから、凡夫の三業による造作は、仏教でいう
「善行」とはいえませんからね。娑婆の話にとどめておけば(献金、勧誘など)問題は少ないのです
けど・・・。
というわけで、次回はいよいよ、>>406への回答もお願いしますね。今回の疑問の分と併せて。

744 :名無しさん@3周年:05/03/13 14:22:58 ID:bC1PQWO/
>>730

虎さん、レスありがとうございます。お聖教そのものに当たられて
考えていかれたらよいと思います。

>>740
過分な激励のレスありがとうございます。まあ、マイペースでお付き合い
させていただいてます。

745 :名無しさん@3周年:05/03/13 15:46:04 ID:DIIAb3hQ
高森さんの著書が盗作だらけなのは内部ではどのように説明されているのでしょうか。
さすがに国家権力と本願寺の陰謀だとか、事実無根だとか、誹謗中傷だとかいうのも
無理があると思うのですが。。。

あっひょっとして大沼氏の方がパクッたんだとかいう説明ですか。

でも大沼氏の本のほうが前に出版されてるんですけど。。。藁)



746 :名無しさん@3周年:05/03/13 15:57:35 ID:gmwRe8P0
>高森さんの著書が盗作だらけなのは

はあ?どこが?勝手なこと言ってんじゃねーよ。

747 :名無しさん@3周年:05/03/13 17:46:28 ID:9YzaEBLb
会内部で大沼氏という名前を聞いたことはないな。
未だに誰なのか知らないが。盗作と言われてもぴんとこない。

748 :TM:05/03/13 19:40:36 ID:66b1Ff2W
>「救われない」のは教えのためではなく、機のためでしょう。
そうですよ。救われない教えを救われると言えば、大きな誤りなのです。
うちの教えでは救われないと言う宗がありますか?

>その方便たる自力他宗の継ぐ根本教義の言葉を、また真宗内で用いる必要性が、私には分かりません。
いやいや、仏教における一般的な言葉でしょう。
いろんな宗派で用いられているのはご存知でしょう。真宗内でも使われていますし。
三論宗で根本においているのは特殊な例ではないですか。

>「破邪顕正」という言葉を、親鸞聖人が真宗独自の教義内に用いられなかったことは同見解ですね?)
そう思います。

>法施は極めて一般的な仏教語ですが、これでは足りないのでしょうか?
法施はいいが破邪顕正は駄目という発想が理解できません。
祖師が明確に真宗独自の教義内で、法施の意味を定義されているのでしょうか?
私はそのようなお言葉を知らないのですが。

>法施を仏恩報謝と述べるだけではどういった不足があるとお考えですか?
より分かりやすくなります。

>「解決」という言葉の意味が、当初の用法から変わっているようです。文脈に沿った回答をお願いします。
そうですか?よく分かりませんが…。元々私の発した言葉ですし、意味としては
「求信上、真実の救いにあう上で、問題になること」の解決、といった感じですが。

749 :TM:05/03/13 19:59:39 ID:66b1Ff2W
>親鸞聖人のご信仰からそれを言い出せば、余仏や諸菩薩にまで広がってしまうでしょう。
真宗人にとって、聖人のご信仰を横に差し置いて何を優先すべきことがあるのでしょうか。
他宗との論争ならば分かりますが…。

>それは兎も角も、「独立してない」というはどういうことでしょう? 法門として立派に「建立され
>て」いるからこそ「要門」として別立されているのではありませんか? 
独立して見るときは、修諸功徳によって化土往生を得る教え、ということになります。
一方、関連させると、18願に導き入れる方便として建てられたのが19願と20願であり、
これらの、釈尊の教え、十方諸仏のお言葉に従うことで光明のお育てにあずかり、
三願転入の道程を進ませていただけるということです。

>その要門の「自力仮門」と弘願門(他力門)が「独立していない」という根拠をお聖教の根拠をお願いします。
「三願転入のお言葉」と、以下の御和讃です。

諸善万行ことごとく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり

定散自力の称名は
果遂のちかいに帰してこそ
おしえざれども自然に
真如の門に転入する

750 :TM:05/03/13 20:20:57 ID:66b1Ff2W
>あのー、>>716の問は、「漸機」という語の意味について、お聖教上の根拠を
>求めているのですから、質問に添った回答お願いしますね。
これ以上の回答は特にありません。
「漸機イコール自力」ではない、ということを申し上げました。

>これは、宿善(弥陀の照育)が他力ということをおっしゃっていると
>解してよろしいですね? そしてその照育の対象は、「信前の一切衆生」
>ということもよろしいですか? 
多分誤解されていると思います。体は他力ですが、衆生の諸善を宿善にして下さるのであり、
衆生の諸善の当相は自力です。

