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じりじり語ろう親鸞会

1 :名無しさん@3周年:2005/07/18(月) 08:19:26 ID:tuq6/za1
ここは、親鸞会について語る総合スレです。
じりじり暑いですが、負けずに語りあいましょう!
     ∧_∧____
    /(*゚ー゚) ./\
  /| ̄∪∪ ̄|\/   けんかしないでね、厨房のみなさま。
    |____|/
     ,,,,∪∪,,,,,

■ルール
・荒らしは原則「放置」です。
・コピペ荒らしは禁止。
・渡海難さんは悪いけど他の所に行って下さい。
・一般会員の個人名を出さないようにね。伏せ字でも。
・人を罵ったりする人は来ないで下さい。
・コテハン歓迎

最近とても良識ある大人とは思えない発言をする人がいます。
一般常識を守って、みんなが見て気持ちの良いレスを心がけましょう(^^)/

■公式サイト http://www.shinrankai.or.jp/


899 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:19:48 ID:eVnEnQSt
>>807
どれでもいいなら、絵像より名号とはいわれないでしょう。

どれでもいいのに、木像ばかりこれ不思議
木像の人から言うと、
どれでもいいのに、名号ばかりこれ不思議

ただ、どれを有難く感ずるかどうかは信仰の問題かもね


900 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:29:44 ID:XeVyklcg
>>895-6
>ID:eVnEnQSt
>かなーりすごい飛躍があります。

s会熱烈会員の感情論はもう結構(うんざり)ですので、
論理的に根拠を述べなさい。

1)親鸞会の体験至上主義についての意見をどうおもいますか?
たとえば新人太郎氏やときどき会員が書き込みますが、「体験がないと
いくら学問があっても信心の水際は説ききれない」という意見について。
この信念は「本願寺の学者はだから駄目だ」という論拠によく使用されます。

2)頭を冷やして考えてください。
  現在のs会は他の価値観との共存を認めていると思いますか?
 認めているんだ、といいたいから感情論にはしってるのでしょう?
 では、なぜ脱会者に対して、たとえば>>750

>しかし、これからだよ。意味のない人生が始まるのは。

などに代表される、カルト色丸出しの脅し文句をかけている現状を
わかるように説明してください。


901 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:32:01 ID:DUQJ8aBG
>>869
>五正行もすすめないということでよろしいでしょうか?

横レスだが、「聴聞を勧める」=「弥陀の救いの法(仏願の生起本末)をお聞かせ
いただくことを勧める」=「(他力)本願念仏を勧める」=「他力の五正行(助業
は、正定業に自然に伴う)を勧める」だろう。

902 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:36:44 ID:XeVyklcg
>>884
>親鸞会を意識した上で、「真宗に善の勧めはない」などというものは、
さすがに今は、ちょっとでもまともな僧侶にはいないだろう。

あたりまえだ。
「真宗に善の勧めはない」なんてはじめから誰もいってないのだから。
s会の捏造だったというこよは、コーバイ氏の文言づら誰も挙げられないと
いうことはもはや明白ではありませんか。
s会を意識?自意識過剰もいい加減にしたら?
大本営発表信者はこれだから駄目だね、
長く会にいるほど、世間の常識とかけ離れていく。
お気の毒様。

903 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:45:30 ID:r4RZu1Du
>>883

>私が言うのもなんだが、実に完璧なまでに見事な論文だ。

そうですか。「なぜ答えぬ」はそんなに完璧な論文ですか。

ならば、高森氏は紅楳英顕氏が、
「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」と放言したと、
「なぜ答えぬ」に書いていますが、
紅楳氏がいつ、「修善をすすめた文証など、あろうはずがない」と言ったのか。
根拠を示して頂けませんでしょうか。

904 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:47:09 ID:eVnEnQSt
>>774
> >>660
> >>730
>
> 「歴史的事実」というにはあまりに根拠がうすい、ということを言ったの
> ですが、わからなかったですか?
>
> 根拠のうすい歴史的事実によらねば木像本尊を主張できないということ
> 自体が、本願寺の木像本尊を許す説のうさんくささを表しています。
> 「名号本尊の正当性」は本願寺自体が認めていること。
> そして本願寺はじめ末寺のほとんどすべてが木像本尊にしているというのは
> まぎれもない事実。
> これ以上なんか問題になることあります?