>それでも、信前の一切衆生が「自力」なのはよろしいですか?
それは当然でしょう。

>回答は「主体ではない」です。
では衆生は客体であるということでよろしいでしょうか。
客体ならば、より報謝に努めようとする主体的な姿勢はナンセンスになると
思われますがいかがでしょうか。

>今生の話ではそうでしょうが、ことは後生の一大事ですから、凡夫の三業による造作は、仏教でいう
>「善行」とはいえませんからね。娑婆の話にとどめておけば(献金、勧誘など)問題は少ないのです
>けど・・・。
すみませんが意味が分かりません。分かりやすく説明していただけないでしょうか。
「今生はそう」ならば、どういうときは違うのでしょうか。その理由は何でしょうか。

751 :TM:05/03/13 21:00:23 ID:66b1Ff2W
>>406ですが、自力善の意味を確認しておきますが、「人間のやる善」と理解しておけば
よろしいでしょうか。それならば、「それを勧められている」が回答です。

聖人が勧められたお言葉については、信後の人へは「より報謝を」と勧められているお言葉のことであり、
信前の人に対しては先に引用した御和讃がそれに当たります。
あとは、
B一切衆生にまことの心はありません。ですから用意することもできません。
しかしそれは自力が廃ってはじめて知らされることです。
よって、信前は、「善が出来る」の心が離れきりません。出来ると思っているのなら
やらせてみて、出来ぬことを知らせようとする善巧方便です。

C
諸善万行ことごとく
至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の
善とならぬはなかりけり

752 :TM:05/03/13 21:03:37 ID:66b1Ff2W
Cあと、「宿善」についての教えです。

753 :名無しさん@3周年:05/03/13 22:09:39 ID:4d6RguXa
>>749
>独立して見るときは、修諸功徳によって化土往生を得る教え、ということになります。
>一方、関連させると、18願に導き入れる方便として建てられたのが19願と20願であり、

回答ありがとうございます。早速ですが、↑の文は、「修諸功徳によって化土往生を得る
教え」は18願に導く方便ではないということですか? お聖教には、

「聖教において、方便の説あり、真実の説あり、一往の義あり、再往の義あり。念仏にお
いて来迎あるべしとみえたるは、みな浅機を引せんがための、一往方便の説なり。深理を
あらわすときの再往真実の義にあらずとこころうべし。」(『 浄土真要集 』)

とあきらかに「諸行往生・体失往生」の教え(=修諸功徳によって化土往生を得る教え)
が、「衆生を真実(18願)に導く方便である」と言われてますけど、どう違うのですか?
お聖教の根拠によって説明お願いします。

>諸善万行ことごとく

あげられてる御和讃の前は、
「臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく 『観経』
一部にあらはして、定散諸機をすすめけり」(『浄土和讃』)
 
ですから、まさに「諸行往生・体失往生」の教え(=修諸功徳によって化土往生を得る教え)
が、ここでも18願真実に導く方便だと言われてますね。

754 :名無しさん@3周年:05/03/13 22:54:06 ID:4d6RguXa
>>750
>これ以上の回答は特にありません。
>「漸機イコール自力」ではない、ということを申し上げました。

お聖教上の根拠は無いということで了解致しました。

>体は他力ですが、衆生の諸善を宿善にして下さるのであり、
>衆生の諸善の当相は自力です。

「宿善にしてくださる」というのは、どういうことでしょうか?

「おほよそ是、彼の浄土に生ずると、及び彼の菩薩・人・天の所起の諸行
は、みな阿弥陀如来の本願力に縁るが故なり。」もし仏力にあらずは、四
十八願すなはちこれいたづらに設けたまへらん。」 (『論註釈』『行文類』)

ですから、往生の「諸行」は、みな阿弥陀様の行ぜられた行ですね。
それに、第12願の「光明無量の願」により、阿弥陀様の照育は、信前の一切
衆生に及び、一切衆生が既に「宿善」をいただいているということはいいですね?
それに、凡夫が、「この行いは、より宿善になる」と知ることができますか?
当相は自力の修行も、その体は阿弥陀様の照育であったと信後に信知させてもられる
ということであって、信前にこの自力行為が、「宿善になるのだ」というのとは、違
うでしょう。

755 :名無しさん@3周年:05/03/13 23:08:41 ID:4d6RguXa
>>750
>では衆生は客体であるということでよろしいでしょうか。
>客体ならば、より報謝に努めようとする主体的な姿勢はナンセンスになると
>思われますがいかがでしょうか。