真宗に於いて、その問題が正当かどうかを判別する
一次資料は、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人のご著書だと思いますが、
それがあった上での、伝承などではないでしょうか。

伝承のみをもって、歴史的事実であり、、間違いないおしえであるというのは
いかがなものか。

歴史的事実には、とうじの歴史的背景もあるので、一概にそうともいえないところはあるでしょう。

御文章の中にたびたび出てくる
「たとい牛盗人とはいわるとも、仏法者とみえる振る舞いをしてはならない」とかね


905 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 11:53:32 ID:r4RZu1Du
>>883

>私が言うのもなんだが、実に完璧なまでに見事な論文だ。

高森氏は紅楳氏の論文に反論して、
親鸞会を「まず諸善をつめ、諸善さえつめば、信心獲得できるとすすめる」と非難している、
と主張していますが、何時紅楳氏が上記のような非難を親鸞会に対して行ったのでしょうか。
根拠を示して頂けませんか?

906 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:00:59 ID:r4RZu1Du
>>904
自信一杯の論述有り難うございました。
ではついでに下記の質問にも答えて頂けませんか?

では高森氏は「真宗の正しい御本尊は名号である」と主張していますが、
蓮如上人が山科本願寺に御安置した木像本尊は、
真宗の正しい御本尊ではない、と言うことでよろしいですか?

更に「親鸞聖人も蓮如上人も名号しか御本尊として礼拝しておられない」
と高森氏は『どちらがウソか』で指摘していますが、
高森氏の主張は正しくない、ということでよろしいですか?

907 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:07:34 ID:/EsCyxBU
ありがたや
ありがたや

908 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:16:11 ID:DUQJ8aBG
>>867

確認だが、(名号本尊でも何でも)、「本尊を用いられた」という史実と推測される事柄が、親鸞聖人が、教義上「本尊と
いう形式が必要だという立場」だという根拠とは違うというのはいいのかな?
教義上「本尊という形式が必要」なのであれば、親鸞聖人は、そのことを著書の中で詳説しているはずだ。日蓮聖人が、タイ
トルにまで「本尊」がついた論文を何本も残してることと比べてみてもわかる。
まあ、「親鸞思想の根本性格に関わる「本尊」問題を究明してみよう」という場合は、「親鸞の第一史料において、「本尊」
の語は用いられていない 」というのが、「動かせぬ基本事実である」というこの学者と提言そのものは正鵠を得たものだと
思う。尚、>>847氏の指摘するような背景の考察も大事な視点だろう。

909 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 12:18:18 ID:XeVyklcg
>>904
>ID:eVnEnQSt
まだいるのなら>>900にも逃げずに答えといてね。

910 :658:2005/07/30(土) 13:08:56 ID:92dIaZ2T

本願寺が善をすすめてない根拠はこれだよ。

「未信のものは宿善を厚くするために破邪顕正や財施などの自力諸善を積まねば
ならないなどという説は当流には絶えてないものと言わねばならぬ。
なお、聴聞については『聞其名号信心歓喜』の法であるから已信未信を問わず
みずから聞法につとめると共に他の人たちにも聞法を勧めねばならないことは
いうまでもない。
しかし、今生において聴聞にはげむことはどれだけ懸命に努め励んでも
それはあくまで救いの法を聞かせていただくのであって、これを自力の
善根を修するとか宿善を積むなどとはいわないのである」
(灘本S57 現代の教学問題)

「諸善も聴聞も励んでも宿善を積むとはいわない。
しかし聴聞『は』すすめる」つまり諸善はすすめない。
聴聞をすすめる根拠としては「聞其名号信心歓喜」だから
とうぜんそれにはあてはまらない五正行もすすめないことになるわけだ。

>「聴聞を勧める」=「弥陀の救いの法(仏願の生起本末)をお聞かせ
いただくことを勧める」=「(他力)本願念仏を勧める」=「他力の五正行(助業
は、正定業に自然に伴う)を勧める」

それならなんで「他力の布教」はすすめないの?
「不信も聴聞せよ」といわれているが
「不信は布教『するな』」といわれてますか?