阿弥陀様に往還させていただける「客体」ですね。
自分の三業による努力が、仏教でいう「善業」それも「真実の善業」であると
いう姿勢ならナンセンス(というより害悪)ですね。

>「今生はそう」ならば、どういうときは違うのでしょうか。その理由は何でしょうか。

「今生の話」というのは「今生事」ともいいますが、「出世間」の仏法の事ではなくて、
世間事という意味です。真宗ではよく使われるいい方ですが、s会の方はあまり使わない
のかな? 凡夫の努力(三業)が、仏教でいう善にはならないということ。仏教でいう「
真実の善」は、仏様の所作(三業)です。

756 :名無しさん@3周年:05/03/13 23:28:10 ID:4d6RguXa
>>751-752

@とAについては、これまでのレスで、信前の御育ても、信後の報謝も全て
阿弥陀様の「真実の行」「他力の善」(の回施をいただいてるのであり、
「自力の善」を勧められていません。一々の根拠は御面倒ですが以前のレス
を読んでください。

B、「一切衆生にまことの心はありません。ですから用意することもできませ
ん。」と言われるのは、「自力の至心」ですか? 用意できななら、何故「至心
発願」できるのですか? 「至心発願」できなくて、 往生浄土の方便の善」と
なるのですか? 質問にあるようにお聖教の根拠をあげてお願いします。

C、宿善については、>>754参照。

757 :名無しさん@3周年:05/03/13 23:37:08 ID:4d6RguXa
>>727補足

>>739の「>>720の一、二、三をごたまぜにしてるみたいですね。」
というのは、信の一念で、他力により信知させていただけるのは、
「自力無効」ということであり、自分が、聖者か凡夫か、凡夫のなか
でも善人か悪人かまで、他力によらないとわからないというわけでは
ないおいうこと。

758 :名無しさん@3周年:05/03/14 00:02:34 ID:DIIAb3hQ
w部が総本部長になったときM春の支配が揺らぐのではないかとみんな期待した。
M晴の批判を陰でがんがん言っていた人だったから。
でも、下の講師には相変わらず横柄なままで、
M晴にはぺこぺこ頭下げるだけだった。
知り合いの講師にどうしてなんだって尋ねたら、
私たちの仏縁守るために必死で頭下げたくない相手にさげてんだよ、
っていわれた。
馬鹿にするなっておもった。
どうしてM晴にぺこぺこすることが俺たちの仏縁守ることになるんだ。
とても悲しくなった。
結局M晴に立ち向かったのは、M野さんだけだった。
w部が守ったのは俺たちの仏縁じゃなくて、
自分の立場と生活だけだった。
家たてたって聞いて非常に腹が立つ。
他の講師がどんな生活しているか、ちょっとは知っているんだろうか。
下のもんには横柄な口きいて、
上司には媚びへつらって挙げ句の果てには女性問題。
全く失望した。
こんな男を一時は尊敬していたかと思うと無性に情けない。

759 :名無しさん@3周年:05/03/14 00:22:45 ID:q4iTd5Bf
 若者がおかしな宗教にのめり込んだら、正しく仏教を伝えなかった家族も、責任を回避できないであろう。

 特に、浄土真宗では、「一文不知の尼入道」を誇り、親鸞聖人のみお教えを知らないことを手柄のように考えている人があるが、聖人が聞かれたら、お嘆きになるに違いない。

 事実、創価学会、天理教などの新興宗教が激しく勧誘した時期は、浄土真宗の家庭に最も多く、魔の手が伸びたのである。教えに無知だから。

760 :名無しさん@3周年:05/03/14 00:24:03 ID:q4iTd5Bf
 我が家の宗旨について、よく知らない、では恥ずかしい。日本は、「一応」仏教国でありながら、既成仏教教団が葬式・法事に明け暮れ、国民すべてが宗教に無知なるがゆえに、オウムのような邪教のはびこる土壌があるのだ、と指摘する有識者もある。

761 :名無しさん@3周年:05/03/14 00:43:56 ID:Ea2VvhuJ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1110637563/l50
次スレがたっているようです。

762 :名無しさん@3周年:05/03/14 00:52:25 ID:CAsvQjHs
有り難うございます。現会員ですが、こちらも精一杯頑張っております。
この掲示板で誹謗中傷を繰り広げているのはごく一部の元会員です。
実は学生時代に同じ学生部で法を求めていた者もおります。
自分の求道者としての姿勢がなっていなかったから、このようなことになってしまい、
申し訳なく思っております。