911 :658:2005/07/30(土) 13:12:56 ID:92dIaZ2T
>>904

すいません。
何書いてるのかよくわからないのですが。
お聖教の御文だけだと正しい教えとはいえないということですか?

912 :658:2005/07/30(土) 13:24:32 ID:lmLlDFxR
>>908
>「本尊を用いられた」という史実と推測される事柄

なんかおもしろいなあ。
山科の御本尊はたいした根拠もないのに「歴史的事実」で
「名号本尊を用いられた」のは推測される事柄か。
名無しじゃないと恥ずかしくて言えないことだよな。
まあ、なんか言いたいならコテハンぐらいつけることだ。

913 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 13:30:27 ID:XeVyklcg
>>910
658さん、何度も同じ文章を出してるようですがその説明内容では誰も納得しない
と思いますが。あなたの説明をもってしても、
「本願寺が善をすすめてない」とはいえません。灘本氏が勧めていないのは
「宿善を厚くするための自力の諸善」に限定されており、ここにs会の
詭弁があると思います。

そして、658さん、根拠といえば、灘本氏一人だけしか出しませんが、
コウバイ氏の文言からは「本願寺が善をすすめてない」根拠を
自信たっぷりのあなたもやはり出せないんですよね。

914 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 13:40:39 ID:7zHGNOZQ
>>861
聞法の場には、宝が光っています。
真剣に聞かなければ、その宝を受け取れないぞ。

そう勧めてくれる、まことの信心を得た人が私の身近にいるので、
とても有り難いことだと、思っています。

915 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 13:45:17 ID:7zHGNOZQ
>>862
信心の沙汰は、面と向かってなされるものだと思います。
蓮如上人の時代とかわって、ネット社会になったにせよ、
人と人とが会って、実際に語り合えなければ沙汰にならない
のだと、私は思います。

916 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 13:50:26 ID:7zHGNOZQ
>>863
高森先生がお勧め下さる真実の信心は、本当だと思います。
思います、というより、確信しております。うまく書けませんが。
阿弥陀仏の本願力で明らかな救いを頂いた人は、不思議にも放つものがあるんです。
ひしひしと伝わるものがあるんです。
この宝は、本物だと思います。

917 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 14:11:00 ID:eVnEnQSt
次スレは、こちらでいいのでしょうか
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1122475557/l50

918 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 16:10:11 ID:2yx6pgya
www.hongwanji.or.jp/info/general_if/seikatusinjo.html
 本願寺の善の勧め

 一、み仏の教えにしたがい
    正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます
 一、み仏の恵みを喜び
    互いにうやまい助けあい 社会のために尽します


919 :658:2005/07/30(土) 17:27:53 ID:IMMIJrrO
>>913
>「宿善を厚くするための自力の諸善」に限定されており

「自力(信前)の諸善はすすめない」ということを認められるなら
「善のすすめはない」ということではっきりしてるじゃないですか。
ほとんどが信前であり、祖師の御教えは未信のひとに信をとれと
言われたわけですから。

たとえば>>918は本願寺の立場から言えば已信のひとに限定されるわけですね。
未信に「みのりをひろめる」ことはできないという主張だったはず。


920 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 17:33:21 ID:DUQJ8aBG
>>910
>聴聞をすすめる根拠としては「聞其名号信心歓喜」だから
>とうぜんそれにはあてはまらない五正行もすすめないことになるわけだ。

>>901もう一遍嫁。

「聴聞」=「「聞其名号信心歓喜」=「本願念仏」=「(他力真実の)五正行」

>それならなんで「他力の布教」はすすめないの?
>「不信も聴聞せよ」といわれているが
>「不信は布教『するな』」といわれてますか?

「聴聞の勧め」=「聞其名号の勧め」=「自信教人信の勧め」
全ての仏様の御徳が、御名号にこもってくださってるから、自分が布教するわけでは
ないが、仏様の御教化のお働きは、本願念仏のなかに当然入ってます。
それに、現世ばかりじゃなくて、滅度を証して(得涅槃して)からの「還相回向」のお
働きがある。
「不信は布教『するな』」なんて言葉は、勿論ないが、「不信の布教ごっこ」は、「真宗弘願門
の教人信」とは当然に“言えない”だろう。

921 :658:2005/07/30(土) 17:49:58 ID:IMMIJrrO
だんだん言い訳をつぶしましょう。

「他力の五正行、他力の何何をすすめている」という言い訳。

「方便をもって真実をあらわす廃立の義よくよくしるべし」(御一代記聞書)
信前の者に真実を伝える方法を蓮如上人は「方便をもって真実をあらわす」と
教えられている。
>>518-520にあげたとおり祖師の御教えは「方便より真実へ」というのは明らか。

「信前の諸善はすすめない」というのは廃立にならない。
つまり「他力の何何も表してないし、すすめていることにはならない」
わからないから堂々と「宿善を厚くするための自力の諸善はすすめない」と
言ってはばからないのでしょうが。
「自力を通らないと他力に入れないとでもいうのか」という紅楳氏の
言葉が本願寺の無信心を代表してます。これも「なぜ答えぬ」にかかれて
いること。

三願転入は直入(他力)ではないと暴言をはいたアンチがいたが
おそらく「なんで暴言なのか」と思っている本願寺関係者も多いのだろう。


922 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 17:50:32 ID:DUQJ8aBG
>>912
>山科の御本尊はたいした根拠もないのに「歴史的事実」で
>「名号本尊を用いられた」のは推測される事柄か。

山科の御本尊のレスは漏れじゃないが・・・。
どちらも、「歴史的事実と推測される事柄」だろう。歴史学も科学の一つ
だからそこまでしか言えんだろう。新たな史料が発見されて、これまでの
説が覆される可能性を常に孕んでいる。

で、>>908 で確認したいのは、「親鸞聖人が、教義上『本尊という形式が必要
だという立場か否か?』といった親鸞聖人の「教義上の立場」についての、
根拠は『第一史料』である、聖人の著書が根本である」ということはいいですね?
ということ。

923 :658:2005/07/30(土) 17:53:29 ID:IMMIJrrO
>>920

信前の五正行はすすめない、ということで決着。
これは「善」ですが「諸善」ではありません。
つまり「本願寺は諸善をすすめない」ではなく「本願寺は善をすすめない」と
いうしかない。

924 :658:2005/07/30(土) 18:00:25 ID:IMMIJrrO
>>922

論議したいならコテハンにしてね。
それから「論議の土台をこわさない」こと。
坂東版の教行信証は祖師の書かれたものではない云々
の話ならほかでしてください。
興味ないので。

今日はここまで。

925 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:05:16 ID:DUQJ8aBG
>>921
>「信前の諸善はすすめない」というのは廃立にならない。

また、例によって、「教判と体験の混同」か。
「方便をもって真実をあらわす廃立の義」(御一代記聞書)
は、「仏祖が、方便をもって、真実(浄土真宗)を開顕してくださった 」
ということ。既に「方便権門」と廃された法門(他宗他門)に「今から入れ」
という言葉ではない。

926 :658:2005/07/30(土) 18:05:21 ID:IMMIJrrO
>>924

坂東版→本


927 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:15:21 ID:DUQJ8aBG
>>920
>信前の五正行はすすめない、ということで決着。