ほとんどの退会者はあなた様と同じ思いだと思っています。
そうした人に再び仏縁を結んでもらいたいと誠意を持って臨んでおりますが、
この状態です。今まで色々なことを試してわかってもらおうとしましたが、
うまくいかないことが多かったのです。面目ありません。

私も仕事のある身であり、妻子もあります。あまりこればかりもしておれないのですが、
現会員の方、退会者の方、また関心がありこのスレッドを見ておられる方に、
本当の親鸞会をわかって頂きたく、努力する所存です。

これからもご意見がありましたら真摯に承りますので、宜しくお願い致します。


763 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:03:58 ID:MeWigSie
教義

「宗祖親鸞の教えを広めることを唯一の目的として、親鸞や蓮如の文を根拠にして、それを忠実に解説する」という趣旨の法話会を各地で行っている。
東西本願寺をはじめとする真宗諸派の教学との間で異なる部分があり、異端と見なす人も少なくない。
一方で親鸞や蓮如の教えを、原典どおり忠実に護ることに教団の基盤を置き、徹底して聞法と教学を重視することから「真宗原理主義」とも言われ、伝統仏教の一派とする見方もある。


布教

日本全国や日本国外で積極的な布教活動を展開して、その構成員はあらゆる年齢層・地域・職業に及び、伝統教団の苦手とする若年層の信者の獲得にも成功している。
しかし若年層への布教活動のあり方については批判もあり、カルト的と捉える人もいる。一般的には反社会性のない団体と見られている。




764 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:05:37 ID:MeWigSie
歴史

*1952年高森顕徹を会長とし、68名の会員を集めて「徹信会」を発足。
*1957年富山県高岡市に徹信会館を建設。翌年、会は宗教法人となり、浄土真宗親鸞会と改名。
*1979年西本願寺(浄土真宗本願寺派)の紅楳英顕が「現代における異義の研究─高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。
   再三にわたり質問状を送るが、紅楳が誠意を持って答えないとして、1984年親鸞会の会員約1500人が西本願寺の御影堂に座り込み抗議。
   マスコミもこれをとりあげ親鸞会の名が全国に知られるようになる。
*1988年富山市に隣接する射水郡小杉町に本部を移転。支部は全国及び南米・北米・台湾・韓国に及ぶ。
*2004年既存の本部会館の収容能力不足から、隣接地に2000畳の講堂を持つ正本堂を建設。



765 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:09:21 ID:MeWigSie
Wikipedia:浄土真宗親鸞会
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E4%BC%9A
 http://ime.nu/ja.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E4%BC%9A&action=history

Wikipedia:高森顕徹
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A3%AE%E9%A1%95%E5%BE%B9
 http://ime.nu/ja.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=%E9%AB%98%E6%A3%AE%E9%A1%95%E5%BE%B9&action=history

766 :名無しさん@3周年:05/03/14 01:10:48 ID:MeWigSie
はてな「浄土真宗親鸞会」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%be%f4%c5%da%bf%bf%bd%a1%bf%c6%f3%c2%b2%f1
はてな「親鸞会」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bf%c6%f3%c2%b2%f1
はてな「高森顕徹」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b9%e2%bf%b9%b8%b2%c5%b0


767 :名無しさん@3周年:05/03/14 04:31:41 ID:nkTZUVOE
758 名前:名無しさん@3周年 本日のレス 投稿日:05/03/14 00:02:34 DIIAb3hQ
w部が総本部長になったときM春の支配が揺らぐのではないかとみんな期待した。
M晴の批判を陰でがんがん言っていた人だったから。
でも、下の講師には相変わらず横柄なままで、
M晴にはぺこぺこ頭下げるだけだった。
知り合いの講師にどうしてなんだって尋ねたら、
私たちの仏縁守るために必死で頭下げたくない相手にさげてんだよ、
っていわれた。
馬鹿にするなっておもった。
どうしてM晴にぺこぺこすることが俺たちの仏縁守ることになるんだ。
とても悲しくなった。
結局M晴に立ち向かったのは、M野さんだけだった。
w部が守ったのは俺たちの仏縁じゃなくて、
自分の立場と生活だけだった。
家たてたって聞いて非常に腹が立つ。
他の講師がどんな生活しているか、ちょっとは知っているんだろうか。
下のもんには横柄な口きいて、
上司には媚びへつらって挙げ句の果てには女性問題。
全く失望した。
こんな男を一時は尊敬していたかと思うと無性に情けない。



嘘ばっか書いてるんじゃないですよ。親鸞会は、光晴の所有物じゃございません。
別にぺこぺこしてるわけでもありません。
第一、敵対してるわけでもないのに、同じ仏縁を喜ぶもの同士、なぜ、立ち向かう必要があるのかわからない。


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