真宗では、「自力虚仮迷妄の(真実とは言えない)五正行ごっこ」はすすめなくて、
「聞其名号信心歓喜」=「他力真実の五正行」のみをすすめれれてるということ。

>>924
>坂東版の教行信証は祖師の書かれたものではない云々
>の話ならほかでしてください。

そんな話はしてないよ。「教義上の根拠」は、「お聖教の言葉」を根拠を
根本にすべきということでいいか? という確認だが。

928 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:21:06 ID:RzwqQ71I
>信前の五正行はすすめない、ということで決着。
>これは「善」ですが「諸善」ではありません。
>つまり「本願寺は諸善をすすめない」ではなく「本願寺は善をすすめない」と
>いうしかない。

だから、「これで浄土へ行こうと思ってする」善や諸善は真宗では勧めていないということだろ。
それ以外でする善は、真宗の守備範囲外で他人に指図する必要のないものだろ。
布教にしても、しなきゃ浄土へいけないとは書いてないし、したら浄土へいけないとも書いてない。
するしないは自由。
ただ南無阿弥陀仏しか勧めないのが真宗なの。

929 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 18:21:32 ID:DUQJ8aBG
>>927>>924)  訂正

そんな話はしてないよ。「教義上の根拠」は、「お聖教の言葉」を根拠として
根本にすべきということでいいか? という確認だが。

930 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2005/07/30(土) 18:37:23 ID:2yx6pgya
〔善導は浄土教の学習に五正行を立てた。読誦・礼拝・観察・称名・賛嘆供養である。
その中で、称名を中心とし、これを中心的学習項目として「正定業」と名付けた。読誦・
礼拝・観察・賛嘆供養を補助的学習項目として助業と名付けた。親鸞はこれに異議を
立てる。〕

 安養浄刹にして入聖証果するを「浄土門」と名づく、「易行道」と云えり。この門の中
について、 〜 助・正・雑行、雑修・専修あるなり。「正」とは五種の正行(読誦・礼拝・
観察・賛嘆供養)あるなり。「助」とは名号を除きて已外の五種(読誦・礼拝・観察・賛
嘆供養)これなり。

〔親鸞は、化身土巻本で敢えて正定業に触れない。親鸞は、「正定業」と「五正行」と
を対立させる。正定業とは称名である。正定業は信の巻き触れている。親鸞は、正定
業を五正行の外に持ってくる。五正行は読誦・礼拝・観察・名号・賛嘆供養である。親
鸞は、「助を、名号を除きて已外の五種」と呼び、五正行の中に助と正とがあるという。
助とは五正行内の読誦・礼拝・観察・賛嘆供養である。正は称名である。五正行の中
を助業と正定業とに分類した善導との違いに注目して欲しい。なお、五正行では、称
名を名号と記載している。これは真筆本の親鸞の意識的な配慮だろう。〕

 〜 「正・助」について、専修あり雑修あり。 〜 正行の中の専修専心・専修雑心・
雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。かるがゆえに極楽に生まると
いえども、三宝を見たてまつらず、仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。
仮令の誓願、良に由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよ明らかなり。

〔「正・助」とは五正行である。親鸞は、善導が立てた五正行は、全て辺地・胎宮・懈慢
界の業因なりと切って捨て、五正行とは別に正定業すなわち称名念仏を選んでいる〕


931 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:00:59 ID:eVnEnQSt
>>910
658さん頑張ってください。
応援してます。


932 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:06:35 ID:eVnEnQSt
今日中には次スレいきそうですね


933 :元々ぼら夫:2005/07/30(土) 19:07:05 ID:1ixLkesw
すごい伸びやねw、全部チェックすんの大変。ちょいとお返事だけ失礼。
>>831
他宗が名号本尊を批判したって事は、漏れは聞いたことがない。
関係ないかも知れませんが、覚如上人が大谷に「阿弥陀仏を立てようとした」ことがあり、
高田の専空上人や定専上人の猛反対にあって、断念している。
K和上の講義緑に載ってたと思うが、出典はわからない。誰かご存じの方は、教えて下さい。
この頃の関東高田門徒の力は、大変強かったらしく、1336年に御堂が兵火にかかって焼失した際、
古い堂舎を買って、移築再建するのに尽力されている。
つづく


934 :元々ぼら夫:2005/07/30(土) 19:15:33 ID:1ixLkesw
>>870
渡海さん、センキューでした。
行・信については、機会があれば、このスレじゃないとこでお伺いしたいです。
しかし、s会の皆さんって称名念仏されないんですか?
三願転入を実際に行おうとすれば、必ず通らなければならないでしょうに。
ではでは〜。

935 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:27:39 ID:7zHGNOZQ
聴聞しましょう、真剣に聞きましょう、と重ねて勧めることです。
この親鸞聖人のみ教えを、今生で聞き抜かなければ二度と聞けない、
そう受け止めて真剣に聞かせて頂くことが、一番の道です。
そのように、何度も何度も教えられます。

936 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:33:02 ID:7zHGNOZQ
聴聞での肝要は、信心を得ること。
阿弥陀仏のお慈悲を、明らかに知らせて頂くことです。
南無阿弥陀仏のいわれを、はっきりと聞き抜かせていただくことです。
何が何でも、聞き抜かせていただきたいと思います。

937 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:37:30 ID:7zHGNOZQ
一念の信心の水際を、重ねて重ねて聞かせていただくことです。
阿弥陀仏をたのむ真実信心一つにて、往生できるのですから、
おまかせする、その一念明らかに聞かせて頂けるところまで。


938 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:42:36 ID:7zHGNOZQ
高森先生から聞かせて頂く阿弥陀仏のご本願、
真剣に聞きなさい、聴聞しなさいと勧められます。
どれだけ行っても罪悪がさかまく苦海にあって、阿弥陀さまのお慈悲の船に乗せていただけるのだ、と。
これ一つ果たせたら、迷いの打ち止め。
多生の目的、まさにその通りなのだと感じます。

939 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:46:18 ID:7zHGNOZQ
まことの報謝を目の当たりにすれば、まさに体が震えます。
理屈じゃない。湧き出るご恩報謝の念に動かされるのです。
南無阿弥陀仏と重ねて出てくる念仏は、いつも涙とともに溢れ出ているようです。

940 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:48:01 ID:7zHGNOZQ
阿弥陀仏のお慈悲を、思い出しては思い出しては念仏。
微塵も助かる縁のない者をお助け下さる本願を、喜ばずにおれない心。
無碍光仏とあおぎ奉らずにおれないのだと。

941 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:50:03 ID:7zHGNOZQ
難度の海にあっては、まったく方角の立たない自分が、
南無六字の法で明らかに摂取されるのだから、有り難い。
だから、おまかせしなさい、阿弥陀仏に、
それには聴聞、真剣な聴聞だから、高森先生から聞かせて頂きなさい、
と勧められます。

942 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:52:15 ID:7zHGNOZQ
お勧めくださる真実の信心は、まことのことだと思います。
後生の一大事、これ一つ解決させて頂かねば。
その思う心を、聞法の場に持っていきなさい、と言われます。
信を得ようと聴聞することが肝要なんだと。

943 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:53:28 ID:7zHGNOZQ
重ねて重ねて聞かせて頂くことだと思います。
真剣な聴聞が、道を開くのだと。

944 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 19:56:23 ID:CThXuOp8
井戸のぞく
子を思う親は
命懸け


945 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:12:49 ID:eVnEnQSt
7zHGNOZQは何者ですか?

946 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:14:28 ID:eVnEnQSt
>>918
本願寺の信条には「因果の道理」が記してあったと思いますが、
ご存知ですか?

947 :名無しさん@3周年:2005/07/30(土) 20:16:07 ID:eVnEnQSt
>>919
>正しい道を聞きわけて
このところが、信心を得て、という意味を含むのでは。

948 :追加情報:2005/07/30(土) 20:22:35 ID:zV5E3RKR
蓮如上人の木像って話がありましたが
北陸だと、蓮如上人から頂いたと言う木像を本尊としている

 寺、門徒

が結構います

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